第9話【散歩】

 販売業にとっては地獄と同意語でもあるゴールデンウイークが終わり、待ちに待った次の休日。

 早速、凛凪りんなさんを連れて位置ゲーの大型モンスター退治へと出かけた。

 出かけた、というのはちょっと大袈裟ないい方かもしれない。

 ちょっと近所を散歩......いや、この距離はもはやウォーキングだな。

 家の近所には今時都内にしては珍しく、大きめの公園がいくつか点在し、その内の一箇所が決められた時間に必ず大型モンスターが現れるスポットと化していた。

 自然が多めの公園内に入り、レーダーが討伐範囲に入ったことを確認すると、休憩がてら付近のベンチに座って時間まで暫し待つことに。


「自然を感じられる立派な公園ですね」

「ここならゆっくり討伐もできるし、何より日差しを気にしないでプレイできる。ベストポジションでしょ?」

「はい。とても素晴らしいと思います」


 5月にしては例年より気温が高めだと感じる今日。

 右手に日傘、左手にスマホの凛凪さんを気遣って、屋根付きの場所を選んだ。

 周囲はもうすぐ世間一般の昼休憩の時間。つまり12時が近いこともあり、入れ違いで子連れさん方は退散していく。静かだ。

 時折樹々の隙間から運ばれてくる風がなんとも涼しくて気持ちいい。マイナスイオンを全身で感じつい呻き声がこぼれてしまう。

 隣に座る凛凪さんも同じようで、腰まで長い髪がなびくの抑えながら、柔和な笑顔で心地良さを表現する。

 それだけで連勤明けに連れて来たかいがあったというものだ。


「まだ討伐まで時間もありますし、先にお昼といたしましょうか」

「お、いいね。腹が減っては何とやらって言うし。現実世界の自分たちのHPも回復させないとね」


 ゲーム内のキャラクターは基本、一定の時間ごとの経過、またはフィールド上で拾うことのできる壺でHP及びMPを回復できる。現実と比べてなんと手軽で省エネな仕様だ。

。その分、「味わう」感覚が欠落しているのでとても羨ましいとはならないが。

 凛凪さんが可愛らしいクマのイラストが描かれたマイトートバッグの中からごそごそと取り出したのは、大きめのタッパーいっぱいに入ったサンドイッチ。と、デザートのリンゴ。

 蓋を開ければベンチは食欲のそそるいい匂いで香り、唾液の分泌が促進される。


「早起きして何か作ってると思ったらサンドイッチだったんだね」

「せっかく大変なお仕事明けにこうして外へ付き合ってもらうのですから、このくらいは当然です」

「そんな気を遣わなくてもいいのに」

「そうはいきません。私は橘家の家事担当。主様の体調管理も仕事に含まれていますので」


 主......漢字一文字で聴く者をここまでいかがわしい気持ちにさせるパワーワードも他にないよな。

 だとすると凛凪さんは我が家のメイドになるわけだが、元が良いから何着ても充分以上似合いそうだ。でも敢えて一番を決めるなら王道なクラシカル......も捨てがたいが、金髪

が映えるメイド服の元祖・ヴィクトリアンもありだな......。

 秋葉原の路上で見慣れた様々なメイドカフェの衣装のあれこれを、妄想の中の凛凪さんに試着してみせる俺は、客観的に見て童貞をこじらせた気持ち悪い変態の何者でもなかった。


「......どうかしました?」

「ううん。そういや俺、誰かの手作りサンドイッチ食べるの人生初かも」

「本当ですか? それはちょっと緊張しますね」

「サンドイッチくらいでそんなおおげさな」


 首を横に振るついでに虚言も突いてしまったが、あながち本当かもしれない。

 何せ実家に住んでいた頃の食事の記憶が恐ろしく皆無に等しい。

 ただはっきりと覚えていることは一つ。

 忙しい母さんの代理として家事の一切をこなすお手伝いさんの料理は、見た目はお店で出されても遜色ないほどの美しさ。でも口に入れると、どんな温かい料理でも言葉で言い表すには難しい、何か胸にざらっとした感覚をもたらす。

 決して不味くはない、けれど味より違

和感が先に突出してしまうような。それに引き換え、


「......うん。タマネギ、結構多めに入れたね」

「タマネギのお味噌汁がお好きなので、もしかしたらサンドイッチにも多く入れてみたら喜ばれるかなと」

「大当たり。タマネギの刺激をパンの甘味とツナマヨがいい感じに中和してくれて美味しいよ」


 凛凪さんの作る料理は、どれもお世辞抜きに美味い。

 そのうえ食べる相手の好みや健康を考えたメニューは、20代の頃に比べて栄養バランスを気にし始めた俺にとっては何よりもありがたかった。


「紅茶も用意しましたので、宜しければどうぞ」

「ありがとう。凛凪さん、きっといいお嫁さんになれるよ」

「どうしたんですか急に」


 水筒のカップに注がれた紅茶から湯気といい香りが立ちのぼる。


「だって料理も上手くて気遣いもできる。しかもこんな綺麗で優しい人、誰も放っておかないだろうなぁって」

「......そうでしょうか」 


 おや?

 精一杯褒めてるつもりなんだけど、反応に困り気味の顔をされてしまった。

 今時の女子はいいお嫁さんになると言われてもあまり嬉しくないのだろうか。


「それよりも橘さん、以前からお訊きしたかったのですが」

「はい何でしょう」

「橘さんのパーティーメンバー、プレイヤー以外が全員女性なのは何か深い意味があるのでしょうか?」

「......そこ訊いちゃう?」

「申し訳ございません。ちょっと気になったものですから。もちろんプライベートなことでしたら答えて頂けなくても結構です」


 これは『もしかして歴代の彼女の名前をゲームキャラに付けてる!? キモッ!!』とか引かれてたりする?

 プライベートと言えばそうなんだが、変に誤解されたままというのも嫌なので白状しますか。特段恥ずかしい理由でもないんだから。


「俺が子供の頃に好きでよく遊んでたRPGゲームのヒロインの名前」

「ゲームのヒロインの名前、ですか」

「そっ。昔のゲームってさ、今のゲームと比べてやれることが凄く限定されていて閉鎖的なんだけど、妙に記憶に残るゲームが多いんだよね」


 決して今のゲームが嫌いとか否定派ではない。

 進化したものには進化したなりの良さがある。

 一方でレトロゲームには、限られた極めて少ない容量の中でいかにプレイヤーを楽しませようかという、当時の制作者の遊び心が籠った熱意が画面を通して伝わってくる。


「ストーリーもアニメや映画顔負けのものも結構あって。この三人はその好きなRPGゲームのそれぞれの推しヒロインの名前から取ったんだ」

「なるほど。そのような歴史があったとは」

「歴代の彼女の名前はいくらなんでも付けないから安心して」

「あら何のことでしょうか......私、何も言ってませんけど......」


 うん。この反応はどうやら図星だな。

 視線を泳がせこみかみに指を添えた凛凪さんの言葉尻が濁る。

 歴代も何も、30歳を過ぎても初代すらまだ空席なんだけどね。言わせんな。 


「凛凪さんみたいに犬猫っぽい名前を付ける人もいるし、その辺りは人それぞれだよね」

「やっぱり橘さん、バカにしてません? 仕方がないじゃありませんか、何かに名前を付けるなんて初めての経験なので」

「してないしてない。学生の頃に好きなクラスの異性の名前付けてる奴がいたけど、それに比べたら全然可愛いよ」

「......これは素直に喜んで良いのでしょうか?」


 ちなみに凛凪さんのプレイヤーキャラ以外のパーティーメンバーは『ミケ』『タマ』『ト

ロ』。全部ネコ科の名前で統一されている。そういえば本人も髪色といい、何処か猫っぽい印象もある。


「要するに橘さんは記憶に残った女性の名前を付けたと」

「話を元に戻したね。まぁ大きく解釈すればそうなるのかな」

「でしたら私も、いずれそこに名前を連ねられるよう頑張りますね」

「大丈夫。凛凪さんのことは絶対に忘れたりしないよ。だって――」 


 拾った錬成人間ホムンクルスの女の子と一緒に住むなんて二次元展開、忘れようにも脳内に刻印されて無理だろう。

 代わり映えの無い退屈な日常に突如現れた眠り姫のおかげで、俺の生活は毎日が充実している。

 そんな恩人のこと忘れてしまうのは逆に失礼だ。


「だって......?」

「こっちの話。それより凛凪さんも早く食べよう。大型モンスターが襲来したら食べてる余裕はないよ」

「橘さんがそこまでおっしゃるとは。かなりの強敵なのですね」


 真剣な表情なところ申し訳ないが、上級者一名と超初心者一名で討伐する相手なので対象レベルは当然低めなのを選ばせてもらった。

 だって女性の前でワーキャー言われたいじゃない。

 例え相手が俺にとってニ・三ターンで倒せるザコでもさ。こちとら連勤明けの身。その程度でバチは当たんないだろ。

 俺たちは大型モンスターが現れる時間までの間、何でもない会話を重ねながらのんびりした癒しの時間を楽しんだ。

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