第18話【ラブホテル】

 部屋の中。シャワーの音だけが、少し離れた場所から響いてくる。

 初めて利用したけど、最近のホテルって、室内が白と赤に彩れて随分とカラフルな仕様なんだな。ベッドの縁に座りもの珍しそうに上下左右と視線を向ける。

 あとアメニティーやサービスも豊富。

 バスローブだけじゃなく、いろんな気分を味わる服まで用意しているなんて。お客様を楽しませようとする気概が半端ない。

 定番のセーラー服にお堅い感じの学園の制服、あと海外のハイスクール気分を味わえる制服まであるのか......まぁ、自分は男なのでとりあえず今はバスローブを着ておこう。せめて濡れた服が渇くまでは。ゴムもまたサイズが充実していて色も様々。

 そういや俺、アレのサイズって測ったことないからわからないけど、何サイズを使えばいいんだ? 

 ちょっとスマホで検索してみよう――あ、ええとナニナニ。


『トイレットペーパーの芯の中に大きくなったものを挿入すれば、あなたがどのサイズが適しているのか簡単に判断できます』


 ......念のため、今からトイレ行って試すか?

 いやいや! 紙を無駄にするのは勿体無いし、流すにも絶対トイレ詰まるだろ。

 掃除のおばちゃんに迷惑かけるパターンだ、これ。

 いつも職場のトイレを綺麗に清潔な状態に保っていただき、誠にありがとうございます。

 気持ち良く利用させていただいております。


 ......どうしてこうなった!?

 話が脱線したところで俺は我に返って自問自答する。

 名誉のために弁明させてもらうと、俺は当初ビジネスホテルに泊まる予定だった。

 しかし運悪く駅前に唯一あったビジネスホテルは全て満室。

 ゲリラ豪雨も振り出し、会話をするにはあまり適さないが、ここはマン喫を選択するしかないのか? と入り口の外で悩む俺を凛凪りんなさんが、


和人かずとさんが良ければ、あちらでも......」


と告げた。

 その綺麗で華奢な指先が示した先は、ホテルにしては全体がライティングで激しく主張された佇まい。建物のてっぺんには西洋のお城のような建築物が鎮座している。

 要するにラブテルだった。

 ビジネスホテルよりも少々割高になってしまうのは痛いが......やむを得まい。

 何よりこのままではお互いが風邪を引いてしまいそうだ。

 意を決し、俺たちはゲリラ豪雨が降りしきる中、城に向かって駆け出していった。

 こちらは対象的に部屋が選びたい放題で、余裕で場所の確保はできた。


錬成人間ホムンクルスは生まれつき病気にかかりづらい体質なので、心配ご無用です。だからお先にシャワーを浴びてきてください」


 部屋に到着するなり凛凪さんにシャワーを浴びてもらうつもりだったんだが、説得力のある先手を取られてしまっては反論できない。

 促されるがまま先にシャワーを浴び、そうして今は交代で凛凪さんの番。

 ただ終わって出てくるのを待っているだけなのに、場所がラブホということで嫌でも魔法使いな俺の緊張は高まる。さっきから意味なく体を左右に揺らし、視線も彷徨さまよい落ち着かない。

 ふと、俺のスマホにメッセージの受信を知らせる着信音が鳴る。

 画面には千里ちさとの名前と、短く『了解』の一言が表示されていた。

 ホテルに泊まる旨をほんの少し前、俺は千里にメッセージで簡潔に伝えた。

 てっきり通話で文句を言ってくるかと思いきや、意外にもあっさりと承諾。肩透かしをされた気分だ。


「......お待たせしました」


 シャワーを浴び終えた凛凪さんが部屋へと戻ってきた。

 俺と同じくアメニティーのバスローブに身を纏い、頭には長い髪をまとめるようにタオルが。

 冷蔵庫からキンキンに冷えたミネラルウォーターのペットボトルを一本取り出し、俺の隣へ静かに腰を下ろすと水分補給する。

 コキュッコキュッという音と共に喉仏が上下に動き、飲み口から唇を離せば色っぽいため息がこぼれた。


「千里さん、何か言っていましたか?」

「特には何も」

「そうですか」


 泰然自若たいぜんじじゃくに臨むと意気込んだ俺の心は雰囲気に完全に飲まれてしまい、まともに凛凪さんの目を見ることができない。

 ここはいきなり本題に入るのではなく、アイドリングトークから始めてみよう。


「雨、いつ止むのでしょうか」

「スマホの雨雲レーダーで確認したら、もうそろそろ弱くなってもいい頃合いなんだけど。まだ梅雨でもないのに、気まぐれなゲリラ豪雨にも困ったもんだね」

「そうですか」

「「............」」


 ――会話が続きゃしねぇ。

 そもそもアイドリングトークなんてのは、相手に話す意思がなければ成立しないもの。


「和人さん」

「はい! なんでしょう!」


 自分でも随分素っ頓狂な声が出たな、と恥ずかしさが込み上げてくる。


「千里さんは錬成人間を嫌いなのでしょうか」

「え?」

「いえ。言い方ですと、錬成人間から何かをされたのかなと」


『どんなに思い出を築き上げても、たったそれだけのことで全部が消えて無くなる。こちらの気持ちも知らずに勝手に忘れて.........出来損ないの生命もいいとこじゃない』


 思い出すだけで胸が締めつけられるように痛む、千里が切り捨てた鋭く冷たい言葉。

 俺には、心辺りがないわけでもなかった。 


「......多分あいつ、子供の頃のことをまだ気にしてるんだと思う」

「というのは?」

「......千里、初恋の相手が錬成人間だったんだよ」


 話すことで凛凪さんの心の傷が少しでも癒されるのあれば――妹のデリケートな部分を晒してかまわない。躊躇ちゅうちょはほとんど無かった。


「小学校入ってすぐだったかな。同じクラスの錬成人間の男の子と友達になってさ。うちは両親が家に不在なことが多かったから、その子と他の友達数名を引き連れてよく遊びに来てたんだ」

「子供らしい放課後の過ごし方ですね」

「みんなでゲームしたり、漫画読んだり。今にして思えば、その頃が一番千里が笑ってたと思う」

「でも何故、千里さんの恋の相手が錬成人間の少年だと?」

「そりゃこんなんでも一応兄貴やってるもんで。明らかにあいつのその子に対する態度が別物と言いますか」


 今でこそあまり表情には表れなくなった千里でも、子供の頃は年相応にもっと喜怒哀楽がはっきりしていた。だからこそ、凛凪さんを突き放した感情の発露の爆発には驚くばかり。

 大人になっても、事件が千里の心の中をトラウマとなり、未だ苦しめているのだと。


「当時ニュースでも話題になったんだけど、ある日その子が家族でキャンプに行った際、その子が山で行方不明になっちゃって」

「......あ」

「なんとなく察しがついたと思うんだけど、見つかった時には......ね」


 錬成人間はプラーナ切れが72時間を過ぎると記憶が消える。

 ただその代わり、体はコールドスリープ的な状態へと変化し、食事や水分の補給が必要なくなるという。

 それが功を奏して、行方不明から一週間が経過しても助かったとは、なんとも皮肉な話だ。


「せっかく築き上げたものがゼロに戻されるって、酷く残酷だよね。ましてや多感な幼少期にそんなことされたら誰だって傷つく」


 もちろん彼が悪くないことは俺だって充分理解している。

 錬成人間でなければ失っていたかもしれない生命。

 だがその代償に、彼から家族や友達との思い出を。妹からは初恋を奪っていった――。 


「そのようなことが千里さんの過去に......」

「トラウマって呪いみたいなもんでさ、気付いたら消えてる場合もあれば、何年経っても昨日のことのように精神に深く刻まれて、それで人生を翻弄される人だっている」


 千里だけじゃない。俺だって。

 思い出の中、屈託のない笑顔の彼女が一瞬脳内にチラと現れ、そして消えた。


「でも安心しました。てっきり私が嫌われたものだと」

「んなわけないでしょ。凛凪さんは俺なんかよりずっと千里に好かれてるよ」


 静かに隣で話しを訊いていた凛凪さん。

 安堵のため息をついたと思いきや、


「......では、あとは事実を作るだけですね」


 俺が問うより先、突然覆い被さるように抱き着き、その勢いでベッドへと押し倒される。 

 頭に巻かれたタオルが外れ落ちると同時に、解放された腰まで長い綺麗な髪が、一本一本滑らかに上品な香りを運びながら垂れた。


「ちょっ!? りん――」

「私たち――本当の恋人同士になりませんか?」


 言葉を遮り耳元でそう囁く甘美なそれは、脳から全身へと痺れるほどに。

 その意味を理解できないほど、俺は愚鈍な男ではなかった――。


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