ヴァイオレット・フィズ ③

「紫、入るよ」

「あっ、お父さん!」


  館の屋根裏に続く階段を登り日代が扉を開けると、いやに明るい声がして日代の足元に小柄な少女が抱きついてきた。


「……だれ?」


 少女、紫は子どもらしい大きな目を見開いて俺たちをじぃっと見つめた。


「よぅ、お嬢ちゃん。お兄さんたちはお父さんの友達だよ」

「……トモダチ?」

「初めまして、おじさんは瀬後っていうんだ。隣のボンクラは神裂クズ、よろしくな」


 人様の子どもになんてことを吹き込むんだ。俺は気を取り直して紫の視線まで膝を曲げる。


「カンザキな、

「セゴさんと、カンザキ?」


 俺だけ呼び捨てなのは気に食わないが所詮はガキ。ここは大人である俺が度量の深さでもって堪えてやろう。


「紫、この人たちがお化けをやっつけてくれるからな、もう安心だ」

「ホントっ?お化けやっつけられるのっ?」


 日代の言葉に紫はぱっと顔を明るくして飛び上がった。


「ホントだぞぉ。たちはオバケ退治の専門家だからなぁ。な、瀬後さん?」

「ああ。俺たちが来たからにはもう安心だ」

「すごい、すごいっ、どうやってお化けやっつけるの!」


 早速懐かれた瀬後さんが紫に手を引かれて部屋のなかに入っていく。


「これから数日はここへ泊まっていただくので、二階の客室を使ってください」

「分かりました。館の中とか、周りの様子を少し探ってもいいですかねぇ?」

「構いません。よろしくお願いします」


 日代は瀬後さんと戯れている紫を優しげに見つめて、二階にある自身の書斎へ戻っていった。


「じゃあ瀬後さん、俺はちょっと館の周りを見てくっから、お嬢さんの相手は任せるぜ」

「カンザキどこいくの?お化け退治いくの?」

「ま、その準備だな」


 薄暗い部屋のなか、床に散らばるおもちゃを手にして紫は興味深そうにこちらを見ている。


「じゃあワタシが案内してあげるっ!」

「お化けが出てくるかもしれないぜ?」

「大丈夫、瀬後さんとカンザキがいるっ!」


 おやおや、随分と懐かれちまったもんだ。

 瀬後さんを見ると、しょうがないというような視線を向けられる。


 紫に手を引かれて外に出ると、すっかり日が沈んで周囲は暗闇に包まれていた。


「まずはこっち!お庭のほうね!」


 慣れた様子で歩く紫に並び、俺たちはライトをつけて周囲を確認する。


「箱入り娘かと思ったけどよぉ、案外じゃじゃ馬っぽいな」

「特殊な皮膚病だったか、出歩けるのは夜だけなんだろう」


 それにしては怪物に狙われている、という危機感が足りないような気もするが。


「なぁ、紫。お化けが怖くねぇのか?」

「うーん……あんまり怖くない。お父さんは怖がってるけど」

「なんでだ?紫はお化けから襲われたんだろ?」

「ううん、違うよ。お化けは私を呼んでるだけ。ワタシが部屋においでって言っちゃったから、お父さんが怒っちゃったの」


 あまり要領を得ないが、どうにも紫は怪物を怖がっていないらしい。


「なぁ、お化けに呼ばれるってどういう……、」

「とうちゃく、ここがお庭だよ!」


 俺が尋ねるより早く紫がこちらを振り向いて告げる。そこには館の裏に広がる森との境界線沿いに大小様々な花が植えられいた。


「こいつぁ大したもんだ。紫ちゃんが全部育てているのかい?」

「そうだよ、ワタシとお父さんで育ててるの」


 言って、紫は庭の端に置かれていたジョウロを運んでくると花たちに水やりをしていく。


 紫のそばで膝をついていた瀬後さんが不意に表情を固くしてある一点を見つめた。


「おい神裂、コレを見ろ」


 近づいて確認すると、そこには月光を照り返して紫色にゆれる奇妙な形の花が咲いている。


「なんだコレ?」

「トリカブトの花だ。他の花に混じってわかりづらいが、ここだけじゃない、向こうにも咲いてる」


 言われ、瀬後さんの視線を辿ると確かに等間隔で館を囲むようにそれらしい花が植えられている。


「あーっ!瀬後さん、そのお花は触っちゃダメだよ!お父さんが育ててるお花だから!」

「日代さんが?」

「そうだよ、危ない毒があるから絶対に触っちゃダメって言われてるの!」


 何故そこまで危険な花を娘と一緒に育てている庭に植えているのか、不審に感じたが紫に聞いても理由は分からないだろう。


「ねぇ、ねぇ、次はお母さんに会わせてあげる!」

「お母さん?いや、でも紫のお母さんってよぉ……」

「こっち、こっち!」


 俺たちは紫に手を引かれるまま、鬱蒼とした森の中を進んでいった。


 既に何度も行き来しているのか、地面には踏み均された道ができている。


「お母さーん、瀬後さんとカンザキ連れてきたよー!」


 案内された場所は森の一角を開いて作られた広場だった。


 中心部には西洋らしい墓石が建てられ、いくつもの花が供えられている。


「毎日来てるのか?」

「ううん、最近はお父さんが来ちゃダメって。でも、お母さんお花好きだから……今日は瀬後さんとカンザキがいるから特別」

「そっか」


 瀬後さんが後ろから頭を撫でると、紫は嬉しそうにはしゃいで笑った。


 ふと、墓石の隣に目を向けると、そこには小さな石が埋まっていた。


 明里さんの墓石と違い、長い間放置されていたのか表面は汚れ、半ば雑草に飲み込まれている。


「こっちも誰かのお墓なのか?」

「分かんない。前にお父さんが、そっちは気にしなくてもいいよって言ってた」


 ライトをかざして見ると、石の表面に何かが刻み込まれているが、削れてしまって判読がつかない。


「……雨風ってより、誰かが抉ったみてぇな跡だな」


 そう呟くと、森から入り込む冷たい風が俺の頬を撫でていった。

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