第76話、ヘクサ・ヴァルゼ
「お久しぶりです、ラウディ王子殿下」
シアラ・プラティナはラウディの前に跪いた。その落ち着いた物腰は、かつての内気なクラスメイトとは思えないほどで、ラウディのほうが面食らっていた。
「お話は伺っております殿下。私が収監された際、釈放のために尽力いただいたとか。感謝の言葉もありません」
「いや……その」
ラウディは戸惑っていた。
騎士学校に亜人――シアラが潜り込んでいたこと。正体を隠していたシアラではあるが、それは幼き頃の誓い、騎士になるためであり、決して亜人たちのスパイだったわけではない。
だが正体が露見したことによりシアラは逮捕された。その逮捕に納得できなかったラウディは、シアラを救おうとするが果たせなかった。ラウディは知らないが、ジュダが強硬手段を用いて彼女を解放した。
その一件で行方不明とされたシアラ。もしかしたら彼女は死んでしまったのかもしれないとラウディは思っていたから、目の前に現れたウルペ人少女に戸惑うのも無理はなかった。
「……君も無事でよかった」
ようやくそう言うと、シアラは「ありがとうございます」と再度頭を下げた。
「しかし、シアラ」
ラウディはしげしげと銀髪の狐人を見やる。
「その格好……君は『幻狐』の」
「はい、幻狐の一族の生まれです」
シアラは心持ち視線を下げた。
「ですが、誤解しないでいただきたいのは、騎士学校に入ったのはあくまで個人的な夢のため。一族や幻狐は関係ありません」
「うん……わかった」
ラウディはそれ以上は言わなかった。口を開いたのはコントロだった。
「しかしシアラ・プラティナ。君はいま『幻狐』に属しているようだが……王子殿下のお命を狙っているのか?」
「まさか。ありえません」
シアラはきっぱり告げた。コントロは難しい顔で、サファリナは疑わしげな視線で、シアラを見つめる。
「私たちの目的は、ラウディ殿下ではありません。ヘクサ・ヴァルゼの殺害です」
「ヘクサ……?」
コントロが首を傾げれば、ラウディは眉をひそめた。
「誰だ、それは?」
「マギサ・カマラですよ」
ジュダは補足した。
「正しくは、マギサ・カマラと名乗っているあのウルペ人の魔術師です」
「マギサ――!?」
ラウディはもちろん、コントロも驚いた。
「どういうことだ?」
「ヘクサ・ヴァルゼは、裏切り者です」
マギサ・カマラの偽者――その正体はヘクサ・ヴァルゼと言った。
かつて『幻狐』にも所属していた暗殺者にして魔術師。ウルペ人ではあるが、いまは一族と縁を切って、何かしらの陰謀に加担しているらしい。『幻狐』はヘクサの行動を阻止するため、裏切り者である彼女を抹殺すべく動いていた。
「ヘクサ・ヴァルゼの目的は?」
リーレが問うた。シアラは赤毛の少女を見やり答えた。
「それについてはわかりません。ただ、王子殿下を暗殺しようとする一派がいて、それに協力しているようなのです」
「信じられない……」
コントロがショックも露わに言った。
「彼女は私にかけられていた呪術を解いてくれた。……その彼女がマギサ・カマラを騙り、このようなことをするなんて」
「そうやって信用させようってことでしょうが」
リーレが顔をしかめれば、サファリナがその豊かな胸を逸らしながら言った。
「やっぱり信用ならなかったわ、あの狐人」
それに対して、誰も何も言わなかった。ジュダは首を振った。
「創立祭の時に君に呪術をかけたのは、ヘクサかもしれない」
最初のラウディ暗殺未遂。あの場にヘクサは紛れ込んでいた。
「何食わぬ顔でここに現れ、お前の呪術を解く。自作自演というやつだ」
コントロは両手で頭を抱えた。操られていたことへの悔しさ、信じていた者の裏切り――彼の中によぎる感情は恐らく熱い憤りだろう。
「状況はこうです」
居並ぶ人間たちを前に、シアラ・プラティナは告げた。
「ヘクサ・ヴァルゼの呪術により、この部屋にいない騎士学校にいる者すべてが操られていると思われます。ヘクサはラウディ王子殿下のお命を狙っています」
「騎士学校の騎士生を手駒にして。……なんて卑劣なやつだ」
ラウディの端麗な顔立ちが苦渋に満ちたものになる。
「私たちはマギサ・カマラの偽者を信じ、騎士生全員を奴の操り人形にしてしまう手助けをしてしまった」
王子はシアラに頭を下げた。
「君たちはそれを阻止しようとしてくれたのに。私は妨害してしまった。すまない」
「い、いえラウディ様が頭を下げられることは――」
シアラが驚き、首を横に振った。
「こちらこそ、真実をお伝えできず、申し訳ありません。できれば一族のほうで内々に処理したかったのですが……。もっと早くお伝えできれば」
「……ひとまず、それは置いておかない?」
やりとりを見ていたリーレが淡々と言った。
「いまは、この状況からどう動くかを話し合うべきだと思う」
「そ、その通りだ」
コントロがラウディに向きを変えた。
「騎士生全員が敵に操られている以上、ここに留まるのは危険です。いまのうちに学校を脱出すべきかと」
「……彼の言うとおりです」
傷が痛むのか、メイアが顔を歪ませる。
「王子殿下の御身が大事。王城へ逃れ、態勢を整えるのが上策かと」
「この状況で脱出だと……?」
ラウディは、馬鹿なと言わんばかりに険しかった。
「操られている騎士生たちを見捨てて逃げろというのか?」
「賛成できませんわね」
サファリナが口を挟んだ。
「ヘクサとかいうウルペ人を討てば、操られている者たちも元に戻るのではなくて? さっき校庭の方を見たけど、騎士生が大勢いるわ。脱出より、敵の魔術師を討つほうが早いと思いますわ!」
わかっているのだろうか、とジュダは思った。いま戦うとすれば、相手はヘクサというウルペ人だけではないということを。
「……敵の目的はラウディ様のお命」
王子付きの侍女は事務的に告げた。
「あなた様の命が何より優先されます。ここで引くのも勇気です」
「同意します」
ジュダはラウディに告げた。
「ラウディ、あなたは学校を離れるべきです。留まっても何一ついいことはありません」
「……しかし、私がここを離れて、その後はどうなる? 騎士生たちは操られたままだ。生徒たちは誰が助ける? この事態をどう決着をつけるというんだ?」
「それでしたら」
シアラが口を開いた。
「幻狐がヘクサを仕留めます。もちろん、騎士生の妨害はあるでしょうが、極力犠牲は出さないように留意します」
「……誰一人死なせない、そう言えるか?」
ラウディはシアラを見つめた。
「ヘクサを討つ、それ以外に、犠牲者は出ない?」
「それは……お約束はできかねます」
シアラは視線を落とした。
「犠牲は最小限にする努力はします」
誰一人死なせない――果たしてそんな約束ができる奴などいるのだろうか。酷な問いだったようにジュダは感じた。
「ジュダ」
ラウディが見つめてくる。また何か面倒なことを言う前触れのような気がした。
「私は踏ん切りがつかない。というか、気になっていることがある」
「何でしょう?」
「私が騎士学校を脱出した後のことだ」
脱出できることを前提に話を進めているような気がしたが、それは突っ込まないことにした。
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