第13話【無茶振り】

「お、お風呂ですか!?」


 突飛な千里ちさとの発言に凛凪りんなさんが素っ頓狂な声を上げるのも無理はない。兄貴の俺だって動揺して頬が引きつる。


「そう。恋人同士だったらどってことないでしょ。この程度」

「じゃあなんで関係ない千里まで一緒に入るんだよ!」

「審査よ、審査。凛凪さんが橘家の嫁に相応しいかどうかのね」


 絶対違う。

 こいつは俺と凛凪さんの関係を怪しんで試そうとしている。


「うちのお風呂場に三人は狭いだろ。第一お前の裸なんか見て俺になんの得があるんだよ」

「......あっ?」


 片手に持った発泡酒の缶がメキメキと音を立てて握り潰され、口から泡を吹くように中身が溢れ出た。


「悪い。失言だった。許せ」

「三人一緒に風呂に入るのが嫌なら、今すぐここでキスしてみせなさいよ」

「だからなんでそうなるんだよ!」

「あんたたち二人が恋人同士だっていう証明が欲しいって言ってんの。行間を読めバカ」

「空気を読めない奴に言われたくねぇよ」


 今日はただでさえ仕事でいろいろあって疲れたんだ。

 家でまでクレーマーの相手をするのは勘弁してほしい。 

 硬直状態の続く兄妹喧嘩の真っ最中、恐る恐る凛凪さんが手を挙げながら割って入ってきた。


「あの、千里さん」

「なによ」

「先ほどは付き合って三ヶ月目だと言いましたが......実は私たち......一緒にお風呂どころか、キスもまだ一回しかしたことがないんです」


 凛凪さんなりのフォローのつもりだったのだろうが、これでは俺の男としての尊厳が酷く傷つく。いや、止めようとする気持ちは嬉しいんだけどね。


「......あんた、30歳になってもまだプラトニックな交際してんだ。キモっ」

「ほっとけ!」

「和人さんは気持ち悪くなんてありません! 困っていた私を助けてくれた、純粋な心を持

った優しい方です!」


 自分の印象として他人からよく言われる『優しい人』。

 安直でそれしか取り柄がないみたいでずっと嫌で仕方なかったが、凛凪さんに強く言われるのは不思議と悪い気はしなかった。


「......わかったわよ。ちょっとからかいすぎたわ」

「いえ。私の方こそ妹さんに大変出しゃばったまねを」


 お互いが我に返ったように頭を下げ謝った。


「恋愛慣れしてない和人かずとならこんなもんか。プラトニックも度が過ぎると単なる臆病だってこと、肝に銘じておくことね」

「ご忠告どうも」

「なんか先にシャワー浴びたい気分。あんたたち、先に夕飯食べてていいわよ」


 立ち上がった千里は、キッチンの空き缶入れに潰れた発泡酒の缶を投げ入れ、そのまま浴室へと向かった。

 遠くで浴室の扉が閉まる音が聴こえたと同時に、お互い大きく息を吐き出し安堵した。


「あの方が橘さんの妹さん......伺っていたとおりの方でしたね」

「俺が帰ってくるまでの間、何か変なことは訊いてこなかった?」

「スリーサイズや肌の手入れの仕方を訊かれたくらいで、特には」


 女子同士の特権あるある、同姓ならスリーサイズを何ら抵抗もなく教えてしまうを初対面の相手に実行したのか。相変わらず神経が図太さで構成された妹だ。


「一晩の辛抱だから。明日になれば帰ると思うし、それまで申し訳ないけど我慢してくれる?」

「我慢だなんてそんな。千里さん、感情表現が苦手なだけで根はお兄さん同様優しい方だと思います」

「お世辞でもありがとう。仲良くしてもらえると助かる」

「了解しました」


 昔から俺に対してだけは風当たりが厳しい千里が、凛凪さんにまでそれを向けてくるのはちょっと意外な気がした。30年間兄妹をやっていても、まだまだお互い知らない部分が多い。離れて暮らすようになったから尚更かもな。


「お母様もさぞ橘さんを大事に想っているのですね。千里さんを使って安否確認を行うだなんて」

「......それは絶対にないかな」


 母さんが俺を気にかける事は、例え万が一にも、天地がひっくり返ったとしても絶対にありえない。

 千里を寄こすのはあくまで監視。

 昔みたいに問題を起こしていないかどうかの、橘家の名前にドロを塗らないようするための――俺は母さんにとって不安要素でしかないのだから。

 

「橘さん?」  

「さて、千里も先に食べてていいって言ってたし、夕飯にしよう。凛凪さんもお腹空いたでしょ。手伝うよ」

「......では、ご飯をよそってもらってもよろしいでしょうか。私はお鍋を温め直しますね」


 何か言いたげな雰囲気の凛凪さんだったが、俺が無理矢理に話を終わらせるものだから、それ以上追及することなくキッチンに向かった。


 そうだ。

 どこの家庭にだって事情の一つや二つ、あっても何らおかしくないだろ。

 凛凪さんにだって......こうなったやむを得ない事情が何かあるはずだ。

 記憶を失い身分を証明できる物も持っていない現状では打つ手がない。

 やはり然るべき機関に報告すべきなんだろうか......。


「恋人の後ろ姿に見惚れてるとこ悪いんだけど」

「うぉっ!? お前風呂は!? つーかタンクトップだけは目のやり場に困るからやめろ」

「うっさいわね。言い忘れたことがあんのよ」


 急に背後へと現れた千里は、それなりに育った胸を張ってこう続けた。


「私、今晩だけじゃなくて暫くここに泊まることにしたから」


 ――うちの妹の身勝手の極意が発動した。

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