第19話、ヴァーレンラント王の後悔


 ジュダ・シェードの激しい後悔に揺れていた頃、それと対峙したガンダレアス・ヴァーレンラント王もまた、心中、暴風が吹き荒れていた。


 人工スロガーヴという亜人戦士を葬ったのは、ラウディが自分の騎士にと推す騎士生。しかし彼は、ただの生徒ではなかった。

 ガンダレアス――レアス・ヴァーレンラントは瞳を閉じて、思い出す。



  ・  ・  ・



『ジュダ・シェード』


 甲冑を血に染めた戦士は、一歩、また一歩と近づいてきた。


「それが俺の名前だ、ヴァーレンラント王。……十年前、とある愚かな貴族が起こした小競り合いで、俺の母は人間と戦い――お前に囚われ処刑された」


 十年前――それを聞いた時、レアスの心臓がひときわ強く跳ねた。

 過ったのは、黒く長い髪をもった女、アンジェの横顔。


 幼いあの日に救い、その綺麗な目の色から天使と名づけたあの娘。……スロガーヴと呼ばれ、虐げられていたあの娘。


「お前が忘れても、俺は忘れていない……!」

「あの女の息子か」


 レアスはそう口にし、思わず吐息を漏らした。


 この男、いや少年か。その顔には確かに彼女の面影がある。黄金色に輝くスロガーヴの魔眼――天使の石と同じ色の目から、魔獣のそれに変わったあの目。それと対峙した者に『死』を与えた漆黒の天使。レアスの胸は苦しくなった。


「勇敢な戦士だった。我が誘いを拒み、恭順の意志を示さなかった――」


 殺したくなかった。

 彼女の幼き頃から見てきた、言ってみればレアスにとって、娘くらいの歳で、慕ってくれていた彼女を。


「――黄金の首輪を抱き、絶対服従。そんな奴隷のような扱いに恭順もクソもあるかっ!」


 ジュダという少年が怒鳴った。


 違う! 私はそんなこと――レアスの心の声はしかし出ることはなかった。


「黄金の刃に追い込んでおいて、よくもぬけぬけと!」

「……そうだな」


 殺したのだ。彼女を――黄金の断頭台に、見世物同然でその首を刎ねられた彼女。国王の身でありながら、止めることができなかった無力な自分。


「理由はどうあれ、貴様にとってそれは変わるまい」


 逸らしたくなる現実、しかしレアスは目の前の少年から目を逸らさなかった。


「……余を殺すか、スロガーヴ」


 お前には、その権利がある――レアスは怯まなかった。向けられた剣で貫かれようとも、それは自分が受けなくてはならない罰に他ならない。


「ああ……ずっと、ずっと、あんたに恨みを抱いてきた」


 声にこもるは憤怒。震える怒り。しばし彼は、レアスを見下ろし、剣を『突き』の姿勢で構え……ふっと一呼吸の後、レアスの右上腕に突き刺した。


「ぐぬっ……!」


 苦悶、しかし歯を食いしばって耐える。


「痛いか? 痛いよな」


 肉を抉る痛みが、レアスの全身を駆け抜ける。


「ずっと、胸の中が疼いていた。母のことを思えば時々痛みすら感じた……」


 処刑寸前、公衆の面前にさらされた彼女の傷ついた姿。それを目の当たりにしたレアスに、反論の余地はなかった。


 同時に、強い怒りがこみ上げる。彼女の傷ついた姿など見たくなかった。あの可愛がった娘同然の彼女を、手ひどく拷問した者たちへの憎悪。スロガーヴ、スロガーヴ、スロガーヴ!


「スロガーヴ……ッ!」


 思わず声が出た。それで彼女が傷つき、殺された。どうしてそうなったのか。憤り。


「お前が貴族どもの悪道を野放しにしなければ……母も、他の者たちも、苦しまずに済んだかもしれない」


 少年は乱暴に剣を引き抜く。駆け抜けた痛みに、レアスは意識が一瞬遠のいた。血が足りないか。左腕を失い、傷を負った。人工スロガーヴとの戦いの後だ。力が、入らない。


「抵抗しないのか、王よ?」


 ジュダは冷ややかなに問うた。


「俺に、スロガーヴに黙って殺されるだけか?」

「……御託はよい。とるなら、さっさと首をとれ」


 この者になら、討たれてもよい――不思議と、レアスの心は落ち着いていた。


 傷のせいで感覚が麻痺してきているのかもしれない。これまで多く敵と戦い、武器を向けられ、死を予感した。しかし、今ほど落ち着いた気分だったことはない。


「潔いな。……恐くないのか?」


 ジュダは問うた。その言葉には自嘲したくなる。


「何を恐れるというのだ? 命か? それとも国の未来か?」


 気がかりではある。言葉に出してみて、未練がましく、王都やその住人たち、そして王子であり、親愛なる娘であるラウディのことが脳裏を過った。


ジュダは、怒りに血走った目で見下ろしてくる。溜め込んだ感情のぶつけどころを探しているように感じられた。


 沈黙。いったい彼は何を考えているのだろうか。レアスが、わずかに訝ったその時、黒髪の少年騎士は、視線を逸らした。


 ドクリ、とレアスの心臓が跳ねる。あろうことか、ジュダが見ていたのは、レアスが大切にしている娘――今日の創立記念祭の出し物のために、姫の格好した我が娘。


 レアスが動揺したのを、ジュダは見逃さなかった。改めて彼を見上げた時、その目は笑っていたように見えた。……まるで弱点を見つけた、といわんばかりに。


 この少年は、ラウディをどうするつもりだろう? レアスは自然と顔が強ばった。


 ――私を殺した後、彼女も殺すのだろうか……?


 母を殺された復讐者。彼がその手の凶行に走る可能性は否定できない。


 そもそも、ラウディから聞かされたジュダという少年の話は、勇敢で寡黙な人物という程度。実際に彼がどのような思考をし、振る舞っているか、レアス自身はまったく知らないのだ。


 ラウディの命について、彼に頼むべきだろうか。そのような考えが浮かんだが、同時に否定の声が過る。


 復讐者にそのようなことを申し出れば、ただその者を喜ばせるだけではないか。レアスを心の底から憎み、その苦痛を見たいと願うものなら、むしろその弱みは彼を思い上がらせるだけではないか。


 お前を殺した後で、娘も一緒に殺してやるよ――駄目だ、到底受け入れられない。

 最悪なのは、レアスを殺す前に、ラウディから先に……つまり父であるレアスの目の前で娘を惨殺してみせることだ。


 彼が復讐を果たす、それで自分の命を捧げるのはまだいい。だが娘は関係ない。迂闊なことは言えなかった。……くそっ、どうすればいい。


 レアスは顔を上げる。だがそこで意外なものを見た。


 彼は深呼吸した。まるで自身の中にこみ上げる感情を鎮めるかのように。あれだけたぎっていた負の感情が消えていくように映った。


 ――この者には理性がある。


 ふつ、とレアスは希望を見た。この少年、いや男は感情に呑み込まれていない。


「迷っておるのか?」


 レアスは感情を込めずに問うた。あの黒髪の女の面影を残す少年は何とも皮肉げに小さく笑った。


「俺は臆病者だ」


 まるで笑わずにいられないとばかりに。それは明らかに自嘲。少年は剣を引いた。


「……後悔しない生き方なんてできるのか」


 自分自身に言い聞かせるような言葉だった。レアスは、にわかに驚いた。彼は復讐をやめるというのか。母を殺された恨みを重ねて対峙している相手を、見逃す、というのか。

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