第21話、ヴァーレンラント王、城に帰る


 亜人解放戦線のアジトを脱出してしばらく、レアスとラウディは王都警備隊に救助された。


 洞窟を出るまで、ラウディがレアスの身体を支えてくれたが、人工スロガーヴとの戦いで満身創痍であった。


 問い詰めたい気持ちはあっても実行する元気がなかった。警備隊に保護され、馬車へ乗った後、そのラウディも疲れていたのか眠り込んでしまった。そんな愛娘の頬を撫でてやりながら、レアスはヴァーレンラント城へ戻った。


 城門をくぐり、本城へとたどり着くと、警備兵とともに、大臣であるペルパジアがレアスを出迎えた。


「ご無事で、陛下。……左腕は――」

「ふむ……疲れた」


 感情を隠し、厳しい顔を作る余裕はレアスにはなかった。改めて、失った左腕や、体中の手当ての跡を見れば、このときばかりは『王』を演じなくてもいいだろうという気分になる。


「召使いを待たせてあります」


 ペルパジアは事務的に告げた。


「まずお召し物を替えられるのがよろしいと存じます」

「……ラウディを部屋で休ませてやれ。あれも疲れておるだろう」


 ペルパジアは一礼すると、兵たちに合図して王子を運ばせた。その後、今回のエイレン騎士学校及び王都への亜人解放戦線の攻撃についての報告を聞くか問われた。


 大臣からそう言われるというのは、相当疲れているように見えるのだろうと、レアスは思った。


 聞けば、守備隊の奮戦で亜人解放戦線は撃退されたという。現在、敵の追跡と並行して、学校、王都での救難活動が行われていた。そうであるならば、レアスが改めて出す指示はなかった。


「ご苦労。……被害はどれほどになるだろうか?」


 娘を優先がさせたために、王都のことを部下たちに任せてしまった。王としては失格だと自嘲せずにはいられない。


「集計中です。なにぶん、夜間の襲撃。明るくなれば、さらに被害報告が出るでしょう。……何か気がかりでも?」

「気がかり? ああ、あるとも」


 レアスは、古くから仕える臣下であるペルパジアを睨む。……そうだ、問わねばなるまい。


「大臣、貴様の引き取った子がいただろう。名は確か、ジュダ――」

「――シェード。母方の姓を名乗らせております」


 ペルパジアは事務的に返した。その瞳にはわずかながら警戒の色が浮かんだのを、レアスは見逃さなかった。


「貴様の息子に命を救われたぞ」


 レアスは言った。ペルパジアは反応を窺うように黙している。


「ラウディから腕っ節の強さは聞いていた。あのドラゴゥを眼光だけで追い払うと聞いた時は眉唾ものだったが、なかなかどうして恐るべき剛力の持ち主よ。アド・ワシーヤ……亜人解放戦線の例のレーヴ人を仕留めた」


 やはり、ペルパジアは何も言わなかった。何を考えているのか、表面だけでは見て取れない『油断ならない』時の彼の顔だ。


「だが、貴様は知っておったか? ジュダ・シェードは、スロガーヴだぞ」

「……彼がそう言いましたか?」


 ペルパジアは切り返した。その淡白な反応に、レアスはじっと片腕と見込む古き友にして大臣を見やる。


 知っているとも、知らないとも言わなかった。だが、彼は知っているはずだ。ジュダは、あのアンジェの子なのだ。ペルパジアが知らずにその子を拾ったのでもなければ。


 しかし当のペルパジアは、事務的な口調を崩さなかった。


「ジュダがスロガーヴなら、陛下はどうされますか? 逮捕状を出しますか。ご命令とあらば兵を集めますが?」


 本気で言っているのだろうか。レアスは眉をひそめる。


「血の繋がりはなくとも、貴様の息子だぞ?」

「すべては陛下のお心のままに」


 ペルパジアは淡々と答えた。まるで臣下とはそういうものだと言わんばかりに。


 アンジェの息子を、ペルパジアが引き取ったのは偶然ではない。アンジェが死した時、その息子の所在はようとして知れなかった。


 だが、それはペルパジアがいち早く保護したからだと、今なら言える。レアスはもちろん、ペルパジアも生前のアンジェと交流があり、いや、むしろ彼女のために色々と便宜を図ってきた。


 その匿ってきたアンジェの子を、レアスの手に委ねる――ペルパジアはそう言っているのだ。


 つまり、彼は自身が育てた義理の息子を売り渡したのだ。保身? いや、彼はそのような男ではない。そうであるなら、レアスが今後どのような判断を取るのか、すでに見抜いているのかもしれない。


「如何なさいますか?」


 ペルパジアは平然とした顔で聞くのである。

 果たして、この養父は、息子として育てた男がレアスの命を狙っていたことを、知っていたのだろうか。いや、知らなかったとしても、うすうす感ずいていたのではないか。


 ――底の知れぬ男よ。


 レアスは重々しい口調で言う。


「……何もせん。あやつについては手出しは無用だし、このことも他言無用だ」


 ペルパジアは頷いた。だが、その眉が不思議そうにぴくりと動く。


「理由をお聞きしてもよろしいでしょうか?」


 理由? レアスは不承不承といった顔になる。


 ――アンジェの息子ということは、もしかしたら……。


 脳裏によぎるのは、若く瑞々しいアンジェの身体。決して漏らすことの許されないあの夜の出来事。――いや、そうではあるまい。


 レアスは思い直す。それにこの件は、ペルパジアにも言えない。だから口をついて出た言葉は、おのずと別のものとなる。


「……あやつには、借りがある」


 思わず口に出たそれだが、あながち間違っていないと思い、レアスは素早くそちらへと考えをまとめる。 


「余を殺そうと思えば殺せた。だがあやつは余を見逃した」


 ――ああ、そうとも。あの男は私を見逃したのだ。


「それに、ラウディの恩人でもある」


 まったくもって忌々しいことにな――何故か言葉にした途端、苛立ちに近い感情が胸の奥に渦巻いた。自分でも、何故そうなったのかレアス自身もわからない。


 忌々しい、と何故思ったのか。いや覚えがある。娘を嫁に出した時に感じたそれだ。

 だがそれを口に出すことはできない。だからまたも別の言葉が口をつく。


「ここであやつを捕らえようとすれば、人間の寛大さとは魔獣以下のものとなろう」

「放置しておくのは危険なのではありませんか?」


 ペルパジアは、微塵も揺るがない口調で言った。


「いつか災いを呼ぶ存在になるやもしません」


 ああ、そうとも。貴様の言うとおりだ――レアスの表情が硬くなる。だが……。


「災いの種は、どこにでも芽吹くものだ。何もスロガーヴだけではあるまい。余も、貴様も、他の誰彼問わず、可能性はある」


 養子としながら、王の命あらば切り捨ても辞さないような発言をする大臣。

 ペルパジアは答えなかった。友としながらもその真意について闇が深すぎて、レアスは測りかねている。だから深く追求することはしない。しても無駄だからだ。あるいはこの男の真意を知ることなど永遠にないのかもしれない。レアスは笑うのだった。


「余が手を出せば、『戦争』となる。どれだけの犠牲が出るかわかったものではない」


 もう、二度と、あんな思いはしたくない。スロガーヴ――アンジェの忘れ形見と戦うなど。


 悪名高きスロガーヴ、その伝説の通りの悪党なら、どれほど気持ちが楽になることか。何の躊躇いもなく、討つこともできたに違いない。


 レアスは顔を上げて、小さく呟く。


「戦争はうんざりだ」

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