第14話【順応力】

 高校を卒業し、一人暮らしを始める条件として母さんが提示したのは、毎月一回妹の査察を受けることだった。

 初めは単純に家にやってきて、事情聴取みたいな会話を交わして、はいそれで終わり。さようなら。

 いつからだろうか。家に泊まるようにまでなったのは。


凛凪りんなちゃん、おかわり」


 千里は寝起きでもがっつり食べられる胃袋の強い妹。

 その気になれば朝ステーキだってイケる肉食獣系女子だ。

 か細い体のいったいどこに消化吸収されているのやら。


「そのくらい自分でよそえ」

「うるさい黙れ。和人かずとに頼んでない」

「ダメですよお二人とも。朝から喧嘩はいけません。その日一日が台無しになってしまいます」


 優しくなだめるように凛凪さんは千里から茶碗を受け取り、立ち上がってキッチンに向かう。

 その姿は神様仏様、いや聖母マリア様だ。

 千里が家に泊まるのも今日で四日目。

 遠慮を知らない妹は凛凪さんをまるでメイドのように扱う。

 短期居候のくせに兄の恋人(設定)を顎で扱うとは。我が妹ながら性格悪すぎるだろ。


「お前さ、一体いつまで泊まるつもりだよ」

「予定は未定」

「ざけんな」

「喧嘩、良くない。凛凪ちゃんに今言われたばかり」


 つり目がちなまなこで、凛凪さんお手製の胡瓜の浅漬けをボリボリと食べながら頷く。そして何故か片言で喋るのが微妙に腹立つ。


「私がいると何か都合が悪いわけ? 別に気にしないですることすればいいじゃない。あ、キスもまだ一回の臆病者には無理か」

「凛凪さーん。そこまで並々によそわなくてもいいからねー。居候には米粒一粒で充分」

「すいません。もう結構よそってしまいました」


 炊飯器の前で振り返った凛凪さんの茶碗には、成人男性のこぶし大の大きさに盛られたご飯。食堂のおばちゃんみたいに気の利いたサービスをするのはいいけど、相手を選んでほしい。


「私は三人一緒で暮らすの、嫌いじゃありませんよ。和気あいあいとして如何にも家族、って感じで楽しいですし」

「殺伐の間違いじゃない? まぁ、凛凪さんが大丈夫って言うなら」


 過去の記憶の一切を失っている凛凪さん。

 どこにでもある他愛のない兄妹喧嘩で何か思い出してくれるのなら、不毛な争いもたまには誰かの役に立つのかもしれない。


「では凛凪ちゃんのお言葉に甘えてもう少しお世話になろう」

「お前は少しは遠慮ってものを覚えろ。会社で教わらなかったか?」

「残念。うちの会社で教わったのは、代表の血縁者には怖くて誰も逆らえないということだけ」

「同族経営あるあるじゃねぇか」


 千里のことだ。

 口には出さないだろうが、母さんの期待を一身に背負わされたなりの苦労があるのは俺にだってわかる。そこまでバカじゃない。

 ただ......おかわりした白飯片手に目玉焼きにかぶりつく姿を見てると同情の気が薄れるんだよな.......。

 味噌汁をすすりながら、俺はふと戻ってきた凛凪さんに視線を向ける。

 ニコリと慈しみの笑顔を返され、朝からちょっとドキっとして味噌汁を吹きかけた。





 店長業務は月末になるとやることが一気に増え、デスクの上に付箋メモでも張っておかないと何かしら処理を忘れてしまいそうになる。

 一つでもミスをすれば専務直々にお叱りの電話がかかってくることもあり、この時期は毎月気が抜けない。


「店長。今、ちょっとお時間よろしいでしょうか?」


 伝票の入力にミスがないか改めてチェックしている俺の元へ、アルバイトの小森さんがやってきた。

 申し訳なさそうな表情と声音こわねで、何やら俺にとってあまりよろしくない案件だというのは察しが容易い。


「――わかった。残念だけど、小森さんがこれ以上は無理だって言うなら」

「ごめんなさい。あいつと一緒のフロアで仕事するの、生理的にもう無理なんです」


 小森さんが年長の男性アルバイトスタッフの一人と以前から揉めているのは、当然店長なので耳には入っている。

 お互いにいい大人なんだから仲良くしろとまでは言わない。

 業務に支障が出ない程度に働いてくれればそれで良しと考えていた俺の願いは、脆くも崩れ去った。

 小森さんが相手の不遜な態度に腹を立て、また言い争いにまで発展したらしい。

 売り場での喧嘩は勘弁してくれ。

 客の手でSNSに上げられたらそれこそ面倒なことになる。


「とりあえず今日はこっちのフロアで仕事してていいから。奥のスペースも空いてるし」

「ありがとうございます」


 頭を下げ、作業道具を取りに一旦下のフロアへと戻った小森さん。

 レジカウンターで接客を終えたばかりの有坂さんが、入れ替わりでもの言いたげにこちらへとやってくる。


「あの二人、もう限界じゃないッスかね」

「有坂さんもそう思う?」

「ここまでよく持った方じゃないッスか。昔は仕事帰りに一緒に買い物行くくらい、仲良かったんッスけどね。どこでこじれたんだか」


 二人は年齢こそ8歳離れているがほぼ同期。

 入ったばかりの頃は共通の趣味の話しで休憩中よく盛り上がり、有坂さんの言う通り仲は良いという印象をずっと持っていた。

 それが気付けばあまり会話を交わしている姿を見なくなり、今は一切口を聞かない険悪を地で行く真っただ中。


「小森さん、結構誰に対しても言いたいこと言っちゃうタイプなんだよな」

「んでもってタカティンは仕事は遅いくせに女子には上から目線で偉そう。元からこうなる運命だったんっスよ」

「運命ねぇ」


 呆れて遠い目をする有坂さんは、二人に半年ほど遅れての入社。

 今では二人を追い越してバイトリーダーになってしまったこそ、先輩のあらと欠点が目について仕方がないらしい。

 この子、これでもまだ最年少の18歳の一ノ瀬さんに次ぐ若さの21歳なんだよな。

 家庭環境がそうさせたのか、或いは客商売の才能があるのか。

 いずれにせよ、あの二人に辞められるよりかは遥かに困ってしまう。


「片方に少しでも柔軟性があれば、今でも多少はいい関係を維持できたと思いますよ。二人とも我が強すぎて、陶器みたいにガッチガチの割れ物注意じゃ無理な話ッスが」


 鼻を鳴らして肩を竦める有坂さんの例えは実にわかりやすい。

 うちの凛凪さんも、あの二人みたいに柔軟性のない自分勝手な考えを持っていたら千里とは絶対に上手くやっていけない。

 凛凪さんが千里のことをどう思っているかは知る由もないが、兄としてはあいつと仲良くしてほしいと願う反面、無理してないかとちょっと不安はある。

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