第44話【道程】
――誰も守ってはくれない。
子供ながらにそんな思いを抱いたのはいつの頃だったか。
母親の興味は自分の後継者として産んだ千里のみ。
俺はそれに付いてきた要らぬおまけ。
口に出さなくと目が、態度が示していた。
いじめられても誰も助けてくれない。
唯一味方のはずの肉親でさえ『いじめられる人間に原因がある』と、逆に俺を責め立てた。
深い絶望は、怒りを呼ぶ。
その怒りをバネに動画サイトを使って格闘技・護身術を独学で学び、いじめてくる連中に対抗した。
自分を
子供のいじめというのは不思議なもので、何もしていなくてもある日突然標的にされる。
普通なら誰でも嫌がるこの行為を、俺は信じらないことに喜んだ。
手を出してきた相手を学んだ知恵を駆使して追い詰め、いたぶる――日々の不満を解消するツールとしての利用。
いつしか『ヤバイ奴』というレッテルを貼られ、誰も俺に近づく者はいなくなった。
中学に入ってからも何度か標的にされたことはあったが、数回こなすとまたピタリと止んでしまった。
みんな誰かを撃ちたくて仕方ないけど、撃たれる覚悟まではないのだ。
なんと身勝手なことか。
退屈なまま中学を卒業し、俺は敢えて誰も俺のことを知る人間がいなそうな、家から少し離れた高校へと入学する。
そうすれば久しぶりにあの緊張と興奮が合法的に味わえると考えた。
今思うと相当イカレた男子高校生だ。
しかし、俺の思惑は大きく外れた。
「オッス! オラ
「え? ......ああ、これ?」
入学式後のホームルームを終え、誰とも仲良くするつもりもない俺に、笹森がふざけた口調で声をかけてきた。
「見かけによらず随分とキラキラした少女漫画読んでんのな」
「妹からの借りものだよ。用が無いなら話しかけないでくれる?」
「そう言いなさんなって。確かその少女漫画......なっちんも好きだったな。おーい! なっちーん!」
教卓の周りで女子数名と話す一人の中に、彼女はいた。
「ちょっと笹森。高校に入ってまでなっちんは恥ずかしいでしょうが」
「細かいことは気にすんなって。俺とお前の仲だろ」
「またあんたと同じ高校な上に三年間一緒だなんて。最悪以外の何物でもないんだけど」
ふわっと丸みのある髪型とヘアバンドを揺らし、俺たちの元へやってくる。
「ごめんね。このバカ距離感バグってるから。嫌なら嫌ってハッキリ言ってあげていいから」
「酷っ! せっかくお前の同士見つけてやった俺に言うセリフかよ」
「は?」
不満ををこぼす笹森が指す先を見るなり、彼女の目の色が輝いた。
「うっそ! キミもこの漫画好きなの!?」
「嫌いならわざわざ教室でなんか読まないよ」
目の前に満面の笑みが迫る。
甘くいい匂いが鼻腔に入り込み、ドキドキしてしまう。
男が少女漫画を読むことをバカにするわけでもなく、彼女――
そこから日野宮とはよく話すようになり、気が付けば交友関係も広くクラスの中心人物的な彼女の力もあって、俺は周囲とも比較的良好な関係を築いていった。
学生らしく帰りにみんなでファストフード店に寄ったり。
カラオケで苦手な歌を唄わされたり。
クラスで両片思いの二人をくっつけるために、日野宮の誘いでダブルデート的なことも
した。
群れに慣れていないゆえに、最初は初めてのことばかりで戸惑った。
でもクラスの連中や日野宮と一緒にいるうちに、これまで体験したことのない安心感を覚えた。
居場所――俺が人生で初めて得た安住の場所が、そこに存在した。
幸せな三年間もあと少しで終わってしまう。
そんな卒業を間近に控えた時期。
日野宮の様子がおかしいことに気付いた。
「でさぁ、千里の奴はあの展開が納得いかないらしいんだけど、日野宮はどう?」
「へ? ......ああ、いいんじゃないかな」
何を話しても
最近ずっとこの調子だ。
「卒業前に何をアンニュイになってんだよ。らしくないぞ」
「大丈夫。ちょっと考え事をね。ていうか、
「誰かさんから取り扱いの説明を間近で受けてきましたので」
「ああ
二年のある時期を境に、俺たちは教室以外の場所でたまにこうして二人っきりで話すようになった。
人が滅多に来るようなところじゃない場所。
今日はカギのかかった屋上に通じる扉の前。
「......ねぇ。和人はさ、どうしても手に入れたいもののために、どうしても捨てなきゃいけないものがある場合、どっちを選ぶ?」
「急にどうしたんだよ」
「いいから教えて」
日野宮の真剣な眼差しに、言葉に詰まりながらも答えてみた。
「その二つが何なのかにもよるけど。そうだな......もしもそれを捨てて、他人だけじゃなく、自分も最終的に笑顔になれることならいいんじゃないか」
「何それ。哲学っぽい」
「日野宮が教えてくれたんだぞ。俺に」
「私そんな歴史上の偉人さんみたいなこと言ったかなー」
つまらない危険な遊びに溺れても、本当は誰かに正面から見てもらいたくて仕方なかった。
日野宮は自分が更生する機会を与えてくれた人生の恩人だ。
こんなことを言ったら絶対に調子に乗るから言わないが。
「和人が言うなら......うん。ちょっと怖いけどやってみるよ。私たちの未来のため
に」
「自分一人で完結しやがって。すっきりしねぇな。でもなんか困ったことがあったら何でも言えよ」
「わかってるって。頼りにしてます、せーんせ」
「誰が先生だ」
この笑顔を守るためなら、俺は何だってする。
制服の上から人の胸筋を
――でもあの時。笑顔の下には想像を絶する苦しみを抱えていたことに気付いてやれれば――。
翌朝。
学校に到着する寸前で、妙な胸騒ぎがした。
動物が地震が起きるのを事前に察知するかのように。理由もなくざわざわする。
出席したところで卒業式の予行練習をこなし、お昼前には下校。
正直お別れを控えたみんなに会うためが目的だが、今日ばかりは自分の感を優先することに。
来た道を戻り、電車に乗って最寄り駅まで帰ってくる。
家に着くと、玄関には父親の革靴――と、女性用のローファーが一足ずつ。
おかしい。
珍しく父親が帰ってきてるのはともかく、隣に並べられたローファーは千里のとデザインそのものが違う。
特徴的なリボンの付いた、ウチの学校指定のもの。
気になって手に取ろうと屈んだ瞬間、この場所でするはずのない、好意を持った相手の匂いがした。
ざわつきが確信へと変わると同時に、俺は靴も脱がずに土足で上がり、父親の部屋がある二階へと向かった。
男女の揉めるようなやりとりが聴こえる。
「親父! 何してんだよ!」
ドアを勢いよく開いた俺の目の前には、一番あって欲しくない組み合わせの二人がいた。
制服を剥かれ、下着が露わになった日野宮――そして、子供の俺には見せたことのない快楽で汚れた表情の、実の父親――。
そのあとのことはよく覚えていない。
気が付いたら手にはボロボロの脚立。
泣き叫ぶ日野宮。
床には顔中を腫らした、血を流し倒れている肉親と
救急車で運ばれた父親は、全身打撲と顔面の一部が複雑骨折。
だが幸いにも命に別状は無かった。
後日わかったことだが、奴は母と千里の旅行中、そしてお手伝いさんの休みの日を把握しての行動だったらしい。
ただ事態はそう単純なことじゃなかった。
日野宮のパパ活の相手としてやってきたのは、なんと俺の父親だったと言うのだ。
事件から三日後。
日野宮からの体育倉庫への呼び出しに応じた。
母からの自宅待機の命令を無視して。
「私の両親ね、突然離婚しちゃったの。だから大学は諦めて来月から働けって......勝手だよね、親は」
「......じゃあパパ活は」
「今回が初めて」
日野宮がパパ活女子に染まっていないことに安堵する自分がいる。
「処女でJKなら言い値を払う。この二つって、男の人にとっては凄いブランドなんだね」
「それで学費を払おうと」
「うん」
「何で相談してくれなかったんだよ。俺、言ったよな。困ったことがあったら何でも相談しろって」
「言えるわけないでしょ。両親が離婚して学費に困ってまーす、なんて」
「それでも」
「出してくれた? 大学の学費って一年でどれだけかかるか知ってる? 私立だと約90万だってさ。100万近いんだよ? 親の世話にならなきゃ生きられない私たちに払えるわけないじゃん」
今までのお年玉貯金を切り崩しても全然足りない。
俺と日野宮が必死になってバイトすれば、両立も可能性としてはあるか。
「ダメだよ。和人は私の彼氏じゃないでしょ。それとも......正式に私の彼氏になってくれるの?」
「は? お前何を......なっ!?」
俺の手を取り日野宮は、自分の胸に当ててみせた。
ワイシャツとブラジャーの上からでも、この世のものとは思えない柔らかな弾力が伝わり、心臓の鼓動が増す。
「やっぱり初めては和人に貰ってほしいな。一緒の大学に行けなくなったのは残念だけど、好きな人と結ばれるなら、それもありかな」
「日野宮」
「夏樹って読んで」
上目遣いで迫られ、つい名前で呼びそうになる。
ほんのりリップの付いた艶めかしい唇。
近くで見ると意外と切れ長なまつ毛。
シャンプーのいい匂いがする、空気を含んで膨らんだ髪。
たった一言言うだけで、日野宮が俺の彼女になる――でも――。
「俺も日野宮とはできれば彼女になりたい」
「じゃあ」
「でも俺と日野宮が求めてる『恋人』は、違うと思う」
「......言ってる意味がわからないよ」
恋人になってほしいと言ってくれた彼女の勇気に報いたい。
そこまでしてもらっておいても、俺の感情にはやはり湧いて来なかった。
「とにかく、俺は今の関係のままがいいんだ」
「......そっか」
信じられないといった表情から薄い笑顔へ。痛い。苦しい。
胸元からするりと腕が解放される。
「和人にとって私は、そこまで魅力的な女の子じゃなかったってことが、よくわかったよ」
「違う。決してそういう意味じゃ――」
「慰めは止してよ。私がバカみたいじゃん」
「日野宮」
「残り少ない高校生活だけど、最後までお互い良い関係でいようね......橘君」
名前から苗字読み。
それだけなのに、すぐ隣にいた日野宮との距離が酷く遠くになったと感じられる。
「......そうだ。これだけは言わせてもらっていい?」
去り際。背を向け、肩と声音を震わせながら、彼女はこう告げていった。
「橘君は将来、魔法使いどころか大賢者様にだって慣れると思うな」
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