第43話【和人】

 ウェイターさんに案内された席は、歩道側に面したガラス張りの窓側の席。

 平日らしくスーツを着た方々の姿がちらほらと見られ、私はそれを横目に、紅茶を飲みながら待ち人が来るのを静かに待つ。


「ごめんね。この辺どこも駐車場が満車でさ。なかなか停められなくて」


 涼しい顔にほんのり汗を浮かべ、千里ちさとさんはやってきた。

 向かいの席に座り、お水を持ってきたウェイターさんにホットコーヒーを注文する。

 今日の午前中なら空いているという千里さん。

 仕事前の貴重な時間をいて、こうしてわざわざ私の急な誘いに乗ってくれたのだ。


「――なるほど。記憶、失ってなかったんだ」


 突然の告白にも千里さんは動じることなく真剣な顔で、ここ数日間で私たちに起きた出来事の説明を黙って聞いてくれた。

 

「騙すような真似をしてしまい申し訳ございませんでした」

「事情が事情だから仕方ないでしょ」


 ただプラーナ切れから72時間が経過しても記憶が消えないことに関しては、和人かずとさんの言いつけを守り伏せておいた。

 胸は痛むが、こればかりは仕方がない。


「にしてもあのバカ......相変わらずというか、人として肝心な部分のネジが緩いと

いうか」


「正直驚きました。帰ってきてから何事も無かったかのように「もう大丈夫だから」とおっしゃるもので」


「そりゃそうでしょうよ」


 苦笑を浮かべ、コーヒーカップを小さく傾ける。縁に口紅のあとがつく。


「一歩間違えれば、大怪我どころかおそらく命だって失っていたかもしれない......なのに和人さんは、私に黙って一人であの人たちの元に向かって」


「あいつなりに成功する計算があってのことだろうけど、ましてや相手は法を犯すヤバイ商売してる連中。普通は恐怖の方が勝ってもおかしくない」


「はい」

「引いた?」

「.......多少は」


 いくら大事な家族を守りたい。勝算はある。

 にしても自分と住む世界が正反対の危険な相手の元へ、たった一人で平然とおもむくのが私には信じられなかった。

 舞菜美まなみさんのことだって知っているのに。


「幼少の頃の和人さんは、一体どんな方だったのでしょうか」

「何を急に」

「いえ。幼少の頃の出来事が、今の和人さんを形作ったのかなと、ふと思いまして」

「昔の和人、ねぇ」


 以前、気になって何気なく訊ねようと試みたことはある。

 でもたまに自分から昔話をする時の和人さんはどこか寂し気で。あまり踏み込んではいけない領域だと感じとり、極力避けるようにした。

 妹の千里さんなら何か知っているのかもしれない――今日私が直接会う目的は、これも含まれていた。


「つまんないガキんちょだったわよ。母親に嫌われないよう必死に良い子を装って。そのくせ妙に頭がキレたところもあったし」


「それだけ......でしょうか?」

「ん?」


 千里さんの眉がピクリと反応し、嘆息する。


「......凛凪りんなさん。私に和人の秘密を訊きだそうとしても無駄。あいつは双子の兄貴ではあるけど、だからと言ってずっと傍にいたわけじゃないの。学校だって途中から別々になったし、向こうは大学に入ってから一人暮らし始めたからね」


「いえ、そういうつもりでは」


 こちらの意図をあっさり見透かされ、反論できないよう外堀を埋められてしまった。


「心配しなくても、あいつにとって間違いなく凛凪さんは大切な存在だと思う。でもそれが”家族として”なのか”それ以上の何か”なのかは、本人の胸のうちに訊いてみない

とね」


「......はい」


 やはり答えは和人さん本人に直接訊くしかない――最初から答えはわかりきっていたけど、それでも何かを他者から期待している自分がいて。


 そんな複雑な感情と葛藤する私を見かねて、千里さんは背中を押してくれた。

 優しさの種類は違うけど、どこか和人さんに似た温かさを感じる。

 この人が和人さんの妹さんで本当に良かった。


「ところで和人の奴は私と会ってることは知ってるの?」

「はい。テーブルの上にメモを一枚残してきたので」

「昨日喧嘩した上にテーブルにメモって。凛凪さん意地悪すぎ」

「約束を反故にされたのですから。あのくらいされてバチは当たらないかと」


 スーツでホットコーヒーのカップを持つ姿が絵になる。

 静かな店内に私たちの笑い声が響く。





 千里さんと別れてからは、過去の痕跡を辿るよう、いろいろな場所へと足を運んだ。


 一年間だけ住んだ星崎の家に、私と舞菜美さんの、短いながらも思い出が詰まった街。

 マンションの方も訊ねてみたけど、店が入っていた1階はもぬけの殻。

 住居があった2階の部屋も同じ。

 やはり霧津木さんの言った通りだった。


 最後に私が倒れていたらしい近所の電柱の前を通り抜け、家に戻ってきた頃には夕方の7時前。

 どこかの部屋の夕飯の匂いを嗅ぎながら部屋の近くまでやってくると、そこで何やら焦げ臭さが漂ってきた。


「あ、おかえりーっと!」


 玄関を開けて目の前に現れたのは、慣れない料理に悪戦苦闘する和人さん。

 どうやら焦げ臭さの原因は、コロッケを派手に焦がしてしまったこと。


「いやー、揚げ物って難しいね。スマホ見ながら作ってみたんだけど、タネは上手くまとまらないやら、あっという間に衣は黒焦げになるわでまいった」


「......全く、兄妹揃って何をしているのですか」

「面目ない」


 さえばしにエプロン姿で頭を下げる和人さん。

 おそらく彼なりに昨日の件の謝罪を込めた、そのお詫び。そんな必要ないのに。

 靴を脱ぎ、キッチンの洗面台で手を洗うと、着替えるのを後回しにして和人さんの横に立ってコロッケ作りを手伝う。 

 

「今日はお仕事では?」

「なんとなく休みたい気分だったからさ。休んだ」

「そんな適当な」


 コンロの火を一旦止め、和人さんの丸めたコロッケのタネを一個手に取り確認する。


「これはかなり水っぽいですね。もしかして隠し味に何か入れました?」

「牛乳を少々」

「これが少々?」

「訂正します。入れすぎました」


 目を細め訊き返すと、和人さんは観念したようにすぐさま白状した。


「これでは水分が多くて纏まりません。パン粉はまだ残ってますか?」

「ごめん。もうそんなに残ってない」

「ではじゃがいもを追加して水分を吸収させましょう。少しお時間がかかってしまいますが」

「俺がやるよ」


 和人さんは素早く冷蔵庫の野菜室からじゃがいもを取り出し、水で綺麗に洗う。

 芽の切り抜きや皮の剥き方はお世辞にも上手とは言い難い。

 でも不器用ながらも必死に包丁を扱う彼の姿は新鮮味があって面白い。


「......ホント、俺って昔から不器用だよな」

「和人さん?」


 声音の異変に気付き顔を見上げると、和人さんの目には大きな涙が。


「......あれ、今頃になって玉葱たまねぎを切った影響が......」


 まだ剥いている途中のじゃがいもと包丁をまな板の上に置くと、手の甲で溢れ出る涙を拭った。

 鼻を啜り、人目もはばからず泣きじゃくる。まるで子供みたいに。

 私は無意識の内に彼の背中をぽんぽんと、優しく擦ってなだめた。


 彼との間に明確な答えが欲しい気持ちを、胸に秘め――。

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