第75話、混沌の騎士学校


 ジュダ・シェード。乱暴者にして無礼者。サファリナにとって因縁深き男。愛用の剣を叩き折られて以来、毛嫌いしていたクラスメイト。


 最近ではラウディ殿下に気にいられ、また、先日の創立記念祭における亜人の襲撃の時は、敵の攻撃からサファリナ自身の命を救ってくれた恩人でもある。


 ……もっと距離を縮めたくても、それまでの行為やプライドが邪魔して、中々想いを伝えられない相手でもある。


 それが何故ここに? だが疑問が口から出ることはなかった。


 はっきり言えば、彼が振り返りサファリナを見た時の目が、見間違いか、獣の如く金色に光っていたように見えたからだ。

 獣に睨まれ、すくんでしまった子兎にでもなった気分だった。


 ドキリと胸の奥が疼く。恐怖とは違う感情。彼から感じる圧倒的な力の一端。以前、彼を怒らせ、首を絞められた時に感じた奇妙な感覚が蘇る。痛いはずなのに、何故か心を揺さぶられる……。


 その彼が口を開いた時、サファリナは無意識のうちに怒られると身構えてしまった。


「無事か?」


 あまりに意外なもののように感じた。サファリナは顔を上げる。


 ジュダはいつもの何を考えているかわからない顔で、彼女を見下ろしていた。目が光って見えたのはやはり気のせいだった。たぶんそうだ。魔石灯の光の反射だろう。


「怪我は?」


 怪我――サファリナは自身の身体をまさぐり、どこも怪我していないことに気づき、同時に自身の寝間着姿を見られていることに気づき、思わず赤面した。


「け、怪我などしていませんわ!」


 声が上ずった。彼が、寝間着ごしに豊かな胸を見ているように感じ、サファリナはそれを庇うように抱きしめる。


 ――また、助けられた……彼に。


 ぎゅっ、と胸の奥が締め付けられたような感覚に苛まれる。ただ、サファリナの口から出た言葉は――


「いつまでジロジロ見てますの!? この――」

「大丈夫そうだな」


 ジュダは何事もないようにすっと視線を逸らした。というより部屋の中を見回した。サファリナの中に浮かんだ感情も途端に萎んだ。


 武装した騎士生。クラスメイトや従者の生首。サファリナは青ざめ、また震えてくるのを抑えられなかった。


「ジュダ君」


 声がした。見れば部屋に漆黒の衣裳をまとった銀色髪のウルペ人が入ってきた。同時にサファリナは驚きと共にばつの悪さを味わった。


 シアラ・プラティナ。


 かつてのクラスメイト。亜人解放戦線のスパイと疑い――サファリナ自身が騒ぎ立て、その時、ジュダに首を絞められた――収容所送りとなった少女。それが狐人集団の衣裳姿で現れ、サファリナは困惑の度を深めた。


「どうだった?」


 ジュダが問えば、シアラは首を横に振った。サファリナは何とか足に力を入れ、壁を支えに立ち上がる。


「いったい何ですの、これは!?」

「悪夢だよ」


 ジュダはボソリといった。


「騎士学校が敵になったんだ」

「え……?」


 意味がわからなかった。ジュダの冷やかな視線がサファリナを見やる。


「昼間、マギサ・カマラの処置を受けた者全員が敵になったんだよ。そして処置を受けなかった騎士生のうち生き残っているのは――」


 ジュダは躊躇いの欠片もない口調で言った。


「君だけだ、サファリナ」


 彼をそう言うと、手近なところに倒れている騎士生のそばに屈み、その防具をはずし始めた。


「時間がない。最低限の装備だけ持っていくぞ」

「行くって……どこへですの?」


 いまだ考えがまとまらないサファリナが言えば、黒髪の騎士生は小首を傾げた。


「ラウディの許に決まっているだろう?」



  ・  ・  ・



 目の前の光景が信じられなかった。


 ラウディは、リーレが黄金衛士の喉元を裂き、殺害するのを目の当たりにした。

 王族を警護する近衛隊、その中でも優秀な者たちで固めた黄金衛士。

 本来ならラウディを守るために盾となり、剣となる騎士たち。その彼らが煌めかせた剣の刃を、あろうことかラウディに向けた。


 その凶刃からラウディを庇ったメイアが傷を負った。なおも反逆した衛士たちは、リーレの手によってが仕留められた。


「いったい何だこれは!?」


 ラウディは声を荒らげた。腕に傷を負ったメイアを支え、ラウディの青い目は、今なお血に染まった剣を手にしているリーレに向いている。


「どうして、護衛が私に剣を向けた!?」


 リーレは答えなかった。講堂からラウディに付き従った時に一度脱いでいた革鎧の装着をはじめ、一人戦う準備を整えていく。その視線は殺人の後にもかかわらず、揺れることもなく、まるで何事でなかったかのような無機的な冷たさを感じさせた。


「コントロ!」


 ラウディの視線が、部屋に残る最後の一人に向いた。


 ラウディ、メイア、リーレ。そしてコントロ。王子の部屋にいるのがこの四人だ。他に四人、警備の黄金衛士がいたが、彼らはすでにリーレによってその命を断たれている。


「それが、私にも……」


 困惑をにじませるコントロ。彼は王子からの注視に対し、躊躇いがちに告げる。


「何故、近衛が突然、殿下に剣を向けたのか……ただ私めとリーレは、ジュダ・シェードより貴方様の御身を守るよう言われただけで」

「私の身を守る?」


 ハッ、とラウディは苛立ちも露わにした。リーレが黙々と戦闘の準備をしているのもそれか。


「それで、護衛を殺したと……!」


 思い出しただけで身体が震えてくる。絶対の安心を抱いていた者に裏切られ、ラウディは足が地面につかないような、奇妙な浮遊感の中にあった。


 冷静にならねばと理性は囁くが、感情が追いつかない。抑えられない。


「いや、それより、肝心のジュダはどこにいるんだ!」


 ラウディはメイアに応急手当を施しつつ、ここにいない黒髪の騎士生に怒りにも似た感情を抱く。


 いつもそうだ。そばにいて欲しい時にいない。目を離すと、すぐにどこかへ消えてしまう。


 ――君は私の騎士だろう?


 廊下から足音が響く。甲冑の音、武装した者たちの足音。リーレが部屋の外を覗き込み、すぐさま扉を閉めた。同時に手近にあった家具を扉の前に移動させ始めた。


「コントロ、ソファーとか椅子もってきて!」


 リーレが迷いのない声で言った。どうするべきか、わかっているかのような冷静さ。コントロは赤毛の騎士生の口調から必要なことと判断したらしく、ソファーを移動させ、リーレと同じく即席のバリケードを作り始めた。


「説明はしてくれるか? これはどういうことだ?」


 コントロは手を動かしながらリーレに問う。


「あいつら武装してた。……前のあんたと同じ感じ」

「それは――」


 コントロは絶句したが、おそらく意味を悟ったのだろう。


 ラウディも思う。コントロと同じ、とは、ウルペ人の呪術、それによって操られているということだ。だが、それはマギサ・カマラが対抗魔術で対策したのではなかったのか。


 扉の向こうが騒がしくなった。

 何かが壁に当たる音。床に重いものが当たる音。廊下の窓ガラスが割れる音など、荒々しい音が連続する。リーレとコントロが動きを止めた。


 やがて廊下の外が静かになる。


 沈黙。


 だが唐突に扉のノブが回る。しかし扉は家具でふさがれているので開かなかった。リーレが剣を構え、コントロも腰の細剣を抜いた。


 思わず喉がなる。


 数秒後、激しい轟音と共に扉とバリケードとなっていた家具が吹っ飛んだ。投石器で岩でも放り込まれたような威力。吹き飛んだ家具に巻き込まれるコントロ。ラウディはメイアを庇いながら姿勢を低くする。扉から直線上にいなかったのでラウディとメイアに被害はなかった。


 衝撃の後、すっと部屋に入り込む人影。しかし現れた人物の姿に、ラウディは思わず溜めていた息を吐き出した。


「ジュダ……!」

「ご無事ですか、ラウディ」


 いつもの淡々とした様子でジュダがやってくる。


 さらにその後ろから、緑髪の騎士生――サファリナが続き、銀髪のウルペ人――幻狐の戦闘服姿のシアラが現れ、ラウディはぽかんとしてしまった。

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