第89話、私にして欲しいことはないか、と彼女は言った
翌日、ラウディが王城から騎士学校へやってきた。
まだ騎士学校は補修作業が終わっていない上に、新任の教官が着任していないから、休校のままだが、ラウディ曰く『城にいても暇だから』戻ってきたらしい。
騎士生寮、いつものラウディの部屋。クッキーとティーカップの置かれた机。メイド服姿のメイアがカップに紅茶を注ぐ。
「どうも。……身体はもう大丈夫ですか?」
主を庇い怪我をしたメイアに声をかける。
「ええ、ジュダ様」
メイアは淡々と一礼した。
「お気遣い、ありがとうございます」
「……どういたしまして」
案外あっさりとした受け答えに、内心では苦笑するジュダ。メイアが下がると、ジュダと向かう合う形で座るラウディが口を開いた。
「……そう、シアラは行ったのね」
ヘクサ・ヴァルゼを追うために。
今回の事件で、シアラら『幻狐』部隊は、彼女とその妹アクラ・プラティナを除いて全滅した。多くの犠牲を払ったものの、標的であるヘクサには逃亡を許してしまう結果となった。
・ ・ ・
「彼女を追わなくてはいけません」
銀髪のウルペ人少女は告げる。
「手がかりはあるのか?」
そう問えば、シアラは首を横に振った。
「また一からやりなおしです。でも、放置はできませんから」
騎士学校に戻ってくる気はあるか――ジュダは問うた。
「残念ながら、亜人は騎士生になれませんから」
人間の学校、人間の騎士を養成する場所。亜人にその資格はない。
ラウディなら、そんな規則ぶち壊す気がする――ジュダはそう告げた。
シアラが騎士学校に戻りたい、まだ騎士になりたいと言えば、ラウディはそのために関係各所に働きかけるだろう。亜人は入学を認めないという校則も破棄させるに違いない。以前より亜人に対しても公平であるラウディのことだ。
「お気持ちは嬉しいですが、他の騎士生や人間たちは認めないでしょうね」
そう悲しそうにシアラは言った。ジュダもそれ以上は言えなかった。亜人たちへの偏見ゆえの差別。それらを抱えている人間もまた多い。
「約束、覚えていますか?」
「約束?」
ジュダが目を見開けば、シアラは柔和な笑みを浮かべた。
「あなたが騎士になったら、私を騎士見習いにしてくれますか?」
それか――ジュダは頷いた。
「もし俺が騎士になったら……ああ、それは変わらない」
「ありがとう」
シアラは、はにかんだ。
「何かあったら連絡をくれ。手伝う」
ジュダはそう言って送り出したが、これにはおまけがついてくる。
姉のやりとりを黙って見守っていたアクラが、こっそりジュダの前にやってきて――
「あんたには借りがある。何かあったらウルペ人の連絡網を使ってあたしを呼びなさい」
アクラ・プラティナは指を三本上げた。
「三回よ。あんたへの借りは。ひとつ、シアラ姉の命を救ったこと。ふたつ、ヘクサの行動を阻止したこと。三つ、やっぱりシアラ姉の危機を救ったこと」
「同じのが二つあるんだが?」
「じゃあ、言い直す。三つ、あたしがシアラ姉を殺さずに済んだこと」
三つよ――とアクラは、ジュダを見据えた。
「あんたの願い事を、あたしができる範囲で三つ叶えてあげる。探し物でも暗殺でも、用があったら呼びなさい」
じゃ――と、アクラは姿を消した。姉シアラと共に、ヘクサを追うべく闇へと消えた。
・ ・ ・
ジュダの思考は、現実へと戻る。紅茶を口にし、ラウディは目を細めた。
「私たちにも何かできたらいいんだけど」
ヘクサ・ヴァルゼは恐るべき敵だ。人を操る術もだが、その体術は元幻狐の一員のことだけはある。さらに魔法にも長け、複数の武器を同時に操って見せた。……シアラやアクラの身が心配になってくる。ちょっと彼女たちでは荷が重い気がしないでもない。
「王国の方でも、ヘクサ・ヴァルゼの行方を追ってる」
ラウディは机の上で手を組んだ。
「私の命を狙い、また王国に内乱を引き起こそうとした人物だからね。一度失敗はしたけれど、また仕掛けこないという保証もない。しかも彼女の後ろには、王国の混乱を狙う存在がいる……」
「それの正体も突き止めなくてはいけませんね」
ヘクサ・ヴァルゼの背後にいる敵。ラウディは首を傾ける。
「うん。そうなんだけど……。それは王国軍でやることだから。騎士生である私たちの仕事ではない。……父上には念を押された。個人的には、放って置くのは気が重いのだけれど」
ラウディは顔をしかめるのだった。
「それでは仕方ありませんね」
ジュダは咳払いした。
「あなたのお父上や王国の方でどうにかしてくれるのを期待しましょう」
もちろん看破できない事態となれば、王国など無視してジュダ自身赴いて戦うつもりだ。
「あなたは楽観的ね」
ジュダの本心にも気づかず、ラウディは笑った。
「まあ、だから頼もしくもあるんだけど」
「気にしても仕方がないこともありますよ」
「そうだね」
ラウディはうんと伸びをして、身体の力を抜く。
「ところで、ジュダ。私はあなたにまた借りを作ってしまったんだけど」
「……おかしいな、何だか最近そんなことばかり聞きます」
ジュダは、冗談か本気かわからないような口調になった。
「貸し借りは嫌いです。気になさらずに」
「そうはいかない」
ラウディは首を横に振る。
「もらったお礼は返す――それが礼儀というもの。というか、私も貸し借りは好きじゃない。だから借りはきちんと返したい」
「そうですか。まあ、そうしたいならそうすればいいと思います」
ジュダは他人事を装い、紅茶に口をつけた。
「で、何をしてくれるんです?」
「何をして欲しい?」
ラウディは女の子っぽく小首を傾げる。ジュダは思わず噴きそうになった。
「私にできることなら、何でもしてあげようと思うんだ……」
「何でも、ですか……?」
ジュダは身構える。何故だろう、とても――とても嫌な予感がした。
「お任せします、ええ」
思いつかないし、考えたくなかった。しかしラウディはあからさまに不満顔になった。
「えー、何かあるでしょ? 私にして欲しいこと」
「た、たとえば何です?」
「たとえば……? その、女の子が男の子にするものといえば……」
ラウディがもじもじとしている。ジュダの中の不安が加速する。嫌な汗が出る。口の渇きを紅茶で潤そうとするも、すでに中身は空っぽだった。
「その……せ、せっ――」
「性的な交渉ですか?」
「違うっ、馬鹿っ!」
顔を真っ赤にしながらラウディは立ち上がった。
「いや、その、間違いでもないけど、その、キ……キ――」
き? 何だろうと少し考え浮かんできたのは。キス。接吻か。
ジュダは脳が焼けるほどの熱を感じた。くそ、冗談じゃないぞ――その、魅力的な提案でもあるけれど、よくよく考えよう。ジュダはスロガーヴであり、ラウディはレギメンスである。直接接触するのは――体質的には無理がある。そう、無理なのだ、体質的に。
ジュダは咳払いすると、能面のように無表情になる。
「お姫様の口づけはお受けしますが、王子様のそれはお断りします」
「なっ!?」
ラウディは一瞬唖然とした。だがすぐに眉をひそめ――
「えっと、お姫様ならよくて、王子じゃだめって……私は王子だけどお姫様でもあるわけで、え……ええ?」
「メイアさん! いるんでしょ? 紅茶おかわりください!」
ジュダは空になったティーカップを掲げる。
おかわりを待つ間、混乱しているラウディを他所に、ジュダは窓の外へと視線を向ける。
ヘクサ・ヴァルゼ――彼女もこの空の下、どこかに身を潜めているのだろうか。
果たして、彼女は今どこで何をしているのか。彼女の主とはいったい誰なのか。
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