第10話、彷徨う復讐者
トニはエクート人の少女だ。馬系亜人は、人型と馬型に姿を変えられるが、その両者の中間、いわゆる伝説上のケンタウロスのようにはなれない。
馬グループから弾き出され、亜人とは知らず、ジュダ用の馬を探していたラウディに拾われたのが縁で、今ではジュダの義妹であり、同時に彼の愛馬となっている。
ジュダは、栗毛の馬の姿であるトニの背に跨がり、王都の外へ出た三日の休校を利用して、亡き友人たちの墓参りをしようと考えたのだ。
『ジュダ兄、元気ない?』
馬の姿であるトニが言った。
『それとも、考えごと?』
「あぁ、色々な」
はっきり言えば、気持ちが揺らいでいる。何が、と言えば、母の仇討ち。ヴァーレンラント王の抹殺について。
偉大なる聖王。人間たちの英雄。しかし、ジュダの母の処刑を命じた男。亜人差別主義者たちをのさばらせている人間の王。
十年前の復讐。母が処刑される際、観覧席から冷たく無表情で見下ろしていた王の姿は、時々夢に見た。
『むずかしいことを考えてる?』
「あぁ。難しい」
トニを引き取ったのは最近のことだ。シアラ・プラティナの救出の際に、協力したトニであるが、ジュダは自身の正体と王の暗殺の企みを話していない。しかし仮面の戦士であることは、目の当たりにしているので知っている。スロガーヴであることは、果たして察しているかどうか……。
『ボクはむずかしいことはわからないけど、そーだんしてくれたら、いっしょに考えるよ?』
「ありがとう、トニ」
トニはいい子だ。馬たちは、ジュダから漂う獣の臭いを恐れるが、彼女はそんなこともない。
「でもまあ……友だちのことを考えていた。古い友人の」
『そっか……』
それっきりトニは何も言わなかった。ジュダは彼女の背中に揺られながら考えに沈む。
本当に考えていたのは古い友人ではなく、今の友人――と言ってくれるラウディのこと。彼女の父親であるヴァーレンラント王のことを考えていた。
彼女に出会うまでは、王の暗殺にやる気満々であり、機会を窺い、下調べに時間をかけていた。
だがラウディと知り合って、接するうちに気持ちが揺れている。
王を暗殺することは構わない。だがその結果、ラウディが深く傷つく――それがたまらなく嫌だった。
――ラウディがいい娘だからだ。
彼女のいいところを挙げていけば、人間に対してあまりよい感情を持っていないジュダでさえ、友人であることを認めてもいい気持ちになる。
一度剣を取れば、躊躇いなく、残虐に敵を始末する。だが同時に、虐げられている者、善人に対しては、問答無用に斬り捨てることに躊躇った。
甘いと思う。たかだか優しい娘を曇らせたくないから、復讐を躊躇う程度には甘い。
「ラウディは甘いと思う」
つい言葉に出せば、トニも口を開いた。
『おーじ様は、優しい! いい人』
「そうだ。いい人だ」
トニも、ラウディのことは悪く思っていない。むしろ、好意的である。怖い人、危険な人の見分けにかけて、鋭い感覚を持つエクート人の少女がそういうのだから、間違いないだろう。
――俺は、そんないい人を苦しめようとしている。
自分が善人であるとか、正義の味方などと思ったことはない。悪のスロガーヴなどと聞いて育ったジュダは、正義というものについて懐疑的だった。
正義という言葉を使う人間は、信じてはいけない。人を鼓舞する際に、正義を叫ばないといけないのは、自分たちのやろうとしていることが『悪い』ことだからだ。自身を正当化したいため、弱い心を紛らわせるために『正義』などという言葉を使う。
だから、ジュダは正義という言葉は嫌いだった。正義を連呼する奴は、自分を正しいと思い込まないと何もできない卑怯者とさえ思っている。
だが大衆には、正義という言葉が効く。何故ならば、誰も悪にはなりたくないからだ。自分たちが正しいと思い込むことで、人殺しや略奪、残虐な行為を正当化する。
そして権力者は、大衆をその気にさせるために正義という言葉を連呼するのだ。何とも胡散臭く、都合のよい言葉ではないか。正義とは。
正しい意味での正義は、言葉に出してはいけないもののような気がする。
――いや、正義のことはどうでもいいんだ……。
考えがズレた。ジュダは思考を戻す。
仮にこのままジュダが、ヴァーレンラント王を暗殺したとする。その場合、ラウディはとても悲しむだろうことは想像できる。
不仲であったなら、彼女に王になる野心があったなら、あるいは始末したら喜んだかもしれないが、あの様子ではおそらくないだろう。
深く悲しむ。傷つく。そして、王を殺した犯人を探して復讐しようとするだろう。
――この俺と同じように。
それが気に入らなかった。ラウディに十年前の、母を殺され、悲しみと怒りのない交ぜになった苦痛、絶望を与えることになる。それがたまらなく嫌だった。
――あんな苦しい思いを、彼女にさせていいのだろうか……?
いい悪いで言えば、よくないだろう。ヴァーレンラント王のことなどどうでもいいが、ラウディの心が潰れるようなことは駄目だ。
溜息が零れる。わずかに、かろうじて友人と呼べる少女の気持ちを考えると起きる躊躇い。
――俺の復讐は、この程度でぐらつくほど脆いものだったのか。
そう思うと情けなく、同時に怒りをおぼえる。だが自分が肉親を殺されて味わった経験をそのまま、ラウディに与えたくなかった。
――だってあの娘は、優しくていい子なんだから……!
善人を苦しめるのか。あの子の笑顔を奪うのか。
相手を選ばないなら、ジュダは亜人解放戦線にも加わっていた。それができないから、関係ない人間を傷つけたくないから、過激なテロリストたちから距離を置いた。
――俺は、
だが、その娘を傷つけたくない。亜人にも偏見なく、優しい彼女の魂、精神は尊い。彼女がやがて王になったなら、この国もよい方向に行くかもしれない。
だが王を失い、亜人への気持ちが一転し、復讐になったなら、多くの亜人などの血が流れることになるかもしれない。
たられば、の話を言ったらキリがない。しかし、自分がやろうとしていることの結果、国がどうなるか、考えないわけにはいかなかった。
そう考えた時、ジュダは自嘲した。
――王を殺した後のことを考える? ……それは逃げだぞ、ジュダ・シェード!
未来のことを考えるなんて、ぐらついている、迷っている何よりの証拠だ。
ジュダには時間がなかった。
先日の、シアラ・プラティナの救出。その後の城壁破壊の脱出で、世間は仮面の戦士がスロガーヴであることを疑い出した。
王国側は、スロガーヴ狩りを始めるという。黄金に弱い体質を利用し、金に触らせてスロガーヴが人に紛れていないか検査を始めるらしい。それは王都住人全員が対象であり、騎士生もまた例外ではないという。
つまり、黄金検査が始まれば、ジュダがスロガーヴであることがバレる。その前に行動を決めねばならない。王を暗殺するか、あるいはこのまま王都から逃亡するか。……騎士学校と、ラウディとの関係も捨てて。
――ラウディと会わなければ……。
ジュダは思う。こんなに苦しむことも、迷うこともなかった。知らないままなら、躊躇いなく、王を殺し、母の仇討ちができたのに
つくづく甘いのだと、ジュダは自嘲した。
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