第28話、トニのお披露目


 自分から問題を起こすというのは、わかっていると妙な気分だ。余計な面倒は避ける主義ではあるが、予め面倒になるのが確定だけに緊張してしまうのだ。


 前日から寝付くまで馬術授業のことが頭を離れなかったジュダだが、いざ授業が始まると、いつもの平然とした顔でトニを伴ってクラスメイトたちの前に向かった。


 義妹を同伴させたことで何人かが怪訝な表情を浮かべた。中には「今日はそっちのトニちゃんを連れてきたのかい?」と声をかける者もいた。


 馬の名前が義妹と同じということを知っている馬好きな騎士生だった。トニは笑顔を浮かべたが、どこかぎこちなかった。神経が図太そうな彼女だが、さすがに緊張は隠せない。


 ジャクリーン教官は、生徒たちを前に授業内容の説明を行ったが、彼女も幾分か表情が硬かった。これから起こることについて、ある程度な不愉快なことになる予感がしているのだろう。


 説明のあと、トニがすっと身に付けているドレスを脱ぎ始めた。突然、褐色肌の少女が脱ぎ始めたことで、クラスメイトたちは狼狽した。さらにその少女が姿を馬へと変えるのを見やり、皆が呆気にとられる。何人かの騎士生は顔を青ざめさせた。


 ジュダは、何事もなかったように馬の背中に鞍を載せ、周囲を気に留めることなく颯爽と彼女の背に乗るのだった。


『うわー、なんか、みんながボクたち見てるー』

「そりゃ、生でエクートの変身を目の当たりしたんだ。初見なら吃驚もするさ」


 なだめるように彼女の首を叩いてやるジュダ。トニ自身落ち着かないのか、その馬の耳が周囲を測るようにぴくぴくと動いている。


「やあ、トニ。調子はどうだい?」


 ラウディが、いつもの調子で歩み寄るとトニの頭を撫でる。


 そう。こうした『いつもどおり』の態度が肝心だ。王族であるラウディが亜人に対して平然と接し、気安く触れることが重要だった。


 ほー、と、感心とも呆れともつかない吐息を漏らす騎士生がいる中、トニが亜人だったことで、ジャクリーン教官に問わずにはいられない者もいた。


「いいんですか、あれ!? 亜人ですよ!」

「何で亜人が騎士学校にいるんです!?」

「お前たち、順番に話せ」


 ジャクリーン教官は片方の耳を塞ぐしぐさで、問い詰める騎士生たちに言った。


「ああ、ジュダの義妹はエクートだった。それだけだ。何が問題だ?」

「問題って……」

「いいんですか、教官!?」

「何が?」

「だって、亜人――」

「別に生徒じゃない。問題はないだろう」


 露骨に面倒そうな顔をするジャクリーン教官。大人がそんな嫌そうな態度を見せれば、生徒たちも声を落とした。


「亜人の従者は認められている。妹……血のつながらない家族が亜人だからといって、駄目だという校則もない。繰り返すが、彼女は騎士学校の生徒ではない。それ以上に何か問題か?」

「いえ……」


 騎士生たちは不承不承といった感じでうなずいた。これ以上言っても無駄だとわかったのだろう。実際、ジャクリーン教官の言い分を論破するだけの言葉が浮かばなかったのだ。


 遠目でそれらを眺めていたジュダの許に、騎士生が寄ってくる。


「ジュダ君、君の馬、エクートだったんだ」

「義妹さんと同じ名前だったから、不思議に思っていたけれど、そういうことだったのね」


 騎士生の一人がトニの頭に手を伸ばしかけ、ふと止めてジュダを見上げた。


「あの、触ってもいいかな?」

「ああ。いいな、トニ?」

『いいよ』


 トニが同意したので、その騎士生は馬に接するようにトニを撫でた。


「エクートは初めてなんだ。前から興味あったんだけど……乗りたい、って言ったらダメかな?」

「別に構わない、と思うが……トニはどうだ?」

『いいよ』


 彼女の返事は短かった。かくて授業の合間を縫って、何人かの騎士生がトニに騎乗した。少し歩いた程度だが……。ジュダがトニに手綱をつけなかったために、彼、彼女らはいつもと勝手が違い戸惑ったのだ。


 ただ、乗り手に素直に応じるトニに、みな好印象を持ったようだった。

   


  ・  ・  ・



 翌日。その日の講義が終わり、教室を出ようとしたジュダは、そこでジャクリーン教官に呼び止められた。

 何だろうと考えかけたが何となく察した。女教官の不満げな表情を見て。


「トニの件だ」


 案の定だった。


「教官執務室へ来い。お前が学校に無通知で亜人を入れていた件で、大変ありがたいお説教が聞ける」

「なんとも楽しそうな話ですね」


 もちろん皮肉である。ジュダはそう応じたが、ジャクリーン教官はますます不機嫌になる。


「お前、アシャット教官の前でも同じことが言えるか?」


 グライフ・アシャットは、ジュダたち最上級学年の主任教官を勤めている。最上級学年教官陣のトップであり、学校長に次いで偉い立場にいる。……ジュダにとって、アシャット教官は学校のどの教官よりも相性が悪かった。


「訂正、辞退してもよろしいですか?」

「認められると思っているのか」


 ついてこい、とジャクリーンはジェスチャーをした。このまま教官執務室へ出頭のようだ。


「その様子だと、上位教官陣はご立腹ですか?」

「それほど……と言いたいところだが、アシャット教官が大変お怒りだよ。彼に同調する形で他の教官たちもトニに対しては否定的な流れになっている。……最悪、追い出せと言われるかもしれない」

「そのときは、俺も学校を出ますよ」


 ジュダは何の躊躇いも無く言い放った。亜人一人でどうこう言う連中の意思など、知ったことではなかった。


 そもそもジュダが騎士学校にいるのは騎士になるためではない。現在のところ、ここにいるのは惰性に過ぎず、さっさと辞めても何の問題もなかった。……もちろん、そんなことを言ったら、あの王子殿下はご機嫌を悪くされるだろうが。


「お前が学校を辞めるなんて言ったら、また話の種になるな。上位騎士生が自主退学」

「その上位騎士生の称号も返上しますよ」

「アシャット教官は喜ぶだろうな」


 ジャクリーン教官は鼻を鳴らした。ジュダも、あの神経質そうな顔立ちの主任教官が、堂々と歓喜するさまを思い描き、不愉快になる。


「だが私は気に入らない。そうだ、気に入らないな。お前が退学など」

「俺に構うと、余計な苦労を抱え込むことになりますよ。あまり気になさらないほうがいい」

「お前は私の教え子だ。かれこれ二年と少しの付き合いだ。卒業までは面倒を見させろ」


 ジュダは何ともいえない気分になる。自分一人なら、それこそどうとでもできるのだが、個人的に親しくもあるこの女教官を巻き込む形になるのは気が引けた。だから、自然と口調は固くなる。


「迷惑ですね。俺みたいなのは放っておけばいいんです。貧乏くじを引かせて、恨まれるのはごめんです」

「そう思うなら、貧乏くじを他人に引かせないようにしたらどうだ?」


 ジャクリーン教官は苦笑した。


「いや、まあ、そんなお行儀がよいお前などつまらなくもあるが……」

「前々から思っていましたが、あなたはどうあっても俺に好意的なんですね」


 ジュダは皮肉げに言う。ジャクリーンは切れ長の瞳を向ける。


「教官など私の柄ではないが、二年も続いているのは、ひとえにお前がいるからだよジュダ。思えば私の人生は鍛錬と、退屈しかないものだった」

「だった……今は?」

「退屈はしていない。お前が私に迷惑をかけた分は、剣術に付き合ってもらう」

「……まあ、それで済むなら構いませんが」


 ジュダが頬をかけば、ジャクリーン教官は微笑んだ。


「そうやって私の誘いに付き合ってくれるのはお前だけだ。他の者は稽古の相手を頼んでも、何やかんやと理由をつけて逃げる」

「あなたは学校一の剣士ですからね、ジャクリーン教官」

「女に負けるのが嫌だという男のプライドだろう。その点、お前は逃げないからな」

「実剣でなく模擬剣で打ち合えば、相手する者も増えるんじゃないですか?」

「模擬剣で、実戦感覚が磨けるものか」


 ジャクリーン教官は拗ねたように言った。


「まあ、とにかくだ。頼むからこれ以上、教官たちの機嫌を損ねないように上手く立ち回ってくれないか? お前のいない学校など、私にも意味がない」

「何気にプレッシャーかけてくるの、やめてくれませんか」


 自分のことだけならまだしも、他人の人生まで面倒見切れない。


「それに、上手く立ち回れるかは相手次第です」


 ジュダはきっぱり告げた。

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