第42話【間違い】
「え? どういうことでしょうか?」
「だから、もう
夜。
いつもより少し遅めに帰ってきた俺を玄関で出迎えた
「信じられません。あの人たちが素直に話し合いに応じるなんて」
「まぁ、多少はエキサイトした話し合いになったけど。そこはほら、手は打ってあるって言ったでしょ」
「どんな手でしょうか? 私に説明してください」
「......」
「教えられないようなことをしたのですね?」
上着を脱ぎ、ハンガーにかけている間、畳みかけるように俺を厳しい口調で問う。
背を向けていても彼女の責める感情が伝わり呻く。
「
「いいじゃないか。凛凪さんを苦しめる問題が無事に解決したんだし」
「よくありません!」
凛凪さんからの突然の
早くこの話を終わらせ、またいつもの平和な時間を過ごしたいと願う俺の頬を引っぱたかれた気分がして、彼女の顔をまじまじと見つめる。
瞳の端に涙を溜め、視線はこちらを捉えて放さない。
「その手の傷......誰かと争った時にできた傷ですよね?」
血もとっくに止まり、そこまでの大した傷ではないと鷹を括って絆創膏を貼らずにいた右の拳。今さら隠したって遅い。
そんな僅かな傷も見逃さない凛凪さんの追求はなおも続く。
「せめて私も一緒に同席させてほしかった。あなたに家族だからと言われて、凄く嬉しかった。でもこの問題の原因になったのは私。私さえいなければ、和人さんが危険なことをしなくてすんだ」
「違うよ凛凪さん。悪いのは全て凛凪さんたちの立場を利用したあいつらだ。何も悪くない」
「いいえ。彼らに利用されると知っていながらついていったのは私です。何も責任がないはずがありません」
「そうしなければ凛凪さんは生きて行けなかった。不可抗力だよ」
「だとしても私のせいで関係の無い方が危険を冒すことがどうしても許せないんです!」
関係の無い方――か。
本心ではない、勢いで出てしまった言葉だとしても、家族だと思っていた人の口からはできれば聞きたくなかった。
胸に刺さった痛みに唇を結んでいると、凛凪さんは俺の右の手を両手で包み込む。
「本当に......私が家族だから助けたのですか?」
「ああ。そうだよ」
「そうですか......」
「!?」
突然傷口をなめられ、背筋にゾクっとした衝撃が走る。
「凛凪さん何を」
「前にも言いましたよね。私、和人さんのことが好きですと。あなたが望めば私はどんなことでもしてあげます。傷口だけじゃなく、こっちの方だって」
「そういうのはいいってあれほど――」
「
違う。
そうじゃない。
恍惚な
「俺はただ......このままの関係を維持したいんだ」
「自分の気持ちに正直になってください」
本当だ。
嘘なんかついていない。
二人でこれまでどおりの平和な暮らしを送りたい――それ以上何も求めていない。どうしてわかってくれないんだ。
「いつでも準備はできていますから」
「よせ!!」
甘く囁く、心の隙間から侵入する言葉。
再び股間に触れられた細く綺麗な手。
その二つが俺の感情を逆撫でし、我慢が限界に達した。
気付けば呼吸は上がり、腫物に触れられたかのよう、凛凪さんの顔を睨んでいた。
「俺がそうしたいからそうした......それでいいだろ?」
「......申し訳ございませんでした。私としたことが、とんだ失礼を......」
「この件はこれで終わり。今後一切話すのは禁止。いい?」
「はい」
俯き目を逸らす彼女の横を通り抜け、用がないのにも拘わらずトイレに籠る。
ドア一枚隔てたすぐ近くに彼女がいることも気にせず、大きなため息を漏らしながらそのまま便器の上に腰を下ろす。
怒るつもりはなかった。
俺はただ、凛凪さんの笑顔が見たかった。
忌まわしい過去から解放された、最高の喜びを。
それなのに。
どうやら魔法使いになっても、あの時と同じ、間違った選択を冒してしまったようだ――。
成長しない自分が悔しくて。悲しくて。哀れで。
そんなことをしても意味がないと知覚していながらも、壁に拳を叩きつけることを止められない自分がいた。
――翌朝。
ベッドの上で目を覚ますと、部屋には誰もいなかった。
そしてテーブルの上を覗くと、凛凪さんが書いたであろうメモ紙が一枚。
今度こそ愛想を尽かされた――急に何もかもにやる気を失い、俺はその日、仕事をサボった――。
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