第40話【敵地】

 こういう場合、相手に考える隙を与えてはけない。行動は早いことに越したことはない。

 霧津木むつぎからの襲撃があったその日のうちに、俺は久世くぜに電話でアポを取り、次の日彼らの経営するコンカフェへとやってきた。


「お待ちしていました」


 営業時間前。

 黒服と思わしき若い男に案内された部屋にいたのは、久世。と、その横には霧津木。

 来客が来たというのに、久世は自分のデスクにふんぞり返ったまま出迎えようもせず、霧津木もボスにならってニタニタと汚い笑みを浮かべている。


「昨日はうちの店長ものが勝手に。申し訳ございませんでした。少々手荒なことをしてしまったようで」


「嫌ですよオーナー。俺はただ久しぶりの再会に軽くスキンシップしただけですって。ねぇ?」


 会って早々の挑発。予想通り。

 相手のペースに乗らないようそっと拳を握りしめ、視線だけは離さない。


「......で、ゆかりを返す気にはなってくれましたか?」


 ――きた。

 緊張で口から飛び出しそうな心臓をぐっと抑えて、応えはわかっていると言いたげな余裕な笑みの久世に、俺は告げた。


「あなた方に、うちの凛凪を渡すつもりはありません」

「......あッ?」


 霧津木の片方の頬が引きつる。

 ボスの久世も一瞬同じ反応を見せるが、笑ったままの目で冷静に問う。


「何かの聞き間違いでしょうか。もう一度訊ねます。ゆかりを――」


「何度訊いても変わりません。うちの凛凪りんなを返すつもりはないと言っているんです。二人とも耳が悪いんですか?」


「だとコラァ!!」


 今にも殴りかかってきそうな霧津木を手で遮り、久世は尚も対話を続ける姿勢を示す。


「橘さん。いくらでしたらゆかりを手放していただけますか」


「お金の問題じゃありません。彼女には意思があります。我々と同じように。その彼女があなたたちの元へ戻りたくないと、そう言っています」


「はぁ? バカじゃないのお前? まさか錬成人間ホムンクルスに恋でもしちまったか? ウケんなおい!」


「あなたにとってゆかりが何なのかこの際どうでもいい。でも一度堕ちた錬成人間は、二度と元の場所には戻れない。私は今まで散々見てきましたから」

 

 凛凪さんや舞菜美まなみさんだけじゃない。

 おそらくこいつらは過去に、いや現在進行形で何人もの錬成人間の女性の弱みにつけこんで、甘い汁を吸ってきた。


 一見知的に見える久世にも霧津木同様、錬成人間は搾取される側。

 強者が弱者を利用して何が悪いというバイアスがかった思考が、言葉の端端から感じ取れる。

 

「私は別に、彼女を元の場所に戻そうなんて考えていません。彼女が独り立ちをできる手助けをしてやりたい......その想いだけです」


「とんだ偽善者ですね」

「あなたたちと一緒にしないでもらいたい。今日はその旨を伝えに来ました」


 目的は他にもあるが、意思表示だけは先に伝えた。

 すると久世の横で立っていた霧津木は、大きなため息を吐き出し、不満げな態度をさらに露骨に表し喋りはじめた。


「――だから言ったでしょオーナー。コイツ強引に闇討ちしてゆかりをかっさらった方が早いって」


「霧津木」


「オーナーは経営は優秀だけど、どうも肝心なところでビビっちまっていけねぇ。まぁ、ここに呼び出してくれたおかげで、誰にも見られずに済むから助かったけど~」


 本当にこの霧津木という男は、予想し易いバカで助かる。

 無駄に血の気の多い奴なら、遅かれ早かれこちらが拒否した時点で襲い掛かろうとするのは想定済み。

 指をポキポキ鳴らしながらデスクの横から近寄ろうと動いた霧津木に、ジョーカーを切る時が来た。


「俺が何も手を打たないで来たと思う?」

「あん?」


 スマホを取り出し動画を再生してやると、威勢の良かった表情は崩れ、目を見開いて画面に釘付け。

 

「......おい。なんだよコレ......」


「久世さん。この彼女に暴力を振るっている男......どう見てもそこの彼ですよね? 手荒なんて小綺麗な言葉遊びはやめましょうよ。思いっきり手も足も出してるじゃないですか」


 画面に映るのは、昨日の夕方の霧津木と凛凪さんの空き地でのやり取り。

 二人を追跡していた一ノ瀬さんに離れた場所からこっそり録画するよう、俺が念のため指示を出しておいたのだ。

 音声こそ小さくて聞き取れないが、霧津木が凛凪さんに暴力を振るっている状況証拠としては申し分ない。


「この馬鹿......何てもん撮られてんだよ」

「......だから何だよ? これだけじゃ俺を捕まえようたって無理だぜ?」

「こんなのもありますよ」


 動揺を隠せない霧津木に今度は、別方向から畳みかけてやる。

 スマホのスピーカーから流れてきたのは、俺が加わってからの会話のやり取り。

 

「最近のスマホってホント便利ですよね。デフォでボイスレコーダーアプリなんて入ってるんですから。こんな物騒な世の中。どこで何が起きるかわかりませんし」


 こちらが敢えて凛凪さんを狙った動機や、その他諸々の情報を引き出す目的で振ったとも知らず、霧津木バカがベラベラと喋ってくれて助かった。


「念のために言っておきますが、俺からスマホを奪っても無駄ですよ。あと俺を襲って口を封じようとしてもね。30分経っても戻らなかったら、然るべきところに連絡と資料を渡すよう手配済みなので」


 もちろんブラフだ。

 例え見え透いたブラフでも、自分たちの方が状況が悪いと思えば、翻弄され判断を狂わす。

 こっちはか弱い一般市民様。

 使えるものは何でも使って勝ちに行くのが定石だ。

 

「クソがぁ......随分とナメた手回ししてくれたじゃねぇか」

「......霧津木。もういいやめとけ」

「けどよ――」

「霧津木!!!」


 冷静だった久世の制止が部屋中に響き、メッキの剥がれた、苦い表情で口を開いた。


「――ここらが潮時だ。お前は派手にやりすぎたんだよ。マナミの件でただでさえ警察から目をつけられてる今、下手な騒ぎは冗談抜きで命取りになる」


「なんだよオーナー......俺一人に責任押し付けるつもりかよ......あんただって新店舗でもホムオプやろうって言ってたじゃねぇかよ」


「状況が変わったんだよ。仮にも上に立つ人間ならそのくらい感じとれ」


 額を抑え天を仰ぎながら自分を責める久世に、霧津木は納得がいかないと主人に噛みつく。


「随分と物分かりがいいんですね」


「でかい口叩いてんじゃねぇぞ小僧。こっち側の世界を渡るにはな、そっち側以上に引き際が肝心になる。一度ミスって足が着いた連中に甘いほど優しくできちゃいない。イージーモードから鬼のハードモードに爆上りよ」


 そこまで歳が離れていないはずなのに、俺を小僧呼ばわりとは。

 演じる必要がないと感じた久世の口調からは知的さが消え、代わりに素と思われる粗々しい口調が現れた。

 腕を組み唇を結んでいると、有名極道ゲームの主人公に見えなくもない。

 

「自分で選んだ人生です。文句を言わず今後一切、凛凪さんに手を出さないと誓ってください」

「ああ。誓うよ」


 久世はしっしと俺を手であしらう。

 思ったよりあっさりな諦めに拍子抜けしたが、下手なマネはしなさそうだ。 


 ――問題はこっちだ。


「......んなよ」


 ほらな。

 俯き黙っていた霧津木が、肩を震わせ小さく呟く。


「なめられっ放しで終われるかよッ!」


 ポケットから警棒のような鉄の物を取り出し、怒りの形相で俺に襲い掛かってきた。




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