第23話【欠員】

 人は義務教育の過程で生きるために必要な基本的知識以外に、団体行動をするうえでのルールを学んでいく。

 学校で数十名単位のクラスを作り、その中で過ごさせるのもその一環。

 教師はみんな仲良くしろと口を酸っぱくして言うのが鉄板だが、そもそもこれは仲良くすることが目的ではない。

 結果仲良くなれれば越したことではないが、争い合う人の歴史を見れば物事が単純ではないのは確か。


 要するに問題を起こさない、自分勝手な行動で統率を崩さない、他者を苦しめないことが目的、というのが30年生きてきて俺が辿り着いた答えである。

 義務教育が終わってからも、その体に刻まれたルールは誰しもがその後も守れる――だったら本当に楽なんだけどね。


「......店長。申し訳ないのですが、たった今をもって辞めさせてもらいます」

 

 6月初旬。

 梅雨のじめっとした空気が定番化してきたある日の午前中。

 店のアルバイトの小森さんが険しい剣幕でドカドカと俺のデスクまでやってきた。


「理由は......やっぱり彼?」

「もう生理的に無理なんです! 手際は悪いし、こっちが口を挟むとすぐ不機嫌になって物に当たるし......私が女だと思ってバカにしてるのが許せないんです!」

「それは......末期だね」

 

 小森さんを間に挟んでレジカウンターで黙々と作業をする有坂さんが、こちらに『ご愁傷様です』と言いたげな視線を送る。

 一ノ瀬さんの和ませ緩衝材効果でどうにか乗り切れたと思った矢先にこれですか。

 割れ物同士、緩衝材が無くなければ即ぶつかって大きく割れちゃうわけね。了解。

 

「無理に引き留めて続けさせても仕事にならないだろうから、いいよ。今日付けで退職で」

「すいません」


 その後も不満相手の愚痴を一通り俺に吐き捨て、小森さんは退社した。

 嵐が去ったと肩の力を抜いたのも束の間、今度はその相手、蛯名えびなさんが入れ替わりで俺の元へやってきた。


「橘店長。俺、今日でこの店辞めるわ」


 おいおいお前もか!

 キミら退職するには最低でも一ヶ月前には報告しなきゃいけない社会の常識を知らんのか!

 アルバイトでもほいそれと辞めらてもらっては困るんだよな!


 だが強い不満を持ったまま働かれてもお客様からのクーレムに繋がったり、思わぬ災難を呼ぶ危険性が高い。

 過去の事例として残っている。


「わかりました。エプロンは洗濯して後日持ってくるか、郵送で返してくれれば問題ないので」

「悪いね。最後までいろいろ迷惑かけて」


 反省の念を感じるならもっと早いうちに気付いて自制してほしかった。

 ここまで来るともはやそれが彼の生き方なんだろうとすら思えてくる。

 不器用、いや我儘の領域だな。


「......来るべき時が来ちゃった感じッスね」


 退職する蛯名さんに小さく会釈をして見送った有坂さんが、ため息交じりに近寄る。

 下の階、1階が二人抜けて急遽一人になってしまったのを察し、既に朝の売り場メンテ中だった一ノ瀬さんを向かわせたのはさすがだ。


「乗り切れると思ったけどやっぱダメだったかぁ」

「あの二人、どっちもどっちなんスよねー。お互い我が強くて他者に求め過ぎ。かと言って仕事ができるかと言えば――」

「皆まで言わない。でも悪い人たちじゃないんだけどな」


 小森さんは俺と同い年。

 蛯名さんは37歳。

 脳がガチガチに固まってしまったこの年代まで来ると、自分の考え方を変えるのはまず難しい。

 俺だって固定観念を強く持たないよう日々意識はしているが、はっきり言って自信は

無い。

 余程の痛い経験でもしない限り、あのような思考の持ち主は生涯堂々巡りで一生を終えるだろう。


「そりゃてんちょーからしてみたらね。蛯名さんは露骨に一回り年下の私がバイトリーダーやることに良く思ってなかったし。小森さんは私が指示出してもブーブー理由を付けてなかなかやってくれないし。私としては不安材料が消えて助かってます」

「そいつは良かった。でも現実問題として人数問題が出てくるのはどうお考えで?」

「あー。それなー」


 人差し指で俺を指差す有坂さん。

 この口癖が出た時に必ず出る仕草で、一世代前の若者っぽさを感じられる。


「またスタッフ募集の張り紙します?」

「それでいい人材が集まるとお思いで?」

「さーせん。訊いた私がバカでした」

「でしょ?」


 知能の欠片かけらもない会話からは当然生産性のある話は生まれて来ず、こんな時だからこそお茶らけてしまうのは俺と有坂さんの関係性だから成せる技。


「集まっても知識はあるけど接客はからっきし。有坂さんもよーくご存じでは?」

「ホントさーせんでした。以後気をつけるッス」


 あんまりバカっぽい会話を続けて客に聞かれでもしたら恥ずかしいので、一旦この辺にしておこう。

 空気を読んだ有坂さんがそそくさとレジカウンター前に戻り作業を続ける。


「最近は二人が同じ出勤日にならないよう上手くシフトは組んでたから、とりあえず直近で人数不足な日はないか」

「怪我の功名ってヤツっスね」


 デスク横に張ったシフト表を見てそっと胸を撫で下ろす。


「有坂さんの友達で誰かいない? アルバイト探してる子」

「一人いましたけど、少し前に決まっちゃいましたね。てんちょーの方こそ誰かお友達でいないんッスか」

「俺くらいの年代になってくると周りはほぼ全員就職してるんだよ。アルバイトしてる奴の方が珍しい」


 仕事の時間にある程度融通の効きそうな笹森であればいけそうではある。

 いや、俺が御免こうむる。

 同級生を顎で使うのは今後の交友関係に影響が出る恐れが。

 あんな白状で裏切り者なビールっ腹なデブでも、友達は大事にしたい。


「じゃあ......同棲中の彼女さんでも――」

「はいダメ」

「ケチー。一緒に働くのがダメならせめて一回でいいんでここに呼んでくださいよー」

「人の彼女なんて見ても面白くないだろ」

「私が見たいんッスよ」

「勝手か」


 ここはやはり本部に相談して求人サイトを使わせてもらうのが定石だな......経理担当にグチグチ言われるだろうが致し方ない。

 だって人がいなければ回らないわけだから。

 仕事は事務室だけで起きてるんじゃないってことをいい加減わかれっての。

 どう言いくるめようかデスクで思案している俺の頭上に、ピコーン! と、灯りの点いた電球が特徴的な音と共に現れた。

 ......アルバイトを探していて人間性が信用できて、何より頼りになりそうな人......いるじゃないか。

 それもとんでもなく身近に......。

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