第83話、ジュダ 対 ジャクリーン


 銀の一閃。舞風は空を斬る。


 ジャクリーン教官の太刀筋、それを紙一重で躱しながら、ジュダは心臓の鼓動がこれ以上ないほど荒らぶっているのを感じた。


 無抵抗でやられっぱなし、というのは性に合わない。しかし実質両手をふさがれていては、どうすることもできない。


 落とされた右腕は少しずつ回復しつつある……とは思うのだが、それがどれほどなのかわからない。確かめようにも余裕がなかった。ジャクリーンの放つ凶刃に対して一歩でも反応が遅れれば、今度はどこを切り落とされるかわかったものではない。


 あまりに腹ただしいので、一発蹴りでも入れてやろうかと思ったが、軸足一本で身体を支えての蹴りなど、ジャクリーン教官相手にはわざわざ隙を作ってやるようなものである。当たれば儲け、しかし当たらなければこちらも次の攻撃を避けられない。


 大気を扱い、魔法で時間を稼ぐことも考えたが――相応の威力があるものを放つには片腕で大気をかき回す、ひっかくイメージが必要だった。つまり両手が使えない現状、相手を足止めするだけの魔力を集めるのは難しい。


 繰り返すが、足は回避で精一杯。足に魔力を宿らせることはできても、それを魔力の塊として放つ余裕はなかった。

 まさに手も足も出ない状況だ。


 ――歯がゆい!


 まだか、まだなのか。ジュダは焦る気持ちをなだめつつ、斬られた肉同士、骨が再生するイメージを脳から送る。神経の一本一本、それらが繋がっていく――その様を想像することで魔法、治癒のそれを加えて肉体再生を促がす。


 ジャクリーン教官が、ジュダの喉元を狙った突きを放つ。とっさにしゃがむ――舞風がジュダの髪数本を切った。


 ――やば……。


 思わず態勢を低くしてしまった。下がるか、前に出るか――


「くそっ!」


 迷ったら前に! ジュダは本能的な癖で、ジャクリーン教官の胸元に飛び込んだ。ゴツンと鈍い音。ジャクリーン教官の胸、柔らかいはずのそれは胸甲に阻まれ、ジュダには額から走る痛みに思わず涙が出た。


 一方で、スロガーヴの脚力を加えた突進、その頭突きでジャクリーン教官も数メータ跳ね飛び、倒れた。しかし、すぐに彼女も起き上がろうとする。


 ジュダはわずかな隙の間に、右腕を支えていた左手を放した。切断されていた腕が落ちることはなかった。どうやら肉の再生は成功したようだ。じわじわと染みるような感覚。接合部分が熱を帯びているようだった。


 だが、まだそれだけだ。神経の再生がまだ不十分なのか、ジュダの腕はぶら下がっているだけで動かなかった。


 ――もう少し、か……!


 とりあえず、左手がこれで自由になった。ジュダは左手に大気の魔力を集める。起き上がり、再び刀を構えたジャクリーン教官に、集めた大気の塊をぶつけた。


 突風が吹き荒れる。教官の金髪が乱暴に煽られる。だがその場で彼女は踏みとどまった。

 風ではわずかな時間稼ぎにしかならない。より強い風の塊――衝撃を与えるくらい強く魔力を集めないと。……いや。


 大気中の魔力とて無限ではない。かき回せば、その分近くの魔力が減り、その力を借りるにはさらに遠くから魔力を引っぱらないといけない。それでは少しずつ魔法を使うまでのインターバルが長くなる。威力も落ちていく。ジリ貧だ。


 仕方ない。


 ジュダは背後を一瞥する。倒れている騎士生たち。彼らはまだ意識を取り戻していない。


 その隙を見逃さなかったか、ジャクリーンが前に踏み込んだが、ジュダは瞬時に後方へと跳躍している。


 ジャクリーン教官は追ってくる。その動きは鎧をまとっているにしては軽々としたもので、徐々に加速しているようにも見えた。


 ジュダは着地と同時に、騎士生の使っていた槍をつま先に引っ掛けて小さく蹴り上げると、左手でそれをキャッチする。


 槍の穂先を、迫り来る教官に向ける。


「さあ、教官。俺は槍を向けています……模範解答をよろしくお願いします」


 狙うは心の臓。そのまま突っ込んでくれば、彼女は突き出た槍でその身体を串刺しにされる。


 当然ながら、ジャクリーン教官は操られているとはいえ、戦い方の本能は働いているようで、ジュダの槍、その穂先を舞風で叩き切った。そして素早く返す刀で――


 ジュダは折れて棒になったそれをそのまま突き出した。それはジャクリーンの胸――その鎧を突き、強い衝撃を与えた。


 この一点――ジュダはスロガーヴの力を込めて突いた。木の棒と化したそれは、鎧を貫通こそしないが、肉体への衝撃はハンマーで殴ったのに等しいものがあった。


 ジャクリーン教官が倒れる。膝を折り、両手が床につく。息が詰まったように喘ぐ彼女。ジュダはその隙をついて一撃を与え、昏倒させる。


「満点の回答でした。さすが教官」


 ジュダは一息つく。左手で額を拭えば、汗をびっしりかいていた。水が欲しかった。気づけば心臓がドクドクといつもより跳ねている。


 右腕を見やる。力を込めるが伝わりが鈍く……しかし指先が少しずつ動いた。まるで痺れているように、まだまだ感覚が戻っていない。


 ――講堂に着くまでに動けばいいが。


 ジュダは倒れているジャクリーン教官の手から『舞風』を拝借する。本当は気絶しているほかの騎士生の剣なりを使おうと思った。


 だが万が一、彼女が意識を取り戻し、再び襲ってきた時に、得意の得物を持たせておくのはリスクが大き過ぎる。


 ――長いなこれ。


 ふだん使っているロングソードよりも一回り細く、しかし長い。使いにはコツがいると聞いた気がする。……たしかジャクリーン教官は『叩く』のでなく『引く』『押す』といっていたような。


「お借りします、教官。できれば壊さないようにお返しするよう努力します」


 ジュダはそう言い残すと、足早にその場を離れた。


 途端に、ラウディのことが心配になった。時間をとられた。……彼女は無事だろうか。

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