第5話【意思確認】

 次の休日。

 凛凪りんなさんが家にやってきて4日目。

 当の彼女は朝食を済ませた後、食後の心地良い怠さに支配され横になる俺に代わり、ベランダで洗濯物を干してくれている。

 上のTシャツはともかく、下がデニムのショーパンというのは目のやり場に困ってしまう。

 唯一の自前の服がいま洗濯中なので仕方がないのだが、たまに監査の名目で押しかける妹の着替えがこうして役に立つとは皮肉なもんだ。


「凛凪さん、大事な話があるんだけど。ちょっといいかな?」


 睡魔が本格的に襲って来る前に、俺は床から身体を起こし、丁度洗濯物を全て干し終えた凛凪さんを手で招いた。

 大事な話というワードに反応したのか、テーブルを挟んで反対側の定位置に座った凛凪さんの上半身は強張りを見せた。


「はい......何でしょう」

「そんな固くならなくていいよ。まぁ、大事な話があるって言ったら誰だって緊張しちゃうか。ごめんね。凛凪さんの意思を確認しておきたくてさ」

「私の、意思?」


 僅かに小首を傾げ、頭の上に大きくわかりやすい疑問符を浮かべる。


「そっ。いつまでもこのままっていうわけにもいかないし」

「やっぱり私が家にいたらご迷惑ですよね」

「違う違う。そういうことじゃなくて」

「今日中にはおいとましますのでご安心ください」

「勝手に話を進めない。あと凛凪さん、記憶が無いのに行く当てなんてあるの?」

「......野宿します」


 テレビも点いていない、隣の部屋の生活音も全く聞こえてこない日中の静かな空間を二人の無言が埋める。


「女の子が気軽に野宿するとか言っちゃ駄目。またプラーナ切れを起こして倒れたらそれこそ危険だよ」

「ですが私がいつまでも橘さんに厄介になるのは、その......お困りでしょう」

「困るって何が?」

「彼女さんも呼べませんし、いろいろ楽しむことも......」


 自分で言って羞恥で頬を赤く染める凛凪さんの言葉尻がどんどん小さくなっていく。 

 30歳独身男性に恋人がいないわけがないという先入観は、地味に傷つくのだということを彼女は知らない。余計なお世話だ。


「気を遣わなくていいよ。それに俺、今は彼女いないから」


 口癖のように”今は”と告げ、あとから小さく心の中ではっとする。

 いつからだろうか。彼女を作ったことがないのをバカにされるのが嫌で、架空の彼女歴をでっち上げるようになったのは。

 自衛のために吐いた嘘で後ろめたさを感じることはこれまで一度も無かったのに、凛凪さんに告げた自尊心の塊の嘘はざらりと気分の悪さが染み込む。


「だから凛凪さんさえ良ければ、自立できるまで家にいても大丈夫。その代わりと言っちゃなんだけど、お手伝いさんをやってくれると助かるかな。見ての通り、仕事で疲れてあんまり家のことまで手が回らないし。丁度凛凪さんみたいな人を探してたんだよね」


 いくら店長職でも本物のお手伝いさんを雇えるほどの高給取りではない。

 これは建前。

 凛凪さんが罪悪感から解放され、安心して生活を送れるようにするための。

 嘘と呼ぶにはあまりに見え透いた、自分流の小洒落こじゃれたスカウトとでも言っておこう。


「本当によろしいのでしょうか?」

「今なら住み込みで三食昼寝付き。給料はとりあえず都の最低賃金からスタート.....と言いたいところだけど、そこは俺の懐具合と要相談でお願いします」

「住まわせてもらうだけでもありがたいのに、その上お給料だなんて」

「仕事のモチベーションは労働環境で全て決まる。ここ、テストに出るから」


 労働をする者には、その仕事に見合った正当な対価が払われるべき。

 錬成人間ホムンクルスだろうがそんなものは関係無い。

 ここ数日の凛凪さんの家での生活を見る限り任せても大丈夫だと、そう判断するに至った。

 不安の色が濃く支配していた表情が、徐々に明るさと彩りに満ちていく。


「......では、お言葉に甘えてもうしばらくご厄介になります」

「あと厄介も禁止。お世話になるのはお互い様なんだから。フェアにいこう」

「はい」


 遠慮する姿勢もこれからの生活の中で無くなってくれると助かる。


「そうと決まれば、本格的に迎え入れるための準備をしないとね。布団に日用品......あと服も必要だな」

「残念です。妹さんのお洋服、結構気に入っていたのに」

「俺としては目のやり場に困るんで勘弁してください。特にそのショーパン」

「スースーして最初は落ち着きませんでしたが、慣れると結構動きやすいんですよ、これ」


 妹が履いても何とも思わなかったデニム地のショーパンは、装着者が変わるだけでこうも艶めかしく別物に見えるとは。

 剥き出しの太ももは濁りの無い綺麗な乳白色。背徳感を感じずにいられない。


「橘さんって、意外とむっつりなんですね」


 俺の視線に気付き、凛凪さんは鼻をスっと鳴らし微笑む。


「なっ!? 変なこと言ってないで、さっさと準備して!」

「今から買いに行かれるのですか?」

「食後の運動には持って来いじゃない。ついでに昼は外食で済ませられるし。いい加減弁当も飽きたでしょ」

「それは名案ですね。早速行きましょう」

「でもその前に、悪いんだけど俺のジーンズに履き替えて。そのままだといろいろと刺激が強すぎ」


 食い気に釣られ立ち上がった凛凪さんのおみ足を拝見し、俺は思わず声を上げた。

 できれば自分の服で外出してほしかったが、残念ながら今はベランダで太陽の光をその身に浴びて乾燥中。

 恋人でもない異性のジーパンを履くのは抵抗があるのかもしれないけど、今日のところは勘弁してくれ。連れがオスの野獣どもに好奇の眼差しで見られるのはこっちが耐えられん。


       

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