第15話【団欒】

「ん」


 不思議な出来事が目の前で起こった。

 俺より30分遅く仕事から帰ってきた千里ちさとの手には、ケーキ屋の箱が握られていた。


「え、何? どういう風の吹き回しだよ」


 この余計な一言が引き金となり、見事なローキックが座っている俺の背中に炸裂。地味に痛い。妹に暴力を振るわれたのなんていつ以来だ?

 

「凛凪ちゃんにはお世話になってるから」

「そんな気を遣っていただいて。ありがとうございます」

「おいコラ。場所を提供している俺にはローキックか。こっちにも少しは気を遣え」

「監査対象にしっぽ振って私に何の得があるの?」


 さり気なく下心があるのを漏らした千里は、凛凪さんにケーキの箱を手渡し、上着をハンガーにかけ洗面所に向かう。

 俺に今まで一度たりとも手土産の一つすら持って来なかった千里が、今こうして仕事帰りにケーキを買ってくるまでに成長した――素直に喜んでいいのやら。

 

「酷いですよ和人かずとさん。千里さんの好意をからかうだなんて」

「だってまさか、あの千里が家族のためにケーキ買ってくるとは思わなかったからさ」

「言い訳はよくありません。戻ってきたらしっかりと謝ったほうがいいですよ」

「はーい」


 母親みたいに諭す凛凪さんを子供みたいな生返事で返す。

 すぐ洗面所から戻ってきた千里を、俺はバツが悪そうに出迎えた。


「......さっきは茶化して悪かった。千里がケーキ買ってきてくれたもんだから、変に嬉しさが空回りしちまったみたいで。面目ない」

「気にしてないから別にいいよ。それより和人、あんたチョコ大丈夫だったっけ?」

「ああ。甘すぎるヤツでなければ」 

「じゃあ大丈夫か。あそこのチョコレートケーキ、苦味のクセの強さで有名だから」

「お前まだ絶対怒ってるだろ?」


 千里、俺がバカにするのを前提でケーキ買ってきた説。我が妹ながらとんだ策士だ。

 三人揃ったところで、ようやく遅い夕飯の時間となった。

 帰りを待つ凛凪さんにはいつも先に食べてていいと伝えてはいるんだが、律儀な彼女は俺たちが帰ってくる時間に合わせて準備してくれる。良妻賢母か。

 作る料理は普段から和食が多い。

 今日は肉じゃがに冷やっこと、凛凪さんお手製のきゅうりとナスの浅漬け。あと完全に我が家の定番料理となった味噌汁もある。ちなみに今日の具材は玉葱。


「秋葉原って相変わらずそんなに外国人いるの?」

「平日は特にな」

「ふーん」

「和人さんのお店の売り上げのほとんどは海外からのお客様らしいですよ」


 三人での食事中の会話は、もっぱら俺の仕事に関する話が多い。

 千里は製薬会社勤務という事情から、どんな些細な内容も一切口外してはいけない契約がある。

 母さんも子供の頃から俺たち家族であってもそれは守ってきた。

 普通やんちゃな幼少期なら逆に興味を持ちそうなものだったが、本気で母さんに見捨てられることを子供ながらに感じ取り、自然と目を逸らしていた。


「日本人も来なくはないんだけど「うっわ懐かしいねー」「これ小学生の頃持ってた!」とかノスタルジックにふけるだけで金落とさないんだわ。その点、外国人観光客はとにかくガンガン金落としてくれるから助かる」


 そもそもウチみたいなレトロゲームショップに来る外国人観光客は、日本にやってくる目的の一つとしてうちでの買い物が入っているケースが多い。

 海外ではレトロゲームを手に入れる手段はもっぱらオークションサイト。

 日本みたいに直接取引ができるショップの存在はかなり珍しいらしい。


「子供の頃に流行ったノケモンの第1作あるだろ。あれ、今じゃ箱説無しの状態でもショーケースに入れて陳列するくらいの価値付いてるからな」

「え、嘘? 当時和人だけじゃなくて、周りのみんなほぼ全員がやってたヤツよね?」

「ああ。あのノケモンだよ。そりゃ驚くわな」


 千里が驚くのも無理はない。

 ガキの頃に周囲に持っていない子供は誰もいないとまで言われていた、あの『ノケットモンスター』が、発売から30年以上経過した今、とんでもない価格に高騰している。

 現在も定期的に新作をリリースする世界的超人気作。

 その第1作品目には、日本でしかリリースされていないバージョンいくつかあり、店を訪れる大半の理由はそれだったりする。いでは『おうじっち』か。


「ロマンがある世界で面白いですよね。千里さんもそう思いませんか?」

「ロマンねぇ......」

「ダメだよ凛凪さん。こいつ、ロマンとは無縁の地に足のついた生き方が好みだから......っておい! 俺の冷奴にたっぷりワサビ載せんじゃねぇよ」

「因果応報という言葉、知ってる?」


 兄の弄りに腹を立てた千里は、あろうことか俺の冷奴にチューブわさびを大量に押し出した。わさびよりも生姜派の俺に対する何たる冒涜。真っ白な丘にわさびの緑が生い茂り、まるでコケみたいに見えて食欲が削がれる。


「因果応報もいいですけど、食べ物での仕返しはよくありませんよ」

「......ごめん」

「やーい、怒られてやんの」

「和人さんも煽らないでください。元は和人さんが千里さんを揶揄やゆしたのがいけないんですからね。少しは反省してください」

「......はい。申し訳ございません」


 食卓でふざける大きな兄妹を叱る、我らの母性溢れる凛凪さん。

 やんわりとした口調の中に、有無を言わさぬ厳しさが含まれ、条件反射的に従ってしまう。我が家のヒエラルキーのトップは、いつの間にか凛凪さんが支配していた。

 でも悪い気は全くない。むしろ安心感すら漂う。


 夕食を食べ終えた二人は、その勢いでケーキにも手を出した。

 俺はあとで食べるつもりだったんだが、自分だけ一緒に食べないことに疎外感を感じ、結局手を出すことに。


「凛凪さん、今日はやけにご機嫌だね」


 緩い頬をさらに緩め、レモンケーキを舌鼓する凛凪さんに訊いてみた。


「ふふ......こうしてお二人と食後にケーキを食べる......家族みたいでいいなぁと」

「何言ってんの。凛凪ちゃん、いずれは和人と結婚するんでしょ」


 「「!!!???」」


 俺の心臓が千里の指摘にビクンと大きく跳ねた。

 凛凪さんも目を大きく見開きアイコンタクトをこちらに送る。

 

「け、結婚はいくらんなんでも飛躍し過ぎじゃないか。お前」

「そ、そうですわよ.....おほほ」


 ちょいちょい千里の前では凛凪さんとは恋人設定であることを忘れてしまう。

 心地が良すぎるのも考え物だな。


「この調子じゃ、結婚はまだまだ先の話しになりそうだけど。私は二人の関係のこと、応援してるから」

「なんだよ藪から棒に。死亡フラグみたいで怖いんだけど」

「妹の気持ちは素直に受け取っておきな」


 照れた表情で誤魔化すように千里はショートケーキを頬張る。

 俺も千里の言葉に背中がむず痒くなり、同じようにチョコレートケーキに視線を預けパクつく。

 チョコレートの苦味が口内を刺激し、猫舌にも拘わらず熱い紅茶に何度も口をつけてしまう。


「やっぱり冷たい方が良かったですよね。いまお持ちしま......」


 俺のためにと凛凪さんが冷たい紅茶を用意しようと立ち上がった瞬間――ふらつき、その場にしゃがみ込んでしまった。


「凛凪ちゃん大丈夫?」

「すいません、少しめまいが」

「もしかして凛凪さん......」


 そういえば千里が来てからプラーナの補給をしている姿を見ていなかったことを思い出し、俺は慌ててクローゼットの一角から携帯用プラーナを取り出す。

 吸入器の部分を凛凪さんの口元にセットし、ボタンを押しながらプラーナを体内に送り込んでいく。

 背中を擦りながらしばらくすると、辛そうな表情がみるみるうちに安らかな表情に。


「......はぁ。ありがとうございます。私としたことが、うっかりプラーナの補給を忘れていました」

「ダメだよ凛凪さん。定期的に行わないと。今日はたまたまがタイミングが良かったけど、一歩間違えれば最悪事故にも繋がるから」


 本当に俺たちがいる時で良かった。

 これがもしも家で一人料理中、包丁を握っている最中にでも起きてしまったら怪我をしていた可能性だってある。

 他にも外出中、車の通行量が多い場所で起きてしまった場合は最悪......。

 周囲の人間もプラーナ切れには充分に気を付けなければいけない。

 それは俺が凛凪さんとの共同生活の中で学んだ、まず最初のことだ。

 とりあえず一安心し、ほっと胸をなで下ろしていると、


「――ねぇ、これはいったいどういうこと?」


 様子を見守っていた千里は、そう小さくこぼした。

 

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