第16話【亀裂】
俺の中で
働き者で、
孤独な一人暮らしに彩りと楽しみを与えてくれた一凛の花――。
千里もきっと受け入れてくれるはずだと、勝手に決めつけ疑いの余地など持とうとしなかった。
「凛凪ちゃんが錬成人間だって話、私聞いてないんだけど」
「どうだっていいだろ」
「どうでもよくない。私は母さんにあんたのことを逐一報告しなきゃいけない義務があるの。嘘なんか疲れたらあんたの立場が益々厳しくなること、わかってる?」
凛凪さんの体を支える俺を、千里は鋭い視線で捉えまくし立てた。
「嘘は言ってない。単に言い忘れただけだ」
「それがダメだって言ってんの。第一あんたたち、恋人関係だって話も嘘でしょ?」
「「......」」
「どうやら図星みたいね。距離感が全然恋人に見えないから怪しいと思ってたのよ」
「お前の目は節穴か。どこからどう見ても俺と凛凪さんは立派な恋人同士に......」
この期に及んでなんとか必死に抵抗しようとするが、寄っかかっていた凛凪さんが俺の二の腕を掴み、首を横に振った。
「......いいんです。ご家族に嘘をつかれることは、私も心が痛かったですから」
凛凪さんは力無く微笑み、千里に事の経緯を語り始めた。
自分がプラーナ切れで過去の記憶の一切を失っていること――。
そんな自分を俺が保護し、介抱してくれたこと――。
記憶が蘇るまでの間、家事手伝いとして、ここにいていいと言ってくれたこと――。
この一ヶ月の生活の記憶を遡るように。淡々と――。
「悪いのは全て私です。
「そんなことはうんざりするくらいわかってるわよ。こいつと一体何十年兄妹やってると思うの? 部外者がわかったような口きかないで」
「おい千里」
「私が一番気に入らないのは、あんたが記憶喪失の錬成人間と暮らしてたことよ」
千里は眉を寄せ、凛凪さんを睨みつけるように顔を向けた。
肩がビクンと跳ね、凛凪さんが小さく小刻みに震えはじめた。
「この子には待っている人たちがいるかもしれない。家族、それとも恋人......その人たちの気持ち、考えたことある?」
俺たち二人に刃引きした刃物のように鋭く刺さった言葉。
「どんなに思い出を築き上げても、72時間のプラーナ切れ、たったそれだけのことで全部が消えて無くなる。こちらの気持ちも知らずに勝手に忘れて.........出来損ないの生命もいいとこじゃない」
「千里!」
「この子は単に見た目が私たちと一緒なだけ! 人間じゃないの! いい大人なんだからそのくらいわかれバカ!!」
血を分けた妹からは聞きたくなかった。
怒気と悲しみを孕んだ双眸で
握った拳は行き場なく指だけが手のひらにめり込み、ただ食いしばって耐えるばかり。
千里から突き付けらた現実の痛みは、俺の感情をぐちゃぐちゃに掻き乱し、苦しめる。
ティーカップから立ち上っていた蒸気はいつの間にか消え、食べかけのケーキが無残なカタチで放置された残骸に見えて仕方がなかった。
数十分前に存在していた食後の楽しいデザートの時間は、もはやそこにはない――。
「千里さん、お風呂湧きましたよ」
気まずく重たい空気が漂うリビング。
食器を洗う音の中を浴室のタイマーが裂くなり、無表情にスマホをいじる千里に凛凪さんが声をかけた。
「.........いい。最後に入る」
「そうですか......では和人さん、お先にどうぞ」
「え......あ、うん」
シンクの前で振り返った凛凪さんの笑顔がぎこちなく堅い。
当たり前だ。
せっかく打ち解けた人間に存在自体を否定されたのだから。
泣き崩れたっておかしくない。
「そうだ。たまには凛凪さんが先に入りなよ。いつも家事頑張ってくれてるし」
「いえいえ、居候の身が家主様より先に入るわけにはまいりません。どうか私のことは気にせず、ごゆっくり湯舟に浸かって仕事の疲れを癒してください」
謙遜する凛凪さんと機嫌の悪い千里。
いま同じ空間にこの二人だけにするのには酷く抵抗がある。
千里がまた凛凪さんを傷つけるようなことを言うのではないか。
後ろ髪を引かれながらも俺は、
「......凛凪さんがそこまで言うなら」
俺は凛凪さんの言葉に甘える選択をしてしまい、逃げるように浴室へと向かってしまった。
最低だ――。
シャワーを浴び、体を洗い、一旦頭を整理し気を落ち着かせようと湯舟に浸かるも――ダメだ。ネガティブな方向に思考が傾く。
千里はおそらく近いうち、然るべき場所に連絡を取ろうとするだろう。
倫理的にはそれが正しい。
身元がわからない錬成人間を保護と称して生活をともにする――もしも凛凪さんが未成年だった場合、俺は未成年者略取の罪に問われる。
人間だろうと錬成人間だろうと、この国では未成年者と赤の他人が暮らすことを、社会的に絶対許してはくれない。
例えどんな理由があっても。それが現実。
理屈で納得できれば、どんなに楽なことか――。
風呂から上がり、リビングに戻ってきた矢先。その光景に一瞬にして全身鳥肌が泡立った。
見渡す限り部屋には二人の姿はなく、テーブルの上には自分が買い与えた凛凪さんのスマホ......最悪な展開が頭をよぎった。
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