第90話、野心ある者たち


 ヴァーレンラント王国東南に位置するウェブリス平原、その一帯を領地としているのはテンディット子爵家である。


 日が傾いている。夜の帳が迫る中、淡い魔力光が立ち昇る魔力スポットの近くにそびえるテンディット子爵の館。そこを訪れるひとつの影があった。


 漆黒のフードつきの外套をまとったその女は、すらりと音もなく館の門をくぐる。門番たちはその影に見向きもしない。それが不法な侵入者ではなかったからでもある。


 深々とフードを被った女は中央の階段を昇り、やがて屋敷の主であるエイガー・テンディット子爵の部屋へとたどり着いた。

 ノックをすれば、中から「入れ」と男の声が返ってきた。扉を開け、女は入る。沈み行く太陽を眺めていた部屋の主は振り返った。


「待ちかねたぞ、ヘクサ」

「我が主――」


 フードをとり、金色の長い髪と狐の耳を覗かせ、ヘクサ・ヴァルゼはその場に膝をついた。


「ただいま戻りました」

「ご苦労。さっそく報告を聞こう」


 四〇代、すらりと高く、また精悍な顔つきの男だった。髪は短くやや後退しているが、目つきは狼のように鋭く、見る者に威圧感を与える。よく通るその声は非常に男性的で、また魅力的でもある。


「王都エイレンにおける騎士生煽動による反乱計画は失敗しました」


 ヘクサは顔を上げる。


「ラウディとその近しい人間たちによって、反乱は阻止されたのです」

「王子はどうだった? あの王の後継に値する器か?」

「現時点では、その域には達していません」


 ウルペ人女は断言した。


「頭は働くようですが、覚悟が不足しています。急所をつけば、容易く屈伏するでしょう」


 あれが未来の王ではこの国も長くはないと思われる。


「今のままなら、御しやすいといわざるを得ません。何より、経験が足りません」

「しかし、反乱計画は失敗した」


 エイガー・テンディットは鼻を鳴らした。ヘクサは頷く。


「ジュダ・シェード。ラウディ王子と同期の騎士生……。騎士学校一の力の持ち主、上位騎士生にして、未来のラウディ王子の側近候補と目されている少年です」

「エイレン騎士学校の創立祭の時も、王子暗殺を阻んだ男だ」

「はい」


 コントロに術をかけ、ラウディ暗殺を行わせたヘクサは、その場にいて一部始終を見ている。


「どのような男だ?」

「非常に容赦のない男です」


 ヘクサは事務的に告げた。


「ラウディ王子よりも遥かに難敵と言えましょう。先ほど王の資質と言いましたが、それならば彼のほうが王子殿下よりも上。生半可な人質は彼には通用しません。彼を一言で言い表すなら……」


 ヘクサは一度目を伏せた。瞼の裏に浮かんだのは、凶暴なる獣の意志を秘めたあの眼光。


「狼。……敵うことなら、二度と会いたくありません。次に彼と顔を合わせたら最後、私は生き残る自信がありません」


 思えば彼とは初対面の時から相性が悪かったのだ。知ってか知らずか、ウルペ人であるヘクサの前で、ジュダはロウガ――狼亜人の信仰をぶつけてきた。


「……元幻狐であるお前にそれを言わせるのか」


 テンディットはさすがに驚いたようだった。


「しかし、よくよく考えてみれば、やつは人工スロガーヴであるアド・ワシーヤを倒した男だったな。その実力は警戒して然るべきやもしれん」


 人工スロガーヴ――子爵は事務机の横を通過すると、ヘクサの元まで歩み寄る。


「奴の死体は確認できたか?」

「残念ながら、我が主」


 ヘクサは立ち上がる。テンディット子爵が部屋を出るのでその後に続く。


「アド・ワシーヤの遺体は王城に収容されたようですが、確認はできませんでした」

「あのレーヴ人はふらりと現れ、我が父を殺した」


 王都に滞在している時に、亜人解放戦線に加わっていたアド・ワシーヤ――かつての人工スロガーヴの実験体の一体の手によって命を奪われた。くたばり損ないの手によって、エイガーの父親――先代のテンディット子爵は暗殺されたのだった。


 おそらく復讐。アルタール公爵、エシック男爵ら人工スロガーヴ研究に関わった貴族が立て続けに殺されたことを思えば、それに行き着く。ただ、アルタール公爵の場合は、『仮面の戦士』なる人物による暗殺だと聞いているが……。


「ふむ……」

「主様?」

「人工スロガーヴに勝ったという男……ジュダという若造はいったい何者なのだ?」

「彼の素性、生い立ちについては不明です」


 ヘクサは首を横に振った。


「ペルパジア大臣の遠縁という話ですが……なにぶん、あの御仁は謎の塊ですから」

「王の血縁……王の隠し子ということはないか?」


 テンディット子爵は小首を傾げる。


「奴がレギメンスの血を引いているとすればどうだ? だから人工スロガーヴを退けることができた」

「可能性の段階です」


 ヘクサはきっぱり言った。


「推測でお答えできません」

「確かに。調査が必要だな……」

「どうされました、主様?」

「いや、ちょっとな」


 テンディット子爵は小さく首を振ると、唇の端を吊り上げた。


「奴がスロガーヴではないかと思ったが……それはないな。何せ奴のそばにはレギメンスの血を引くラウディがいるのだ。スロガーヴなら真っ先にラウディの首を刎ねているだろう」


 ジュダ・シェードがスロガーヴ――ヘクサはその可能性を考える。人工スロガーヴを倒した者。十年前、とあるスロガーヴが処刑された。そのスロガーヴには子供がいたといわれる。もし生きていたとしたら、今ごろ――


「どうした?」

「いえ」


 ヘクサはこの考えを打ち消した。今はそれよりも、重要なことがある。


「人工スロガーヴがらみで、一つご報告が」


 ヘクサは告げた。


「エイレン騎士学校に、リーレという女がいます」

「リーレ?」


 一瞬、聞き覚えがある名前だとテンディットは思った。はたしてどこだったかと考え込む。そして浮かんだ。赤毛の小娘――


「それはあの赤毛のリーレのことか?」

「おそらく」

「そんなバカな!」


 子爵は驚きに目を瞠った。


「あの小娘は何年も前に死んだはずだ!」

「そう伺っております」


 ヘクサは同意した。


「ですが、実際にリーレ・ミッテリィの名で騎士学校に在籍しております。私もこの眼で確認しましたが、その戦いぶりは人工スロガーヴの可能性があります。その名前、高い戦闘力――」

「あのリーレが生きていた……」


 テンディット子爵は顎に手を当てた。


「黄金の剣で心臓を串刺しにし、その生命活動を止めてやった。これまでの失敗作も、それで命を断てた。逆に言えば、そいつらは不死身にもなれなかった出来そこないだった」

「……」

「だが、リーレは生き延びた。黄金の剣で絶命したはずの彼女は生き返り――つまりスロガーヴの不死能力を獲得していたのだ!」


 テンディットは、ヘクサを見た。


「調査が必要だ。リーレ……奴があの人工スロガーヴの生き残りなら、これはまたとない素材となる」

「人工スロガーヴの研究」

「ああ、あの方・・・もお喜びになるだろう」


 テンディット子爵は不敵な笑みを浮かべた。


「不死の秘密を解き明かし、神にも等しい力を手にするのだ。いずれは大陸を、世界の覇権を我らの手に!」


 ヘクサは首肯する。しかし内心では、子爵の抱く大いなる野望に冷めた目を向けているのを自覚していた。


「我が主。王都での計画は失敗しましたが、次の計画は――」

「反乱が未然に防がれた以上、あの方の計画は後退する」


 テンディット子爵は屋敷内を歩きつづける。


「今しばらくは亜人どもに国を引っ掻き回してもらうしかないな」

「亜人解放戦線ですね」


 ヘクサは頷いた。


「いくつか仕掛けさせましょう。目標を指定していただければ、彼らを焚きつけます」

「頼りにしているぞ、ヘクサ」


 子爵は隣を行くヘクサの肩を軽く叩いた。


「しかし、目下のところ、ラウディとその周辺にいる者の調査が急務だ。ジュダ・シェード、そしてリーレ」

「はい、我が主」


 二人は屋敷の地下へ通じる扉の前で足を止めた。テンディット子爵は扉を開ける。

 闇が口を開け、ひんやりとした冷気が流れ込む。その先に蠢くモノの存在を感じ、ヘクサは思わず身震いを禁じえなかった。


 ――醜い化け物。


 ヘクサは口の中でその言葉を弄ぶ。


 蠢くモノども。それが、太陽の下に姿を見せる時はいつのことか――それはヘクサにもわからなかった。

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