第74話、騎士学校の異変


 騎士学校には牢屋がある。


 重度の校則違反や、窃盗などの犯罪行為に手を染めた騎士生などを収監する施設だ。


 複数ある牢は、石造りの部屋に鉄格子がはめられたものだが、その中で数室、『懲罰房』と呼ばれる独房がある。

 こちらは特に重度の違反や傷害行為に及んだ者が入れられる。

 構造自体は石造りである点は他の牢と同じだが、扉は鋼鉄製。鉄格子の小窓以外、外、あるいは内の様子を知る術はなかった。


 この懲罰房に、騎士学校と関係のない者がひとり、囚われている。

 狐面のウルペ女。銀色の長い髪の少女は、手枷と足枷をかけられて座り込んでいた。


 名はアクラ。仲間うちでは『水銀』と呼ばれている。瞳の色は水色。彼女には姉がいるが、彼女の瞳は青で『青銀』と呼ぶ。


 堅牢な造りの壁、その一角の小さな窓から見やる外は真っ暗で、すっかり夜となっていた。


 ――話が違うじゃない。


 アクラは座位を変える。人間も警戒しているのか、独房に放り込んだ上に枷までかけられたので、窮屈この上ない。


 ――姉さんの言う奴、ぜんぜん来ないんだけど!


 ここにはいない姉に心の中で文句を言いつつ、アクラはじっとしていた。


 対面したのは王国の黄金衛士、騎士学校の教官、それとラウディ王子様一行――ただアクラはその誰とも口を利いていない。

 姉との話で、アクラが会話を交わしていい相手は、ただ一人。ラウディ王子の護衛についている騎士生――ジュダ・シェードという男だ。


 彼には、事の真相をすべて語る用意があった。

 幻孤が狙う標的、その理由。そして本物のマギサ・カマラのこと。


 ――信頼に足る相手と姉さんは言うけれど……。


 その相手が来ないのでは捕まり損である。こちらとしては、あのマギサ・カマラを騙る偽者を殺せればそれでよかった。


 だが偽者は、うまく人間たちの護衛を引き込み、こちらの行動を妨げてきた。その障害の一因であるジュダ・シェードに真相を話せば、事態は好転する、とアクラの姉は言っていたが……。


 ――やっぱり姉さんの言うとおりにしておけばよかったのかな。


 捕まり役がアクラではなく姉だったら――間違いなく、ジュダ・シェードは会いに来ていた。


 実際、姉は捕まり役を申し出たが、アクラがそれを止めさせた。人間を信用して手痛い目に遭い、殺されかけた姉に、古傷を呼び起こすようなことをさせられない。チームリーダーを務めるアクラは、今回の計画においては姉より権限があった。


 だが、それも裏目に出たかもしれない。結果として確実性より、身内の心配を優先してしまった形になったからだ。本当なら、逆でなければならない。一族身内よりも確実性をとれ――これでは幻孤失格である。


 深くため息をつく。

 その時、アクラの聴覚に、こちらに近づく足音が聞こえた。


 やっと来たのか。一瞬、期待する自分がいたが、すぐに牢の外から聞こえた足音が、まったく別のものとわかった。恐らく人間の女性だ。これには落胆した。


 ――食事かな。


 アクラは何の期待もせず、そっぽを向いた。


 足音は懲罰房の前で止まった。鍵を開ける音が聞こえ、重々しい鋼鉄の扉が開かれた。

 話すことはないから、誰が入ってきたのか見向きもしなかった。だが――


「おやおや、可愛らしいお嬢さんだこと……」


 その艶やかな女の声に、アクラの耳はピクリと動き、視線は殺気を込めて動いた。


 そこに立っていたのは、深々とフードを被り、夜空を溶かし込んだような不思議な光沢のある闇色のローブに身を包んだ魔術師。


 しゃらん――と鈴の音が地下に響いた。

 


  ・  ・  ・


 

 いったい何が起こっているのかわからなかった。


 騎士生サファリナ・ルーベルケレスは寝間着姿だった。就寝の時間である。騎士学校の明かりは落ち、明日に備えて休む。


 いつもどおりのはずだった。


 だが周りは騒がしい。やたらと金属が擦れるような音がしたのだ。

 どこかのクラスが夜間の行軍訓練でもやるのだろうか。最初はそう思った。完全装備で夜間行進や遠征の授業はなくもない。


 当然ながら、サファリナは他のクラスがいつどんな授業を受けるかなど興味がなかった。校庭にしろ、学校の外にしろ、直に静かになるだろうと思った。


 その通りに、一度は静かになった。しかし、少ししたら寮内がまた騒々しくなってきた。甲冑姿で廊下を歩き回っているのか。せっかく寝かかっていたのに、目が覚めてしまった。


 苛立ちに文句の一つも出かかるが、直後に悲鳴のような声が聞こえた。


 聞き違いかと思った。サファリナ付きのメイドが隣の部屋からやってきた。彼女もそれが聞こえたらしい。サファリナは当然の如く、騒ぎの元を確認してくるようメイドに告げた。


 メイドが立ち去って間もなく、彼女の声が聞こえた。切羽詰った声、声を荒らげているのか部屋の中にまで声が聞こえたが、内容までは聞き取れなかった。直後、彼女の悲鳴が聞こえた。


 何事――?


 サファリナはベッドを降りた。暴漢、あるいは侵入者か? 例の狐の襲撃者たちのことが脳裏をよぎった。サファリナは側に立てかけてあった愛用のレイピアを手に扉を開けようした。


 しかし、扉はひとりでに開いた。


 思わず飛び退く。扉が開き、見知ったクラスメイトが入ってきた。黒髪ロングのメラン、灰色のショートカットの真面目娘リアハだった。


 まったく、驚かせないで――悪態の一つもでかかる。自身が寝間着姿であることを思い出し、さらに気分が下がる。


「あなたたち、いったい何時だと思って――」


 そこから先の言葉は出なかった。ポタリと水滴が落ちる。


 サファリナは驚愕した。

 部屋に数人の武装した騎士生が入ってくる。血が滴る剣、返り血に染まった甲冑。そして槍を持った者たちの得物の先には、見知った騎士生や従者たちの切り落とされた生首。


「ああ……あぁ」


 サファリナはその場にへたり込んだ。息が荒ぶる。目がこれ以上ないほど見開かれ、全身が震えた。立つこともままならない。


 ――なにこれ? 何、いったい? これは夢? なんで。どうして? 


 唇まで震え、声が出ない。喉元に何かを突っ込まれた錯覚を覚える。

 剣を持ったメランが、表情の欠落した顔のままゆっくりとした動きと近づいてきた。


 ――じょ、冗談よね? ま、まさか、それでわたくしを殺そうとか……!?


 首を刎ねる。他の騎士生、従者たちのように。


 ――嫌だ。イヤ……来ないで! 触らないでっ!


 しかし声は出ない。レイピアを持った手も震えて、得意の剣技どころではない。


 死。サファリナは目尻に涙をため、しかし迫る凶器を見つめることしかできなかった。


 振り上げられた剣。

 その時窓が割れ――黒い塊が部屋に飛び込んできた。サファリナの視界が真っ黒に染まる。


 死んだ。これが死ぬという感覚? 


 ドンと何かがぶつかる音がした。続いて金属の音とともに、ゴトゴトと塊が床に落ちる音。そのひとつがサファリナの足元に転がり――


「ひっ!?」


 生首だった。しかし同時に、自分がまだ生きていることに気づく。


 視界が覆ったと思ったのは、何者かの後ろ姿。そしてそれは、サファリナに迫った騎士生たちを次々に力任せに吹き飛ばし、壁に叩き付けていった。家から持ち込んだ家具が甲冑をまとった騎士生の重量に耐え切れず壊れていく。


 気づけば、昏倒した騎士生が幾人も折り重なり倒れ付す、異常な光景が広がっていた。

 状況が飲み込めていないサファリナは、騎士生たちを殴り倒した介入者を見上げ、絶句した。


 ジュダ・シェード――貴族生たちからの嫌われ者だった男が、何故かサファリナを助けに現れたのだ。

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