第2話 ヴァイオレット・フィズ

ヴァイオレット・フィズ ①

「やだやだやだやだっっ!カンザキはぜったいに、ペット役なのぉーっっ!」


 10歳前後の幼い少女が真剣な顔をして首を振る。俺は手渡されたトイプードルの人形を見て、ちょっとげんなりした。


「……瀬後せごさんはちゃんと父親役なのによぉ、なんで俺だけ飼い犬役なんだよ」


「あきらめろ神裂かんざきゆかりちゃんに飼ってもらえるんだ、現実のお前よりよっぽどマトモな生活ができるぞ」


 俺の隣に座っている瀬後せごさんが愉快そう肩をゆらす。


 大体、なんで父親がクマのプーさんで母親がバービー人形なのに、生まれてくるのがコケシなんだ。


 絶対にバービーがプーさん以外と寝てるじゃねぇか。


 それか病院の取り違え。


「……ちくしょぉ、なんで俺がガキの面倒なんざ見るハメに」


 俺はガックリと首を落として数時間前の出来事を思い返していた。


 そう、全ては一本の電話から始まったのだ。


 その日、俺はカダスのテーブルに広げられた紙束の山を見ながら唸っていた。


 借金の督促状やら光熱費の未払い届などなど。


「……ふ〜む、これだけ積むと壮観だな」

「ウチの店にそんな汚いモン持ち込むんじゃねぇ」


 相変わらず閑古鳥が鳴いてるカダスの店内には俺しかいない。


 マスターの瀬後さんは今日もカウンターの奥でグラスを拭いていた。


「大体お前、こないだ久々に競馬で勝ったって騒いでたろ。そん時の上がりはどうしたんだよ」

「んなモンもう残っちゃいないよ。知ってるか瀬後さん、キャバクラのキャストとアフターするのにどんくらいかかるか?」


 思い出してみても至福のひと時だった。


 俺の馬券が夢に変わってそれが見目麗しい女の懐に収まるんだから、経済ってのはよく出来てる。


 そんなことを考えていたら、来店を告げる鈴の音が聞こえた。


「あーっ!さとるくん、やっと見つけた!」


 店に入って来たのは有名私立女子校 瀬良女学院せらじょがくいんの制服を着た女子高生だった。


 絹のようにきらめく黒髪、日本人形のような整った面立ち、目鼻は凛々しく、伸びる肢体は細く可憐。


 胸元が少々貧相だが、まぁ、美少女と言っても差し支えはない。


 しかし生憎俺はお子様に興味はないので、適当にあしらうつもりで答えた。


「……竜子りゅうこ、お前なんでここに」

「悟くんを探してたに決まってるじゃない。こんにちは瀬後さん」

「おう。竜蔵さんは元気か」

「お爺ちゃんならピンピンしてるよ。今日もこれから悟くんのところに行くんだ、って言ったらしっかり取り立ててこいって」


 よし、物騒な話が聞こえたので、俺はここらへんでお暇しよう。


 こっそり二階の事務所に上がり窓から外に出ようと考えていたが、ふっと俺の肩に竜子の手が置かれた。


 もう一方の手に掲げられているのは借用書。名義欄には汚い字で神裂悟と書かれている。


「……だ、誰かなぁ。俺の名前を勝手に語る奴がいるとは……許せねぇなぁ」

「ここに悟くんの母印も押してあるよ」

「神裂……お前また龍蔵さんのところから金借りたのか」

「ドンペリP3を3本ばかし……な」


 仕方ない。あの日はカエデちゃん(俺の最近のイチオシ)のバースデーイベントだったのだ。


 カエデちゃんに群がる他の有象無象とは違うってところをアピールするのが男の甲斐性ってもんだろ?


 当たり馬券だけでは足りない、必要経費だったのだ。


「竜子……お前んところから借りた金は、今倍々に増やすための計画を立てていてな、」

「返済期限は明後日までだよ、悟くん」


 竜子の笑みが凄みを増す。

 そこらの女子高生が浮かべていいものじゃない。


「どうしようもねぇ奴だな」

「瀬後さんも他人事じゃないよ。連名でウチから借りてるみたいだから。ここにほら、瀬後さんの署名と印鑑も押されてるし」

「………はぁあッッ⁉︎⁉︎」


 言って、瀬後さんは竜子から受け取った借用書をまじまじと確認する。


「……おい神裂クズ……お前ぇ」


 ここで一つ、為になる話しをしよう。


 もしも他人に触れられたくないものを金庫に仕舞うなら、金庫の暗証番号は絶対に安直なモノにしない方がいい。


 例えば愛娘の誕生日とか、な?


「と言うわけだから二人とも、明後日までまたきっちり300万 耳揃えて用意してね。間に合わなかったから、しばらく船の上で魚釣りだから」

「ドンペリ3本開けてる場合か、神裂テメェッ‼︎」


 仕方ない、必要経費だったんだ。


 瀬後さんの殺気が暴発寸前にまで膨れ上がったところでカダスに置かれていた黒電話が鳴り響く。


 これ以上言及されるのを避けるため俺は黒電話に飛びついた。


「はいっ!こちらバー・カダスでごぜぇますっ!」


『あ、あの……ここに電話すれば神裂さんにお繋ぎいただけると聞いたのですが』


「……?神裂は俺ですが?」


 電話口の男性が少し息を飲んだような気配がした。


『……ぎ、ギムレットを頼みたいのですが』


 

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