第29話【変転】
「ありがとうございました。またお越しくださいませ」
ぺこりと軽くお辞儀をしながら、丁寧で落ち着いたトーンの口調で、会計を済ませた外国人観光客を見送る
仕事もある程度覚えてきたこともあり、数日前からレジにも立たせてみたんだが、本人の
凛凪さんのお辞儀に釣られて、ついお辞儀で返してしまう人が後を絶たなくて面白い。
「種崎さん、早速ウチのSNSで話題になってるッスね」
店長デスクで仕事姿に見惚れる俺を、有坂さんが見てくれと言わんばかりにパッド型の端末で
「なになに......『レトロゲームの聖地に天使現る!』『彼女からめちゃくちゃ良い匂いがするんだが』『メイド喫茶でも頂点狙える、千年に一度の逸材』......気持ち悪っ!!」
「ワードチョイスがどれもおっさん構文っぽくてウケるんスよ」
「いや面白くねぇよ。
気色悪いコメントの数々が映し出された端末を指の関節でコンコンと叩き、有坂さんに突き返す。
昨今メイド喫茶のメジャー進出や会いに行けるアイドルたちが生んだ産物として、距離感のバグったヲタクが増殖した気がしてならなかった。そんな連中にこんな言葉を贈ろう。
『一般の女性にも相手にされないお前らに高嶺の花が振り向くわけないだろ! 鏡を見て現実を重く受け止め絶望しろ!』
と。
魔法使いになった俺が人のことを言えた義理ではないが、身はわきまえているつもりだ。
「仕方ないッスよ。秋葉原はそういう人種が集まりやすい場所なんッスから」
「確かに昔からそうだけどさ」
「でもおかしいッスよね。ウチには他にもこーんなに魅力的な女性がいるのに、話題にもならないなんて」
平坦な胸を張って一生懸命セクシーなポーズでアピールする有坂さん。
「......さて、俺はそろそろ銀行行って来るわ」
「ナチュラルスルーッスか!? ていうか、女性陣の中で私の扱い一番悪くないッスか!?」
「気のせいだよ気のせい。例によって専務から電話があったらすぐ俺にメッセージ送ってね」
「了解ッス~」
力無く手を振る有坂さんと、接客中の凛凪さんに会釈で見送られ、俺は店の売上金を持って銀行へと向かった。
昼前のこの時間に向かえば昼食時の混雑を避けられ、すんなり窓口での両替も行えるはず。
そんなことをぼんやり考えながら、平日の人もまばらな中央通り沿いを末広町方面を歩く。
銀行で用を済ませ、店の前付近まで戻ってきた俺の視界に、今日は一階に入っている一ノ瀬さんの姿が。
何やら店の移動看板を背に、落ち着かない様子できょろきょろと辺りを見回していた。
そしてこちらと目がなり大声で俺を呼んだ。
「店長ー!」
「どうしたの一ノ瀬さん。何かあった?」
「とにかく早く二階に行ってください! 大変なんです!」
言葉足らずの一ノ瀬さんに
一階と二階を繋ぐ廊下に入った段階で、大声で何かを言っている男の声が聴こえ自然と足が速まる。
戻るとそこには、レジカウンター越しに中年の小太りの男性から凛凪さんを守るよう、口論を繰り広げる有坂さんがいた。
「だから何度も言ってるだろ! お前じゃなくて僕はゆかりさんと話しをしているんだ!
すっこんでろ!」
「ですからお客様、こちらも何度も言っておりますが、当店にそのような名前の従業員はおりません」
「嘘だ! 僕がゆかりさんを見間違えるはずがない!」
相手が女性だからと虚勢を張って吠える客、改め
とりあえず一ノ瀬さんには小さくありがとうと一言伝え、持ち場に戻るよう指示を出してから俺は相手に近づく。
「すいません。
「あ、店長」
有坂さんからの視線を見るまでもなく面倒ごとが起きているのは確かだが、その内容に俺は驚いた。
「この女、俺とゆかりさんの会話を邪魔するんだよ。どういう教育してんだ!」
「えーと、ゆかりさんというのは......?」
「この女の後ろにいる
コイツ――どうして凛凪さんが錬成人間であることを知ってるんだ?
見た目で人間と錬成人間を判別する
凛凪さんは仕事中、髪をポニーテールに
人の皮を被った豚に指を指され、凛凪さんの肩がビクンと大きく揺れる。
その顔は青ざめ、できるだけ相手に見られないよう俯き黙り、有坂さんに守られるように状況を見守っている。
凛凪さんもそうだが、このままでは店の営業にまで支障が出かねない。
実際、フロアにいた外国人観光客は、面倒ごとを避けようと次々に外に出ようと我先にと出入口に向かう。
わけのわからないクレーマー? には早急にお帰り願おう。
「申し訳ありませんが、仮に貴方の言うゆかりさんが当店のスタッフだったとして、個人情報の観点から教えることは出来かねます」
「黙れよカス。店は客の言うことに『はい』とだけ答えてればいいんだよ」
あー。この手の『勘違い残念タイプ』まだいたんだー。
とっくに絶滅したと思ってたんだが、しぶといな。
こうなってくるとどう説得しようにも無駄だから、伝家の宝刀を出すとしますか。
こめかみが引くつくのを握った拳でぐっと堪え、接客スマイルで宣告してやる。
「お客様、興奮して気付いていないみたいですが、こちらの様子は防犯カメラで音声含めて全て録画させていただいております。この映像を警察に恫喝された、と被害届を提出すれば......お分かりですよね?」
ご丁寧に防犯カメラの位置を指指してやると、汚い顔をさらに醜く歪めて小さく呻く。
「もしかしたら当店の本部が警察に通報して、既にこちらに向かってるかもしれませんね。これだけの騒ぎになっているんですから、お客様もさぞ覚悟があっての行為なんですよね? ですよね? ですよねぇっ!?」
敬語の中にも怒気を含め、相手に一歩、二歩と詰め寄る。
顔を背け後退りした思えば、
「............」
何も言わずに豚は逃げるように去って行った、とさ。
「出た! てんちょーの伝家の宝刀・ヤバイ奴アピール! いつ見てもキレッキレっスね」
「そんなことより凛......種崎さん大丈夫?」
「はい......ご迷惑をおかけしてしまい申し訳ございません」
「種崎さんは何も悪くないよ。それにしてもアイツ何だっての?」
平静を取り戻したフロアに、また外国人観光客がぞろぞろと入ってくる。
「なんかよくわかんないッスけど、レジにいた種崎さんをいきなり『ゆかりさんだよね!?』って話しかけて来たかと思えば『僕だよ僕、常連の顔を忘れたいのかい?』、『なんでお店辞めちゃったの?』とか、矢継ぎ早に訊いてきて」
断片的な言葉を整理すると、あの豚は凛凪さんとよく似た人物『ゆかりさん』とやらが働いていた店の顔馴染みの客だった、ということになる。
この世には自分と似た人間が最低でも三人はいると言われているが、ましてや脳味噌湧いてそうな豚の言うことだ。信憑性としては低い。しかし、
『その反応だと、僕のこと覚えてるんだよね?』
豚が口走ったこの言葉が、どうも自分の中で妙に引っかかってしまい離れてくれない。
単に凛凪さんが怯えた反応を覚えていると誤解した可能性だってある。
第一、凛凪さんは72時間のプラーナ切れにより、俺と出会う前の記憶の一切を失っているんだ。きっと他人の空似というヤツだろう。
「ちょっとお昼休みには早いけど、種崎さんはもう休憩入っちゃっていいよ」
「そうするッス。ご飯食べてひと眠りすれば、嫌な記憶なんてすぐ忘れちゃうから」
「有坂さんの場合はね」
「その言い方......なんかバカにされてる気がして
「ふふ」
明らかに淀んだ空気を和ませようと有坂さんをいつもみたいにからかってみると、凛凪さんがほんの少しではあるが笑ってくれた。
「......ではお言葉に甘えて、お先に休憩をいただきますね」
凛凪さんはお辞儀をして、バックヤードで一人早めの昼休憩を取ることになった。
ふとスマホを確認すると、一ノ瀬さんからいくつものメッセージが入っていた。
あとでしっかり彼女にも、あと凛凪さんを守ってくれた有坂さんにもお礼を言わなくてはな。
信憑性が低いと思われた情報は数日後、ある人物の来訪により一気にひっくり返ることを、この時の俺は知る由もなかった――。
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