第24話【勧誘】

 部屋の前まで帰って来ると、換気扇を通じて空腹を刺激するいい匂い。

 この油の混じったような甘い香りはおそらくコロッケかな? なんて予想し、期待に胸を膨らませて玄関のドアを開けてみる。


「あ、おかえりなさい☆」


 水玉模様のエプロン姿の凛凪りんなさんが料理をしながら出迎えてくれた。

 さえばしの先には黄金色こがねいろの衣はまとった小判型の物体。

 どうやら俺の鼻は当たったようだ。


「うん。ただいま。今日の夕飯はコロッケ?」

「近所のスーパーのタイムセールでじゃがいもがお安かったので。明日のお昼の分まで作ってしまいました」

「こりゃまた随分気合入れたね」


 シンクの上に乗った揚げ物バットには大量の揚げたてのコロッケ。お店でも開くつもりかな?


「味に飽きないよう具も数種類用意してあります。もちろん玉葱だけの玉葱コロッケも」

「それはもはやコロッケじゃなくてただのオニオンリングでは?」

「そうとも言います」


 鼻をスンと鳴らして微笑む凛凪を横目に俺は靴を脱ぎ、部屋の中へと上がる。

 ハンガーに上着をかけ、部屋着に着替えるために脱衣所に向かい、終わったらリビングに戻り座して待つ。

 コロッケの衣よりも鮮やかな長い金髪を後ろに結び、鼻歌交じりに夕食の準備をしている凛凪さん。 

 この光景を見ると、今日一日の仕事が終わったんだなと、安堵の気持ちがやってきてほっこりする。

 手伝おうと出来上がりを見計らってキッチンに入るも、


「お仕事で疲れているんですから。ゆっくりしていてください」


 と即リビングにUターンさせられてしまうのもお約束。

 家事全般は完全に凛凪さんの領分になり、もはや何処に何があるのか家主の俺は知る由がない。

 というか我が家に揚げ物パットなんてレアな代物があったこそさえ驚きだ。いつの間

に買ったんだろう。


 最近の凛凪さんは遠慮せず自分の意思を示すようになった。

 ここに住む代わりに家事の一切をやってもらっている、言ってしまえば主従関係みたいなものだが、俺たちの間ではそんな堅苦しいものは作りたくない。


 家族――まともな一般家庭で育っていないのでハッキリと明言はできないが、言葉で例えるならこれが一番適していると思う。

 とにかく凛凪さんとは対等な立場でいたかった俺には、それが嬉しかった。

 彼女がようやく心を開いてくれたような気がして。

 

「魚屋さんの店主様、今日はしゃけの切り身をおまけしてくれたんです。この前あさりをおまけしていただいたばかりなのに。なんだか申し訳ないです」


 夕飯を食べながら凛凪さんの今日一日の起きた出来事を聞く。

 仕事で疲れた俺に気を遣ってか、あまり自分から話を振ってくることはなかった以前が嘘みたいに、喋る頻度が増えた。

 多分一人でいる時間が長いことからの反動だろ。


「別に気にしなくていいんじゃない。魚屋さんが好きでおまけしてくれるわけだし。昔に比べて利用する人が大分減ったっていうから、きっと凛凪さんみたいな若くて綺麗な子が来てくれるのが嬉しいんだと思うよ」

「年齢のことはともかく、綺麗だなんてそんな......」


 顔を紅潮させ、両方の頬を手で触れながら俯く。

 一緒に住むようになって凛凪さんの大体の性格は把握できてきたものの、以前として過去はおろか年齢さえわからない。

 大人びてはいるが、まさか俺より年上ってことは無いと思う。


 ただ整った顔立ちにスラっとした体形の良さ、向日葵を連想させる髪色に大衆受けの良い気品溢れる雰囲気は、そんな謎をどうでもいいとさえ切り捨ててしまう。

 魚屋さんが惚れてしまうのも大きく頷ける。

 近年はスーパーだけでなく、ネット通販の台頭で個人経営の食の専門店は絶滅の一途だというから、凛凪さんみたいに直接店を訪れる客は大変有り難い存在なんだと、店舗運営者は分析してみる。


「店主様のお母様にも「こんな美人な女性がウチに嫁いでくれたら商売繁盛間違い無しなんだけど、どうだい?」と言われました」 


 ......おい。ちょっと待て。

 おまけしてもらっておいてなんだが、雇い主に無断で凛凪さんへの勧誘行為。

 そいつは気持ち良くないな。

 口に運びかけたコロッケを一旦止め、ご飯の上に放置する。


「......で、凛凪さんは何て答えの?」

「お気持ちは嬉しいのですが、丁重にお断りさせていただきました」

「そう」


 そっと胸をなで下ろすと同時に、小さなため息がこぼれる。


「今は和人かずとさんとの生活を何よりも大事にしたいですし、仮にお魚屋さんと相思相愛になっても、私が錬成人間ホムンクルスだと知ったらおそらく......特にお母様は落胆するでしょうから」

「............」


 一瞬息が止まる錯覚に陥った。

 凛凪さんの言わんとする意味を理解し、言葉に詰まってどうしようもなく視線が泳いでしまう。


 ――錬成人間は子供を産めない。妊娠そのものができないのだ。

 倫理上の観点から、というのが世界共通の理由だが、実際は種族同士での争いの可能性を極力減らすため。

 安全装置なのは周知の事実として広く知れ渡っている。


 人類の歴史はマイナスの見方をすれば争いと差別の歴史でもあり、どんなに技術が発展しても人類の本質と言わんばかりに、いつも何処かで戦争が行われている。


 親から子へと、憎しみの連鎖を絶やさずに――。


 そこへ人間と構造上かなり近い錬成人間が徒党を組み、反旗を翻すとも限らない。

 創作物でよく見かける人工AIのような危険が起きても対処できるよう、子孫繁栄の機能を排除したのだ。


「ご飯、おかわりなさいますよね?」

「ああ。お願いしてもいい?」


 立ち上がり、平然とした様子でご飯のおかわりに向かう凛凪さんに罪悪感を覚える。

 俺が凛凪さんに何か悪いことをしたわけでもないのに、胸の奥をギリギリと握りつぶされる感覚が支配し、呻くしかない。

 正しいかどうかの善悪の判断以前に、同族が目の前で美味しそうに食事をする彼女の未来の可能性を奪ってしまったことが許せない自分がいる。


 やっぱり凛凪さんには幸せになってほしい......でもそのためにはどうしてもある

程度の貯えは必要不可欠。

 我が家の家事手伝いの少ない給料では時間がかかってしまう。

 空気を元に戻したい想いも兼ね、俺は凛凪さんに提案してみた。



「凛凪さん、良かったらうちでバイトしてみない?」

「......宜しいのですか? ご存じの通り私、身分証が無いので働くことができないのでは?」

「俺を誰だと思ってるの。採用者にして店の店長だよ。そのくらい何とかなるなる」


 長期なら身分証やら銀行口座の提示が義務付けられているが、短期扱いなら問題無いだろ。

 もし経理に何か言われたら......まぁ、その時は上手く誤魔化して乗り切ろう。


「......本当に、ご迷惑じゃありません?」

「むしろ来てほしい。できるだけ早く」

「即答ですね」

「聞いてよ。実はさ――」


 俺は苦笑い浮かべながら凛凪さんに今日職場の店舗で起きた事の経緯を説明した。


「事情はわかりました。確かにそれは一大事ですね」

「でしょ?」

「こんな私で宜しければ、何なりとお使いください。ふふ、お勤め先でも一緒にいられるなんて。嬉しいです」


 その言葉がお世辞ではないのが仕草でわかってしまった。

 凛凪さんは嬉しい時、決まって横髪を撫でる癖を持っている。

 優しく微笑む凛凪さんに鼓動が高鳴り、上ずった声が出てしまった。


「OK。じゃあ契約成立ってことで」

「あ、でも困りましたね」

「どうしたの?」


 急に顎を手で触りながら真剣な表情で思案する。

 何か重大の見落としてでもあったか、とこちらも釣られて頭を巡らす。


「アルバイトを始めるとなると、夕飯に凝った物を作れる機会が減ってしまいますね」

「......ごめん。ちょっと考えさせてもらっていいかな?」


 とんだアルバイトを始める上での弊害に、俺は思わず待ったの声を上げてしまった。

 何度でも言ってやる。

 凛凪さんの作る料理はこの世で一番に美味い!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る