第41話【暴走】

 大きく振りかぶた霧津木むつぎの警棒は、ついさっきまで俺がいた場所を『ヒュン』という音とともに空を裂く。

 後ろに回り込んだのに気付くと、またバカみたいに同じような動き。その繰り返しが続く。


「逃げんなコラァ!」


 いや、誰がそんな初期動作のはっきりした攻撃に当たるか。

 部屋での異変に気付いた黒服と思わしき若い男数名が扉を開けやってきたが、上司の暴れっぷりに呆然とし、ただそこに突っ伏しているのみ。

 

「霧津木やめろ! 部屋ん中で暴れんな!」

「うるせぇッ! もうあんたなんか俺の上司じゃねぇ! 全員俺の敵だ!」


 逆上する霧津木には久世くぜの声も虚しく。

 自分のところに危険がやってくるとなると、ふんぞり返っていた椅子の上から慌てて腰を上げる。

 時間さで目の前のデスクに警棒が叩きつけ

られた。

 耳を塞ぎたくなるような金属音が鳴り響く。


「お前らコイツを何とかしろ!」


 オーナーである久世の命令に従おうとするものの、やはり武器を振り回している人間に近づくのは怖いようで。互いに顔を見合わせ、その一歩を踏み出すことに躊躇して動けずにいる。

 こういう時、金で繋がっただけの関係は弱い。


 ――そろそろ頃合いか。


 彼らを脅......取り引きする上で、どうしても心配の種として残ってしまうのは霧津木の存在。

 オーナーの言うことに従わず、自分の感情に従い独断で行動する男は誰だって信用できない。

 ましてや危険な橋を一緒に渡っている相手となれば尚更。

 恐らく最悪の手段で俺を、凛凪りんなさんに手を出してくると踏んでいた。

 かなり賭けに頼った判断だったが、案の定、久世は霧津木を見捨て孤立した。


 今なら手を出しても大義名分が得られる――そう確信すると、俺は霧津木との距離をわざと気付かれるような素振でゆっくり縮めた。


「なに急にやる気になってんだよ!」


 応接テーブルの上からジャンプし、もう見飽きた上方からの振りかぶり。からの左右への振り回し。


 腰を低くし後ろへ下がって避けると、相手の腕が緩んだ一瞬の隙を突いて警棒のつかを下から蹴り上げる。

 手元からするりと飛び出した警棒に注意がいっているうちに、俺は右の真っすぐの拳を霧津木の鼻の下、人中じんちゅうにめがけて思いきり叩き込む。


「ッ!!!???」


 強い衝撃を与えると呼吸困難に陥るという人体の急所の一つを突かれるや、霧津木は苦悶の表情で顔を歪めた。

 そのまま後ろに倒れ込み、声も上げられず口元を抑え込みながら床をのたうち回る。


 ――そういやコイツ、凛凪さんの頬をはたいた上に、倒れ込んでからも蹴り入れてたよな――昨日確認のために見た動画が脳内でフラッシュバックし、それまで冷静だった感情に火が点いた。


「ぐんふッ!」


 足元で転がる久世のがら空きの腹に、全力のサッカーボールキック。

 言葉にならない苦悶の声が、口元を抑えていた手の隙間から漏れ出る。

 生地の柔らかめなスニーカーを履いていようが関係無い。不意を突いた状態で固いつま先で蹴られれば当然激痛が走る。

 

「ぐぅッ! ......ぐぅッ!」


 蹴る度に部屋には霧津木のくぐもった悲鳴が。

 人中の痛みと腹部へ継続して与えられる強烈な痛みに体を縮こませる姿は、まるで貝のよう。


 ――まだ足りないな――凛凪さんが受けた傷は全然こんなもんじゃないだろ――。


 見下ろす霧津木が目を開けこちらを向いた瞬間に合わせ、今度は口元を踏みつける。

 体重を乗せ、勢いよく。


「んぅぅぅぅぅぅッ!!!???」

 

 床には血と混じって白っぽい小石みたいな物体が飛び散る。

 おそらく霧津木の歯だろう。

 人中におみまいした段階で前歯にヒビが入っていたものが、ダメ押しで折れたといったところか。

 まぁ、コイツが今までしてきたことを考えれば自業自得。

 むしろまだ足りない。

 感情は至って冷静なはずなのに、体は焼けるように熱い。


「......もういい。やめとけ」

「............」

「よせって! 本当に死んじまうぞ!?」


 部屋の隅で傍観していた久世に羽交い締めで止められ、俺はようやく事の状態を認識できた。

 霧津木は口から血の泡を吹き出し、白目を向いたまま痙攣している。

 防御でとっていた手の指は一部が変な方向に曲がり、血の匂いに混じってアンモニアの臭いも微かに鼻に付く。

 

「ハァ......ハァ......」


 呼吸は息を止めていた後かのように苦しい。

 霧津木から俺を無理矢理引き離し、我に返ったことを確認した久世は、力無くその拘束する腕を下ろし、その場にしゃがみ込んだ。


「......ったく、ダっせぇなお前。一般人相手に武器まで使ってこのザマかよ......とりあえずこのバカを部屋から出せ」


 『は、はい!』と部下の黒服たちは霧津木を担ぎ、急いで部屋の外へと運んで行った。

 懐からタバコを一本取り出した久世は、火をつけホッとしたように吸いはじめる。


「アンタさぁ、格闘技の経験でもあるのかい?」

「いえ、特には」

「その割には場慣れしてる動きだったな」

「強いて言えば、護身術を少々」

「少々ねぇ。随分とえげつない護身術だこと」


 嘘は言っていない。

 俺は生まれてこの方、塾以外の習い事のたぐいはしたことない。


「......霧津木を逆上させたのも、アンタの計画のうちか」


 大きく副流煙を吐き出し、久世は問う。


「さぁ。何のことでしょう」


「今さらとぼけなくても。おそらくアイツは俺がやめろと言っても、変わらずあんたやゆかりに手を出していただろうよ。だからわざと挑発して、俺との関係が決裂するよう仕向けた」


「それを言うならそちらの方こそ。まるで霧津木を切り捨てる絶好のタイミングだと言わんばかりの梯子外しで」


 正直、ここまで計算通りに事が進むとは思わなかった。

 最悪、久世や黒服たちも一緒に逆上し、襲いかかってくる展開だって予想できた。 

 我ながら勢いに任せて大胆な行動をしたものだと、終わってみてからその無謀さに薄い笑みがこぼれる。


「霧津木をやってる時の雰囲気でわかった。あんた、紛れもなく”こっち側の”の人間だよ

。どうだ。あんたさえ良かったら霧津木の代わりにうちの店長やるつもりはないか?」


「冗談を。沈みかかった舟に乗るバカはいませんよ。それに俺は、あなた方の世界に興味はありませんので」


「言ってくれるじゃねぇか。そこまでハッキリと物をいう奴、嫌いじゃないんだがな」


 侮辱とも取れる言葉を、久世は何故か嬉しそうに聞き流す。

 俺の方こそ、久世の手のひらの上で踊らされていた感を拭えない。

 お互いの利害の一致が生んだ結果――まさにそんな雰囲気だ。

 

「霧津木の件は俺に任せてさっさと帰れ。早くしないと30分経っちまうだろうが」


 タバコを指に挟んだ方の手でしっしと邪険に扱われ、俺はその後が気になりながらも部屋を、店をあとにした――。








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