第81話、対決の時


 すっと肉薄するジュダ。ジャクリーンの冷徹な瞳。すでにその身体は飛び込んだジュダを真っ二つにするべく半身を捻らせている。

 ジュダは迫り来る刀を弾き飛ばすべく、剣を振るった。


 まず一撃。剣がぶつかり、その反動の後、ジャクリーン教官を吹き飛ば――


 ひゅんと風が舞った。

 ジュダの視界に、折れた剣の欠片がよぎった。


 ドクンと心臓が跳ねた。


 欠片の向こうのジャクリーンの目は鋼鉄のように冷たい。


 折れた。


 俺の剣が――。


 風の膜で守られた剣を、ジャクリーンは一刀の元に切り裂いたのだ。


 きらめく刀『舞風』。その刀身に一切の刃こぼれなし。

 魔断刀。魔を断つ刀――その名のとおり、魔法を切るために作られた刀。その武器の前に魔法の類で形成した防御は無力だった。


 ジャクリーン教官の体が次の斬撃へと移行する。刃を返し、元きた軌道を描くように一閃。


 ――狙いは首っ!?


 ジュダは柄だけになった剣を投げ捨て――それはジャクリーン教官の顔にあたり、一瞬の怯みを作る。だがその代償は、ジュダの右腕。


 血が飛び散った。肉から骨を澱みなく切り落し……ジュダの右腕が宙を舞った。


「ぐあっ!」


 反射で声が出た。あまりに素早い一刀にだった。篭手に覆われた腕だったものが床に跳ね転がった時、ジュダは左手で血が垂れはじめた傷跡を押さえ、下がった。


 ジャクリーン教官は踏み込んだ。再び振り下ろされる長刀。

 ジュダは、銀色に煌めく刀を避ける。


 本当に痛みを感じる暇がなかった。いや、鮮やかに神経まで切断され、本来なら激痛として伝わるような損傷を、脳が遮断しているのかもしれない。


 自身の身体の一部を失い、呆然となるのは刹那だった。獣や人間なら、取り返しがつかない喪失に思考が止まるだろうが、スロガーヴならまだ治る。元通りになる。


 教官からの突きを、血に塗れた左手で弾く。両腕なら白羽取りでも披露できたが、片腕では弾くのが精一杯だ。


 ――風……!


 ジュダは一瞬のうちに集められるだけの大気中の魔力を左手に集め、それをジャクリーンにぶつける。風の塊は彼女の腹部を直撃し、その身体を数メータ後退させる。


 そのあいだにジュダは駆けた。転がる右腕を左手で掴み、その傷跡同士を合わせる。スロガーヴの再生力なら、まだ取り返せるはずだ。綺麗に切断されている分、肉は比較的速いが、骨と神経が繋がり、再び戦えるまでにどれくらい時間がかかるか……。よろしくない状況だ。


 ジュダは態勢を整えなおしたジャクリーンを凝視する。

 額から滴る汗。口の中が乾く。


 右腕は使えない。左手も右腕の再生で塞がっている。そのあいだ、ジュダは身ひとつで教官の攻撃を凌がなくてはいけないのだ。


 ――手加減、してくれないんだろうな……やっぱり。


 ピンチである。先に向かわせたラウディやリーレたちに早く追いついてやらなくてはいけないのに、この始末だ。



  ・  ・  ・



 ジュダは大丈夫だろうか――ラウディは思った。


 リーレを先頭に、ヘクサ・ヴァルゼがいるという講堂へと向かう。呼吸が浅くなるのは、駆け足のためか、あるいは緊張のためか。……おそらく両方だろう。


 ジャクリーン教官が、学校一の剣術の使い手という評判は聞いている。ラウディは直接手合わせしたことがないが、ジュダは何度もジャクリーン教官と剣を交えているという。


 ――私とは剣をあわせてくれないのに。


 模擬戦とはいえ彼と戦ったのは最初の一回のみ。その後は彼がとことん嫌がっていた。


 ジュダなら大丈夫――そう思いたいが、相手も凄腕の教官。いかにジュダでも手間取るだろう。彼がジャクリーン教官に敗れるようなことにでもなったら……。


 考えたくもないが、ラウディたちの命運はおそらく尽きる。ジュダが勝てないなら、いったい誰が勝てるというのだろうか。


 一対一なら何とかなるかもしれない、とラウディは思う。死力を尽くせば、勝ち目もあるかもしれない。だが真の相手はジャクリーン教官ではないのだ。


 ヘクサ・ヴァルゼ。


 すべての元凶。彼女は討たねばならない。騎士生や教官たちを操る。それだけに留まらず、同期の仲間たちを使ってラウディの命を狙わせたウルペ人女。許してはおけない。


 先陣切ってリーレが講堂へ飛び込む。やや遅れて、ラウディ、コントロ、サファリナが続き、後尾はメイアとシアラである。


 視界に飛び込んできたのは、完全武装の騎士生が五列の行進隊列で講堂に並んでいる姿。壇上には、闇色のローブをまとったウルペ人の魔術師ヘクサ・ヴァルゼと、騎士学校教官――上級学年の主任教官であるグライフ・アシャット他数名が立っていた。


「ようこそ、ラウディ王子殿下」


 マギサ・カマラの声で、ヘクサ・ヴァルゼは告げた。


「お待ちいたしておりました」

「貴様がすべての元凶か!」


 ラウディは声を張り上げた。壇上のウルペ人は否定しなかった。


「そちらの銀狐から聞きましたか? おっしゃる通り、私が一連の事件の元凶です。……王子殿下、貴方様のお命を狙った事件のね」


 狐人は妖艶な笑みを浮かべ、ラウディの背後のシアラを見やる。


「でももう手遅れですよ。騎士生という手駒は揃いました。邪魔する者はあなたたち以外、もういない」

「そうでしょうか」


 シアラが敢然とヘクサを睨み返した。


「『幻狐』があなたを抹殺します。……あなたが言うほど、そちらが優勢ではありません!」

「あら、それはどうかしら」


 クスクスとヘクサ・ヴァルゼは笑った。


「銀狐さん? あなたのいうお仲間は今どこにいるかしら? あなたたち六人の他に、あなたのお味方は?」

「……」


 シアラは押し黙る。そういえばそうだ、とラウディは緊張する。


 幻狐の戦士たちは、どこにいるのか。ヘクサ・ヴァルゼを殺害すべく派遣されたウルペ人たち。ラウディが見ただけでも十人以上はいたが……。


「教えてあげましょうか銀狐さん。あなたのお仲間――」


 ヘクサが人差し指を上に向け――ほぼ同時に、サファリナが「ひっ!?」と声を上げた。


 緑髪の女騎士生は講堂の天上を見上げていた。その視線の先を追い、ラウディも目を見開く。


 天井から狐人の戦士たちが首を吊られていた。おそらく戦士全員。十幾つもの黒装束の戦士たちが全身血だるまとなり、その上からロープで吊るされている。


「私に戦いを挑んだ愚か者の末路……」


 ヘクサは唇の端を吊り上げた。


「あなたたちも、抵抗するならその末席に加えてあげますよ。もし命乞いをするなら殺さずに生かしてさしあげます。……ただし、そこの騎士生たち同様、私の兵隊となるのですが。でも大丈夫、苦しいことは一切ありません。それどころか、もう何も考えなくもいい」

「……」


 シアラが絶句している。仲間たちの骸――その無残な姿に声も出ないようだった。サファリナも震え、ラウディも心の底から不安に苛まれる。


「ふざけるなっ!」


 声を荒らげたのはコントロだった。彼は剣を構え、ヘクサを睨んだ。


「お前の操り人形になるなど、ご免こうむる。たとえ、わが身は滅びることになろうともお前に服従など絶対に、ありえないッ! 絶対にだ!」

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