第25話、人馬一体


 ジュダ・シェードが騎士学校一の馬術ヘタというのは、過去の話だった。


 正確には、トニという相棒を得たことが、不名誉なレッテルを返上する機会を与えた、であるが。

 馬がジュダを恐れ、その騎乗を拒否するのだから仕方がない。基本的に、馬は臆病である。


 エクートは、人の姿と馬の姿、必要に応じて形態を変える。馬術の授業では、トニは当然のごとく、ジュダの愛馬として馬の姿になる。


 馬になったトニは速かった。騎士学校にいるすべての馬と比べたわけではないが、トニの足の速さは学校の馬たちの中でもトップクラスだと言える。雷の日に生まれたからトニと名づけられた彼女だが、その名にたがわぬ俊足ぶりだ。


 しかも、ただ速いだけではない。エクートは人間の言葉を解し、何を求めているのかを普通の馬以上に、理解している。


 だから騎手は何をしたいのかを伝え、エクートがそれに向かってベストを尽くせるように気を配るだけでよい。


 そう、ただ伝えるだけでダメだ。乗り手の意思を尊重しようと馬が頑張っているのに、鞍の上でふんぞり返っていたのでは信頼関係など生まれるはずがない。全力で駆けるのであれば、騎手は極力、抵抗を減らすように姿勢に注意し、方向転換や障害物を避ける場合も重心などに配慮する。


 右へ左へ壁を避け、敵兵に見立てた人形もどき――的めがけて一直線に駆ける。ジュダの右手には騎兵槍ランス。騎乗して用いるこの重量槍は、鎧の固定具の補助と、馬による突進力の力で敵を砕く武器だ。


 トニは直線でぐんぐん加速する。スピードが増すということは、的を突き刺すタイミングもまた速くなるということ。迫ってくる人形もどきに狙いを定め――トニは的の脇をすり抜けるコースを一定の速度で、突き進む。そうなると、ジュダはさほど苦労することなく、完璧なタイミングで騎兵槍を人形もどきに突き刺しそのまま粉砕した。


 周囲から歓声が上がった。ゴールを駆け抜けたトニは、ジュダが指示するまでもなく足を緩めた。ジュダは左手でトニの首元を愛撫する。彼女は小さく振り返り笑った。


『やったね、ジュダにい

「君のおかげだ。間合いが取りやすくて助かる」


 当然、とばかりに愛馬は頷くようなしぐさをした。回数を重ねれば、それぞれの癖も見えてくるものだが、トニの修正力は確かなものがあった。


 ジュダ自身、これまで馬に乗れなかった分、他の騎士生に比べて馬術はかなり遅れているのだが、その差もあっさりと縮まりつつある。


 はっきり言えば、トニのおかげというのは本当だ。ジュダは自身に馬術の才能はないと思っている。だから、上手くやれたのは全てトニの手柄であり、めいっぱい褒めてやるし愛撫もしてやる。そうするとトニはとても嬉しそうにするのだった。


 順番待ちの騎士生たちの待機所の柵の前を通ると、ラウディとリーレが待っていた。


「お見事」


 ラウディが言えば、ジュダは馬上で頷いた。


「褒めるならトニを」

「私はトニを褒めたんだ」


 そう言うと金髪碧眼の王子は手を伸ばし、トニの肌を撫でた。リーレはジュダとトニを見やり肩をすくめた。


「自分の馬に義妹いもうとの名前付けるなんて、トニちゃんが聞いたら何て言うかな」

「何も言わないと思うよ」


 ジュダが言えば、馬の姿のトニはコクコクと頷くしぐさをした。リーレは苦笑しながら、彼女に宛がわれた馬の許へ行く。


「ジュダ、あんたってシスコンなの?」


 赤毛の少女が去っていく背中を見やり、トニの目がジュダを見た。


『ジュダ兄、シスコンって何?』

「シスターコンプレックスの略だよ」


 答えたのはラウディだった。


「姉とか妹に行き過ぎた愛情を持つことを言うらしい」

『行き過ぎた愛情ってなに? 家族を好きって思うのはふつーでしょ?』

「好きは好きでいいんだけど、その……何というか」


 ラウディは何故か顔を赤らめた。


「……エ、エッチなことをしたいとか、やたらくっつき過ぎるとか、どうかと思うんだ」

『?』


 トニの視線がジュダに向く。どうやらよくわからなくて困っているようだった。そんな彼女をジュダはぽんぽんと撫でてやる。


「ヒュージャンの話だよ。深く気にするな」

『そうなんだ』

「いや、気にしてよ!」


 ラウディはぶんぶんと首を振った。


「特に、トニ。君はよく服も着なくてジュダに密着したりするけれど、そういうのは、はたから見ると、過剰なスキンシップというか、あまり好ましいものではないんだ……」

『そうなの?』

「そうらしい」


 ジュダは小首を傾げた。ラウディの言い分は人間同士の話。多種多様な亜人の中には当てはまらない種族もいる。家族とだって性的に寝るような種族もいる。


「でもまあ、トニのそれは性的なものではないから」

「本人はそうかもしれないけど!」


 ラウディは眉をひそめた。


「トニは人の姿なら結構いい身体をしているだろ。それがくっついてきたら、男の子は性的欲求を、感じたり……する……ものじゃないのか」


 声が小さくなっていくラウディ。ジュダは髪をかいた。確かに、一理あるかもしれない


『せいてきとか、よくわかんないけど、ボクはジュダ兄のこと好きだよ』


 エクートの少女は臆面も無く言い放った。


『ボクはシスコンなのかな?』

「兄弟に対してはブラザーコンプレックスだから、シスコンじゃないよ」

「おい、ジュダ!」


 凛とした声が飛んできた。見れば、騎士教官であるジャクリーン・フォレスがわずかに顔をしかめてこちらを睨んでいた。


「いつまでそこにいるつもりだ? 次が来るだろう!」


 次――リーレが騎乗槍で的を砕いていた。可も無く不可も無い無難な立ち回りである。赤毛の少女が馬を操り、ジュダの許へ。


「まだここにいたの?」

「ああ、移動するよ」


 ジュダは愛馬を促した。トニは足早に移動を開始したが、その様を見ていたリーレがポツリと漏らした。


「……ほんとあいつ、手綱も鐙も使わないわね。馬もなんであんなに素直に動くのかしら」


 それは言葉が通じているから――ラウディは思ったが口には出さなかった。


 あの馬が亜人で、ジュダの義妹であるトニであることは、リーレも他の騎士生も知らない秘密なのだ。


 やがて、授業が終わり、騎士生たちは馬たちを厩舎へと移動させる。貴族生などの個人所有の馬は、持ち主である騎士生やその専属の小姓が面倒を見るが、学校からの借り物の馬だった騎士生は学校の世話係に馬を任せ、自身は馬具の片付けを手伝った。

 王族であるラウディもまた白馬を世話係に任せるが、一方でジュダは、厩舎で片付けとはいかなかった。愛馬であるトニは亜人だからである。他の馬同様、繋ぐわけにもいかない。


「じゃ、俺はもう少し走ってきます」


 ジュダはラウディにそう言い残し、トニを走らせる。厩舎ではなく、どこか人の目の無いところで変身して人の姿に。そこでトニに服を着せて、馬具は自分で始末して――


 彼女が亜人であることを周囲に悟らせないために、割と授業外で気配りが絶えなかったりするのである。


 だが、それにも限界があった。ジュダとトニのコンビが馬術において注目を集めると、馬好きの騎士生や有力な貴族生は思うのである。


 あの名馬を見ていたい、直に観察したい。


 しかし、授業でその姿を見かけても、それ以外の時間、厩舎に行っても肝心の馬がいないのである。これはどういうことなのか、騎士生たちが不審に思い始めるのは当然の結果だった。

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