第80話、校内突破
剣が怖いと思わなくなったのはいつのことだったか、ジュダは思い出せなかった。
幼い頃に母を失い、辺境の亜人の集落に移り住んだ。そこでロウガ人の兄弟と共に他の亜人と接しながら過ごしたが、同時に剣を握り、その腕前を鍛えていた。
師匠は人間だった。自称、王国に仕えた騎士。だがその集落にいる間は、飲んだくれだった。それでも剣の腕前は抜群だった。
鉄壁。
ジュダは、その師を剣で一度も傷つけることができなかった。彼は剣技にも優れていたが、素手での戦い方もまた秀でていた。
『いいか、ジュダ。戦場では往々にして武器が壊れたり手元になかったりする』
よく師は言っていた。
『剣を盾のように扱ってばかりでは、その盾がなくなった時、どうしようもなくなる。騎士にとって剣は命だが、世の中そうも言っていられない。特にお前はよく剣を壊すからな。俺のように素手で剣をかわす術を身につければ、誰一人、武器でお前を傷つけることなどできなくなるだろう』
オレがそうだったんだから間違いない――酒に酔った顔で言っていたが、彼に関しては本当だろうと今でも思う。
『ま、お前の身体はトカゲの尻尾みたく、ちょっと切り落とされたくらいなら、すぐにくっつければ治るけどな。……スロガーヴ。黄金の武器じゃなきゃ元通りとか、ズル過ぎるだろう』
・ ・ ・
剣が迫る。上段から、向かって右からの振り下ろし。これを躱すには――ジュダは慣れたもので、騎士生の振り下ろす剣を避けると――そのがら空きとなった顔面に拳を叩き込んだ。
続いて槍、その穂先がぐんぐん迫る。その狙いは左前、脇腹部分か――ジュダは一歩右にずれて、脇の下に槍を通すと右肩を前に体当たりするように肉薄。右手甲を立て、勢いのまま相手の顔面に一撃を入れた。
倒れる騎士生。隣クラスの奴だった。その顔を見下ろし、ジュダは一息つく。
リーレが向かってきた騎士生の背後に回りこみ、剣の柄でその騎士生を昏倒させる。それで一団は全滅した。
「いやはやもうね、あんた見てると呆れるわ」
「そうか?」
「剣も抜かずに格闘で相手を黙らせるとか。ほんと、あんた剣いらないんじゃない?」
「この程度なら、剣を使うまでもないってことだ」
正直、練成途上の騎士生の剣にやられるような鍛え方はしていない。同期生程度の腕前など、ジュダに言わせればもう何年も前に通過している。
ジュダは振り返る。
ラウディを守るようにコントロ、サファリナ、メイアが固めている。ラウディにしても槍を持ち、防具で身を固めているが、今のところ、ジュダとリーレだけで事足りている。
「メイアさん」
「このまま講堂へ向かってください」
「ヘクサはそこにいます。ただし、騎士生五十他、教官数名がいますが」
「教官陣」
ラウディが口を開いた。
「敵に回すと厄介だな」
「そうですね――」
ジュダは視線を廊下の先に向けた。
「特に
「……」
長い金髪。刃物のような鋭い目元に青い瞳。長刀『舞風』を操る女騎士――ジャクリーン・フォレス。
エイレン騎士学校一の騎士が、ジュダたちの前に立ち塞がる。
――俺が一番当たりたくなかった相手だ。
騎士生たちはマギサ=ヘクサから呪術を施された。黄金衛士たちも同様で、騎士学校の教官たちも言わずもがな。当然、彼女も操られている。
ジュダは腰の剣に手を伸ばす。
油断するつもりはない。だが彼女を無力化させるのは、難しいだろうと思う。
一瞬の躊躇いが死に繋がる。ならば、彼女を殺さなくてはならない。……そう、だから当たりたくないのだ。本気を出したら、ジャクリーン教官の命はないのだから。
剣が怖くないと言ったが、もし戦いの中で恐怖をおぼえたとしたら、ジュダは間違いなくその相手を殺すだろう。
たとえ、それが自分に好意的な教官であろうとも。……姉のように慕っていたとしても、だ。
「とりあえず、あの人は何とかするから、先に講堂へ行ってくれないか?」
ジュダはリーレに告げた。本当はラウディから目を離して、敵が待ち受けている場所に送るのは気が引けるのだが、そうも言っていられない。
「すぐに追いつく」
「……わかったわ」
ジュダが本気でジャクリーンに対峙しようとしているのを察したか、リーレは真顔で応じた。
「俺が行くまで、ラウディを守れよ」
頼むぞ――と赤毛の少女に言うと、ジュダは背後を一瞥した。
「ラウディ、ここは引き受けます。先に」
「ジュダ」
「大丈夫、ちょっと教官殿のお相手をするだけです。すぐに片づけます」
「……あまり無理をするな」
金髪の王子様は頷く。
「ジャクリーン教官相手なら……逃げても誰も文句は言わない」
「逃げて時間稼ぎをしろと?」
ジュダは小さく笑った。
「冗談。時間を掛けたら、あなたを守れないでしょ」
ラウディはコントロらと共に迂回路をとる。リーレもそれに付き、ジュダは一人、ジャクリーン教官の前に立った。
場を一対一にしたのは、自身の本気を誰にも見せないようにするためだ。
スロガーヴ。その常人離れした能力――それをラウディや他の者たちに見せて、正体を悟られるようなことはしたくない。
逆に言えば、ジャクリーン教官は、ジュダが本気を出すことを前提に戦いを挑もうとしている相手だということである。
力を出さない、極力人間として彼女と向き合ったことはある。もちろん訓練であり実戦ではないが。だがそこで彼女から一本をとったことがない。とられてもいないが――
時間をかけると面倒だ。速攻でケリをつける。
「……操られている時って記憶ないんでしたっけ?」
反応があるとは思わなかったが、つい声に出してしまう。ジャクリーンはその鋭い目に殺意を滾らせ、長刀を構えた。
懐にもぐりこめば、刀身が長い分小回りが利かないと思っていた頃もあるが、正直誤差の範囲である。腰が人一倍強いのか、ジャクリーンの剣さばきは実に早く、また力強い。
――だが、刀がなくなればどうかな……?
ジュダは剣に指を走らせる。大気中の魔力を集め、剣にまとわす――風の膜は相手の剣を流し、また鋭い刃となる。
「あなたには悪いが――」
ジュダは狼脚を用い、飛び込む。
「その刀、折らせてもらうっ!」
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