第85話、嗤う狐


 ヘクサ・ヴァルゼへの襲撃は失敗した。

 仲間たちは捕らえられ、ラウディはヘクサを見上げる。一方、見下す形のヘクサは余裕綽々だ。


「あなたは他にも使い道があるからね、王子様。今は殺さないわ。もちろん、私の主に引き渡したら、どんな酷い拷問で辱められるかわかったものじゃないけど」

「それはご免被りたいな」


 ラウディは本心からそう思ったが、その態度はどこぞの騎士生めいて皮肉っぽかった。


「主か。君はそいつの命令で動いているというわけか? いったい誰だ? 亜人解放戦線か? それとも王国に仇なす何者かか? どこかの国のスパイか?」

「知りたい?」


 ヘクサは身を屈め、ラウディの顔をしげしげと見つめる。


「まあ、私の主に会えばわかるわ。ええ、あなたも知っている人……同時に、あなたのことをとても妬ましく思っている人」


 知っている人――誰だ、とラウディは頭を働かせる。

 貴族だろうか? ラウディの知り合いとなると、王族と諸侯の付き合い関連となる。いやまて、外国の王族や貴族の可能性も――


「で、どうする王子様? 私の呪術でお仲間を操ってあげましょうか? そちらなら、生存の可能はある。けれど、それを選ばなければ間違いなく死ぬわ」


 倒れるシアラに、同族の銀髪戦士が小刀を構える。サファリナの背後の騎士生が剣を振り上げ、コントロの眼前には斧を手にした大柄の騎士生……。


「あなたが決めるのよ、ラウディ様。どうする? この場で殺す? それとも決める? 私が?」


 ラウディは、心臓を鷲づかみにされたような痛みを感じる。

 自分が仲間たちの生死を決める。拒めば死。受け入れても仲間たちは呪術によってヘクサの駒となり、騎士生の反乱という茶番に付き合わされ、最悪死ぬ。どちらに転んでもろくな結果ではない。


 だが、だけど。いま目の前で凶刃に晒されているのは――身体が震えた。


「やめろ……」

「聞こえないわ。大きな声で」

「やめてくれ!」


 ラウディは首を振った。


「皆を、殺さないでくれ……」


 顔を上げられない。――メイアを、リーレを、シアラを見れない。


「王子、殿下! 私めなど、お気になさらずに!」


 コントロの声。サファリナも痛みをこらえて叫んだ。


「そ、そうですわ! こんな奴らに操られるくらいなら、死んだほうが……まし」

「あらあら、王子様、あの二人はさっさと死にたいみたいよ?」


 ヘクサは加虐的な笑みをこぼした。


「お望みどおり、始末してあげるわ」

「やめろ、ヘクサ! やめてくれ!」


 お願いだ――ラウディは叫んだ。

 狐の魔女と目が合う。彼女は笑っていた。残虐なまでに、この茶番を楽しんでいた。


「やめて欲しい? なら、私の靴を舐めてくださらない? 犬のように這いつくばって」

「な……!?」

「ヘクサ、貴様!」


 メイアが怒気鋭く叫んだ。しかしヘクサは金髪碧眼の王子しか見ていなかった。


「王子様?」


 魔女は右足を一歩前に出した。

 本気なのか? ラウディは戦慄した。両の腕を押さえつけていた騎士生の手が離れる。


 ラウディは自由となった。この惨めな、苦痛に満ちた行為をさせるために。


「……」


 言いなりになれば、皆を救えるのか?


 ラウディは自問する。だが答えは出ない。ヘクサを信用できるものか。だが逆らっても、何も起きない。魔女は嬉々としてコントロとサファリナを処刑し――ラウディの心を抉りにかかるだろう。……もう、どうすることも、できないのか。


 腕が震える。魔女の靴を、舐める――とか。


 口惜しい。口惜しい。口惜しい!


 思考のなかで、ジュダの顔が浮かんだ。どうして来ない。ジャクリーン教官にやられたのか。


 ――駄目なの……?


 ラウディの頭が下がる。手が床についた。魔女は嗜虐に満ちた笑み。


「何とも素敵なことをやっているな」


 声がした。それは待ちに待ったあの声――

 


 ・  ・  ・



 駆け抜けたのは二本の剣。

 一本はコントロの眼前の斧を弾き飛ばし、もう一本はサファリナの首を刈らんとする剣を跳ね飛ばした。


 視線が、講堂入り口に向く。集まった視線を前に、ジュダは『舞風』の峰で右肩をぽんぽんと叩く。ようやく腕が動くようになってきた。


 すっと落ちている騎士生の槍を左手で拾うと、今度は壇上のシアラ――その傍らにいる銀髪ウルペ人目掛けて放り投げた。ウルペ人は飛び退いてそれを避ける。


「何というか、腸が煮えくり返っているんだよな」

「ジュダ!」


 ラウディが声をあげる。――だからそんなあからさまに嬉しそうな顔をしないでほしい。

 ヘクサは口を開いた。


「ようやくお出ましね、ジュダ・シェード。亜人語に長けた不思議な騎士生さん」


 ジュダは魔女を見やる。いつもの淡々とした表情。しかしその眼光は獲物を引き裂かんと睨みつける。まるで血に餓えた獣のように。


「この状況がわかっている? あなたのお仲間は私の手中にある」


 ヘクサは周囲を見回した。足元にはラウディ、壇上にはシアラとメイア。騎士生に取り囲まれているリーレ、捕まっているコントロとサファリナ。


「派手なご登場だったけど、武器を捨てて降伏なさいな。でないと――」


 ヘクサは素早くしゃがむとラウディの首を掴み、立ちあがった。


「大事な王子様の命ないわよ?」

「くっ、ジュ、ジュダ」


 首を絞め上げつつ、ラウディを盾にするようにその背後につくヘクサ。元幻狐というのは納得の身のこなしである。


「ジュダ、私に、構うな!」


 ラウディは苦しそうに、しかし叫んだ。


「この魔女を、倒して……」

「それ以上無駄な空気使うと窒息しますよ、王子様」


 ヘクサはラウディの耳元で囁いた。

 ふむ――ジュダは歩き出す。悠々と、散歩するように。


「お前が、ラウディを殺すとも思えないが」

「あら、さっきの話聞いてたの? でも残念ね、殺さず生け捕りにできれば最高だけど、私の主は王子を殺せと命じていたからね」


 ヘクサは余裕たっぷりである。


「じゃあ殺せばいい」


 ジュダは言った。そのあまりのそっけなさに、ラウディは耳を疑う。


「……!?」

「冷たいのね、ジュダ君。口先だけだとしても威勢がよくてお姉さん好きだわ」

「口先だけだと思うか?」


 ジュダは肩から舞風を下ろす。


「やってみればいい。だがその時は、お前も生かしちゃおかないがな」


 正直、怒りで血管がぶちキレそうだった。いやひょっとしたら切れているのかもしれないとも思った。それほどまでに熱い憎悪の感情が渦巻いていた。


「それ以上近づくと――」

「シアラ!」


 銀髪のウルペ人少女は次の瞬間、起き上がり球状の物体を地面に叩きつけた。妹のアクラが小刀を振るおうとしたその時、球状のそれが破裂し白煙が吹き上がった。

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