第91話、王様の庭


 ガンダレアス・ヴァーレンラント王にとって、それはかなりの苦痛を伴う行動だった。


 自分の過去に向き合わなくてはいけない。


 亜人解放戦線との戦いで、切り落とされた腕の傷が痛む。すでに治療は終わっているから、この痛みはおそらく精神的なものだ。王の業務は、日々ストレスとの戦いではあるが、これはそれとは違う痛みだ。


 ジュダ・シェードと一対一で面会したい。


 ガンダレアス――レアスが、ペルパジア大臣に頼んでおいた話とはいえ、エイレン騎士学校で、亜人の手による騎士生洗脳による反乱未遂騒動が起きた直後に、その面会があるというのは、何とも心の整理がつかない悪いタイミングだったと言える。


 しかし、その事件のせいでレアスも処理せねばならない仕事が増え、今この面会を見送ると、次がいつになるか不透明な状況だった。


 王の予定は決まっているものであり、そのスケジュールを覆すのは極めて困難だった。だから、お互いに精神が荒んだ状態で、レアスとジュダの面会はするのである。


 ヴァーレンラント城にある王の庭、空中庭園を面会の場とした。ここならば、邪魔は入らない。


 先日、反乱未遂事件の解決に尽力したジュダは、ペルパジアから呼ばれたのだろうが、レアスとの面会の話は直前だったようで、その表情は大変よろしくなかった。

 だがレアスは、顔にこそ出さないようにしたが、内心では、素で子供っぽく拗ねているジュダを見るのは微笑ましくあった。


 ――まだまだ青いな、少年。


 普段、人を入れない自分の庭に、レアスはジュダを招いた。文句の一つも言いたそうにしていたジュダだが、想像だにしていなかった場所だったせいか、大変居心地が悪そうだった。


 しばし沈黙する。レアスの中では、どう彼に話しかけようが、様々なパターンを考えていたのだが、残念ながらそのどれもが機能しなかった。


 王であるレアスなら、このようなことはなかった。自分が思いの外、プライベートで喋れない人間であったことを自覚し、ショックを受ける。若い頃はこうではなかったはずなのに。


 しかし、呼び出しておいて何も話さないわけにはいかないから、仕方なく王の仮面を被ることにした。今は、何も話せないではいけないのだ。


「ここはプライベートな庭だ」


 何とか間を誤魔化すために、近くの花壇をいじりながら言った。ジュダの顔は見なかった。


「家族を除けば、庭師とペルパジアぐらいだろう。客ですら、余の菜園には入らせない」

「……あなたの庭なのですか?」


 ジュダが言った。ちら、とリアスが一瞥するが、彼はこちらを見ていなかった。さほど気にしている様子も、怒っているわけでもないのがわかり、少し気分が楽になった。


「ああ、手塩にかけた」


 ようやく話し出せた。まずは先日の活躍、ラウディを守ったことに礼を言わねば――花壇から向き直り、立ち上がったレアス。しかしジュダはある一点を見つめて言った。


「お加減はいかがですか?」

「不便ではある」


 人工スロガーヴとの戦いで失った左腕のことを言っているのを視線で察して、レアスは苦々しい気分になる。いちいち腹が立つのは何故だろう。


「だが片腕にも慣れた。貴様に心配されるほど、落ちぶれてはおらん」


 言ってしまった。口に出してみて、レアスは言いたいことと実際の言葉の違いに、自身への苛立ちが募る。

 しかしジュダは、淡々と告げる。


「私が言ったのは、亜人に食いちぎられた左腕ではなく、私が刺した傷のほうです」


 痛みましたか?――さも他人事のような口ぶりである。彼にとってレアスは、母の仇である。剣を抜かないから敵意がないわけではない。


「しばらく一人で食事もできなかった」


 騎士学校の創立祭での戦いは、レアスは満身創痍であった。しばらくベッドの上で養生を強いられたが、そのうちの傷の一つは、目の前の少年の仕業だ。


「それは何よりでした」


 いたずらっ子が、自身の仕掛けに引っかかった大人を見るような目だった。さぞ気分がいいのだろうな、とレアスは思う。


「上位騎士生になったそうだな。おめでとう――と言っておく」


 余計な言葉を付け足してしまうレアス。ジュダは『いまさらか』と言わんばかりの顔になり「ありがとうございます」と、どうでもいい感じで返した。


 素直に言えなかったから、彼に冷めた態度を取らせてしまったのだ――レアスは猛省するが、ジュダはそんな王の心境などお構いなしで言った。


「王よ、あなたが私を呼んだのは、そんな心にもないを言うためですか?」


 こいつは――トゲを隠そうともしないアンジェの息子である。それならば、いっそ挑発してみるか。それで怒って刺してくれれば、彼女の仇もとれるだろう。


 レアスは大人げなく、ジュダを挑発することにした。後になって振り返れば、何故この時こんな心境になったのか。

 彼が、王を殺すことはないと確信していたのか。単にレアス自身、自棄になっていたのか。わかることは、この時の王は、冷静ではなかった。


 一方で、ジュダは冷静だった。いや、レアスの目にはそう見えただけで、実際のところはわからない。一度は剣に伸びかけた手を止めて、彼は言ったのだ。


「そんなに私が気にいらないなら、排除すればよろしい。受けて立ちます」

「貴様と戦争をする気はない」


 スロガーヴとの戦争など、二度とごめんだ。それはレアスの本心だった。攻守は逆転し、今度はジュダが王を挑発した。むろん、それにはレアスは乗らなかった。


 先に手を出してくれたら、と思ったのに、自分から手を出すなど冗談ではない。結局はラウディに嫌われてしまう、などという親馬鹿な発言で逃げることしかできなかった。


「娘を息子と偽らせて、どんな気分ですか?」


 ラウディの名を出したのがいけなかったのか、ジュダは容赦なかった。おそらく、何故、女である彼女が男装しているか、その理由を知りたいと思っているに違いない。


 ――だがな、スロガーヴ。お前には言えない。お前にだけはな。


 だから。


「貴様には関係のない話だ」


 家庭の問題だから、首を突っ込むな、とレアスは言葉を濁すのである。ジュダはしばし考えるように視線を逸らしたが、向き直ると背筋を伸ばした。


「用件を伺いましょうか、ヴァーレンラント陛下」


 急に態度を改めてきた。この実りのない挑発合戦に、これ以上付き合う気はないという態度だった。

 本当は先の事件への対応への感謝を伝えたかったし、できれば親交を深めたかった。だがここまでのやりとりから、それは望み薄だろう。……今は。


 仕方ないので、一応、ジュダにも関係しそうな話をしてその場を切り抜けることにした。


 イベリエ魔法国――ヴァーレンラント王国の友好国から、お姫様がこの王都エイレンにやってくる件を。

 ラウディの元婚約者だと言ったら、ジュダの眉がかすかに動いたのをレアスは見逃さなかった。


 その元婚約者――ソフィーニア姫とラウディの関係について話したら、またもラウディの性別問題に飛び火しかけたので、そこは関係ないとレアスは切り替えた。


「――そのあたりの事情は貴様は知らなくてもよい。貴様にやってもらいたいのは、ラウディの性別を他の誰にも知られないようにすることと、彼女の身の安全だ」

「質問しても? ……性別の件ですが、誰かが疑っているのですか?」

「そうではない」


 何だか部下と会話をしているようで、レアスは気分がよくなってきた。このように互いの感情を抜きに話すことができたら、と思わずにはいられない。

 冷静に、一騎士として見せるジュダの態度は、忠実な臣下のようであり心地がよかった。

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