第70話、狙う者


 何か揉め事があったようだった。


 トライド・カルガは、騎士学校校舎屋上から、講堂の様子を望遠鏡スコープごしに覗いていた。


 黒のフード付き外套を纏い、じっと様子を観察している彼の傍らには魔石長銃。

 彼は傭兵である。ただ、賞金稼ぎと言われることが多い。金になることなら、盗みも殺しもやる。


 得意としているのは、得物である長銃を使った銃撃。特別加工の魔石弾を用い、狙撃から近接戦闘まで何でもござれ。象亜人の鼻を吹っ飛ばすのも、馬亜人のポニーテイルの先を撃つのも朝飯前である。


「……そろそろか」


 講堂にいる人数も減ってきている。騎士学校の生徒たちに、魔術師がなにやら魔法をかけていたようだが……。


 トライドは一瞬考えかけ、頭を振った。

 自分には関係ないことだ。騎士生のガキどもがどうなろうと知ったことではない。自分がやるべきことは、ヴァーレンラントの王子を『この場』で狙撃することだ。


 退路は確保済み。王国ご自慢の黄金甲冑の近衛隊は、王子の周りにいる。一撃撃って、素早く撤退すれば逃げきれる。


 魔石長銃を手に取る。黒塗りの銃は磨き抜かれ、手入れも万全である。完璧な仕事をするには完璧な準備が必要だ――腰のポーチから、専用の鉄弾を出す。魔力的効果のない、鉄製の銃弾。弾道がぶれやすいが、当たった時の殺傷力は魔法効果のある魔石弾より高い。……そう、こいつを当てられて初めて、狙撃手と呼べる腕前と言えるのだ。


 呼吸を整える。じりじりと照りつける太陽のせいで熱い。吹き抜ける風は弱く、またそれも生暖かいので涼しさなど欠片もない。


 汗を拭う。静かに呼吸を、心臓を静めていく。スコープを長銃に取り付け、集中――?


 トライドは背後に気配を感じた。


 見れば、そこに女とおぼしき体つきの人影があった。先ほど誰もいなかったそこに、唐突に現れた感じだ。


 黒装束。銀色の髪。そして『狐面』。

 傭兵は口元を歪めた。


「狐の使いか。……さっさとやれってか?」


 すっと長銃を講堂に向けて構え、スコープごしに標的である金髪碧眼の王子へ向ける。


「始めるかい? こっちはいつでもオーケーだぜ」



  ・  ・  ・



 魔力眼ドリァウスールが遮られました――メイアの話に、ジュダは席を立ち、講堂を後にした。


 昨夜、メイアは魔力眼で学校を監視していると言っていた。同時にここ最近、その魔力眼の働きが弱くなっているとも。


 校舎屋上の置かれている眼の一つが、まったく働かなくなったと彼女は告げた。


 敵の仕業か――ラウディの側を離れられないメイアに代わり、ジュダが様子を見に行くことになった。


 だが、それは遅かったと言わざるを得なかった。

 突然、講堂前の出入り口から多量の煙が湧き起ったのだ。亜人の集落から王都に戻った直後、狐面の集団に襲われたその時の光景を思い出す。


 俺が離れた途端にこれとは――ジュダは講堂にとって返す。


 煙幕に紛れ、例の狐面の集団が講堂になだれ込んだ。

 敵襲に備えていた黄金衛士たちは、ラウディとマギサ・カマラを守る数人を残し、素早く迎撃した。黄金の盾を構え、手にした剣や小槍で襲撃者と相対する。


 しかし、襲撃者たちは黄金衛士との衝突寸前、またも煙幕を用いた。吹き出る白煙の壁に、衛士たちが足を止めて身構える中――彼らなど眼中にないとばかりに、狐面たちは煙幕に紛れて第一の防衛網をすり抜けた。


 ラウディらのそばを守る衛士たちが第二の壁を形成する。ジャクリーンや騎士教官、メイアやリーレ、コントロも得物を手に備える。


 狐面の襲撃者たちは小刻みかつ変則的な加速を繰り返しながら迫る。ぶつかる寸前まで位置を入れ替えることで、迎え撃つ相手が誰になるか迷わせようとしているのだろう。


 剣戟が響いた。黄金衛士の第二陣と狐面の集団が剣を交えたのだ。

 突進を阻止した――そう思った瞬間、狐面の襲撃者たちの背後から、一人抜け出した。


 銀髪のウルペ人襲撃者。彼女は迎撃網を抜け、手に小刀をもって跳躍した。


 ラウディが槍を構える。メイアも手にした短剣を投擲する構えを見せる。


 チッ――ジュダは床を蹴り加速した。


 しかし狐面の狙いは、マギサ・カマラだった。手にした小刀をウルペ人魔術師に投げつける。


「メイア!」


 ラウディが叫べば、王女付きの侍女は短剣を投げた。マギサに迫る小刀めがけて。


 そんなものが当たるはずが――と思った刹那。メイアのダガーは空中で小爆発を起こした。衝撃波と共に鳥撃ちの散弾よろしく、無数の破片が小刀の針路を揺さぶり、マギサ・カマラへの直撃を避けた。


 銀髪の狐面が着地する。腰から新しい小刀を抜いて、マギサ・カマラを凝視するが、その視線をラウディが遮った。


 その加速は神速。ラウディは槍を手に瞬時に、狐面に肉薄した。突き出された刃に、狐面は後転飛びで躱す。


 身軽な動き。ラウディも速いが、狐面も速い。


 だが息つく暇は与えない――ジュダは狐面に剣を振りかぶる。

 危険察知能力は獣並らしい。銀髪の狐面は瞬時に、飛び退くとそのまま逃走にかかった。


 他の狐面も同様だ。

 どうやら敵は、最初から一撃しかしないと決めていたようだ。よく統制されている。蜘蛛の子を散らすように、それぞれバラバラの方向へ逃走する。


「ジュダ!」


 ラウディが声を張り上げた。


「逃がすな! 捕まえろ!」


 ――承知! 


 ジュダは逃げる銀髪の狐面を追った。軽装である襲撃者たちに比べ、重装備で固めている黄金衛士たちは追跡には向かない。


 ――二度目はないぞ!


 銀髪の狐面は講堂を抜け、校舎へと走っていく。その後を追うジュダだが、距離が縮まらない。やはり、身が軽いだけあってウルペ人のほうが足が速い。


 校舎を駆け抜ける銀髪の狐面とジュダ。騒ぎを聞きつけたのか、何人かの騎士生やペイジ科の生徒が顔を覗かせる。


 ジュダの表情に苦いものがこみ上げる。スロガーヴの脚力に、魔力の補助を加えれば速度は上げられる。だがここは騎士学校。誰が見ているとも知れない場所で、本当の『本気』は控えなくてはいけない。


 ――見失わないように追いかけて、人の視線が切れたら……本気を出す!


 階段に差し掛かり、一気に駆け上るウルペ人襲撃者。


 さすがにこれは――ジュダは階段を駆け上がるが、軽装とはいえ鎧に長剣。ほとんど布製の黒装束に身を包んだウルペ女の跳ぶような動きには追従できない。


 ――だがこの先は屋上!


 狐面の細くしなやかな体を見失う。が、行き先がわかっている以上、大した意味はない。


 開け放たれた屋上への扉。校舎の屋上はほとんどが三角屋根。その傾斜も中々に深い。


 ジュダは顔を上げる。校舎屋根――その端の煙突そばに、銀髪のウルペ女が立っていた。

 思いのほか距離があった。彼女を見失ったのは三、四秒ほど。その間に、彼女はジュダを引き離していた。そしてデジャヴを感じる。


 あの夜、ジュダを幻術でかわし、悠然と見下ろしていた、あの時のように。


 ジュダの中で苛立ちが募る。余裕かましていられるのは今のうちだ――ジュダは三角屋根を蹴って銀髪女の下へ走る。


 狐面は煙突の後ろへと飛び降りた。そこは校舎の端。三階の高さから下へと飛んだのだ。


 一瞬焦りを覚えたが、その感情は視界に飛び込んできた別のものによってかき消された。


 屋上入り口からは手前の煙突で見えなかったが、先ほどまでウルぺ女が立っていた煙突の下に、思いもよらないものがあったのだ。


それは、男の死体。

 黒い外套姿は、どこか見覚えがあった。その服は赤黒く血に染まっている。喉を刺されたそれは、当然ながらぴくりとも動かない。


「ジュダさん!」


 声に振り向けば、下級騎士生や、別クラスの騎士生が何人かやってきていた。どうやら校舎での追いかけっこを見て、加勢にきたようだった。


 そんな彼らも、煙突にもたれかかり、座り込むように死んでいる男を見て立ち尽くす。


「……これは、いったい……?」


 絶句する騎士生たち。ジュダは、死体となった男の背後に目を向ける。刻まれているのは男の血で書かれたと思われた文字。


「何て書いてあるんですかね、これ?」


 下級騎士科の騎士生が言った。彼らの目には、見慣れない字なのだろう。ジュダは冷めた顔で、血文字を見やる。


「亜人語だよ。……『暗殺者に死を』」

「暗殺者!?」


 騎士生たちは驚く。ジュダはしゃがみ込み、男の足元に転がっている長銃に触れる。

 魔石長銃。亜人集落で狙撃してきたのは……。


 ジュダはざわめく背後を無視し、血文字の二文目を心の中で呟いた。


『マギサ・カマラは偽者』


 暗殺者に死を。マギサ・カマラは偽者――書いたのは、あの銀髪のウルペ女だろうか。


 だとすれば、この男はあの騒ぎの前に死んでいただろう。ジュダが追走する中、あの女に暗殺者を殺害し、血文字を書く余裕などなかったはずだから。


 ――マギサ・カマラは偽者……。暗殺者……死体。狐面の襲撃――偽者……。


 ジュダは踵を返す。状況が飲み込めていない騎士生が不安げな声を上げる。


「ジュダさん、どちらへ?」

「教官を呼んで来い」


 任せる、と短く言い残してジュダはその場を後にした。


 ――俺たちは思い違いをしていたのではないか。あのウルペ人たちが狙っていたのは、ラウディではなく、マギサ・カマラ……?

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