第6話【ピノキオ】
週の始まり月曜午前のショッピングモール内は、昨日までの喧騒が嘘のように人もまばらでのんびりとした雰囲気。
腰の曲がった男女の老人がベンチで会話に華を咲かせていれば、キャラクターグッズショップの前では手を繋いだ若い奥さんとその小さな子供の姿が。たった今買ってもらったばかりなのだろう。嬉しそうにはしゃぐその小ぶりな手には、ヒーローのソフビ人形が握られている。
極めて平和一色の店内......とは裏腹に、俺の財布の中はあまり穏やかとは言い難い。
「合計で6780円になります」
化粧品売り場にて。
コンタクトレンズの保存液みたいなケースに入ったそれらが、一葉さん一人と漱石さん二人分との交換とは夢にも思うまい。
あまり態度に出してしまうのも男としてカッコ悪いので、平静を取り直し会計をさっと済ませ店を出る。こういう時、現金派の人間は財布の中のダメージを直接視認できるのが
難点だ。
「必要な物はこれで全部?」
「はい」
隣で横並びに歩く凛凪さんの手には今買ったばかりの化粧品類だけでなく、部屋着に下着等が入ったビニール袋。
ここに来れば大抵の必要な物は全て揃えられると踏んでいたのは間違いなかった。
ただ先ほどの誤算を除いて。
「女の子って、いろいろ大変なんだな」
「え?」
いかんいかん!
心の声がだだ漏れてしまった!
これでは俺が彼女イナイ歴=年齢というのがバレてしまうではないか!
30歳を過ぎた男が女性の生態すら満足に知らないのは、つまりそういうことだ。
「私の場合、お手入れをサボるとすぐに肌へと表れてしまうタイプなので。
「学生の頃に一度やったきり。洗顔クリーム塗ったら秒で痒くなったからやめちゃった。使ってるのはフェイスシートくらいだよ。」
「フェイスシートのみでその肌は羨ましいです」
俺の呟きに特に気にする素振りもなく、凛凪さんは苦笑を浮かべ肌事情を語った。
「店の男性バイトの中にはしっかり肌の手入れをしてる子もいれば、香水を使ってる子もいてね。美意識高いのは悪いことじゃないんだけど、たまにレジカウンターから俺のデスクまで臭うほどつけるのはやめてほしいかな。気持ち悪くなって仕事に集中できやしない」
「それは私も嫌ですね」
「身近にわかってくれる人がいて嬉しいよ」
「当人は自分の体臭を気にしてのことなのでしょうが、逆に体臭以上の悪臭になりかねないことを自覚してほしいです」
女の子はあまり香水の匂いは気にならないものだと思い込んでいたが、凛凪さんから同意を得られたのがちょっと嬉しい。
「店長さんも大変なのですね」
「所詮は中間管理職ですから」
自嘲気味に言う俺に凛凪さんは慈しみの微笑みを向ける。
独り身の俺が仕事に関する愚痴をこぼす機会は、精々年一で行われる高校時代の同窓会くらい。役職柄もあって職場の人間にはできるだけ負の部分は見せないよう努めてきた。
それが凛凪さんが住み始めた今では、毎日のように仕事で抱え込んだ愚痴を聞いてもらっている。溜まりに溜まったストレス性ガスを一気に放出するのではなく、毎日適度に放出できるようになった俺の気分は、どこか軽い。
「――やけに親子連れが多いけど、なんかイベントでもやってるのかな?」
外でまで仕事の愚痴を聞いてもらっていた俺の視界に、子供を連れた母親たちで目立つ映画館が映った。
すぐそばの壁に設置された電子看板には『本日区民限定! 童話アニメ無料上映会』と
「平日だというのに、結構人が集まっていますね」
「確かに。スマホで何でも見れるこの時勢に、いくら無料でも平日お昼にここまで人が集まるのは凄いんじゃないかな」
「こういった催しでしたら、多少子供が騒いでも許されると思い来られているのかもしれませんね」
凛凪さんの言うことにも一理あるだろう。
無料であれば、仮に子供が飽きてギャーギャー騒いでしまっても気兼ねなく、いつでも退出できる。
ちなみに俺の見解は、プラス人は誰しも無料・タダという言葉に弱いから。
以前うちの店舗ではないが、近隣の大型アニメショップが人気アニメのお面を無料配布しようとしたところ、警察が動くレベルに人が集まる事件が起きてしまった。
ここに来ている子供たちの何パーセントかが将来転売ヤーに手を染めてしまうかと思うと、残念で胸が苦しくなる。
「ピノキオ......」
俺が勝手に子供たちの未来を想像し切なさでいっぱいになる隣で、凛凪さんは切り替わった電子看板に映し出された上映リストを覗き呟いた。
「ピノキオかぁ。嘘をつくと鼻が伸びて、最後に人間になるくらいしかもう覚えてないな」
「あらすじを簡単に説明しますと、おじいさんに作られた木の人形が大切な人に嘘を重ね続け、最後は改心して体も人間になるというお話しです」
「へー、詳しいね」
「いえ」
そこが唯一の、凛凪さんの情報についての数少ない手がかりになりそうなのも。
「......果たしてピノキオは、人間になれて幸せだったのでしょうか?」
電子看板に映ったピノキオの鼻先を指先でそっと触り、ぼそと呟いた。
「そりゃあ、本当のおじいさんの子供? になれたわけだし」
「木の人形に生命が宿った存在は、人にとって研究価値のある希少生物。ましてやそれが人間になったとなれば尚更モルモットにされる絶望の未来しか私には見えません」
「生きていれば辛いことは沢山あるだろうけど、でも人間になってやれる選択肢は沢山増えたと思う。単純にピノキオの未来が絶望だけだと決めつけるのは、俺はどうかと思うよ」
物語の結末の先がハッピーエンドなのか、はたまたバッドエンドなのか――想像する人間の数だけ展開は存在する。
もしも実際にピノキオみたいな現象が起きたら、生命そのものの概念がまた根底から覆りかねない。
錬成人間でさえ充分な理解を得られているとは言えない、この
「現実と当てはめるのもいいけど、せめて物語の中では幸せに一生を送ってほしいじゃない」
「......ですよね。私としたことが、せっかくの楽しい買い物の時間に興が削がれるようなことを」
「新しい環境に慣れなくて多分疲れてるんだよ。そういう時こそ、美味しい物でも食べて気分転換しなきゃ」
映画館内を入って真正面の上壁に設置された電子時計は、午後1時半を表示している。
広いショッピングモールを歩き回った今ならがっつり系でもイケそうだ。
『はい』と明るさを取り戻した凛凪さんを促し、俺は下りエスカレーターの方へ先導しようとする。
凛凪さんが電子看板に背を向けた瞬間、なんとなく俺とピノキオの目があった気がしたのも束の間、すぐに別のキャラに切り替わってしまった。
その小判型の無垢な瞳は俺に何かを言いたげな眼差しを向けていたが、わかるはずはなかった。
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