第1話【ゴミ捨て場の眠り姫】

「橘くんって、なに考えてるかわからないよね」


 俺が高校時代に好意を抱いていた”彼女”は、友人たちに影でそうこぼしていた。

 深夜12時を少し回った、山手線・外回り電車の車内。

 華金はなきんでも土曜の夜でもない、ただ週の真ん中に位置する平日水曜日だというのに、渋谷から池袋辺りまで毎回人の出入りが多く激しい。

 そんな中で昔話を思い出したのは、扉を挟んだ反対側で恋バナに盛り上がっているギャル二人組......のせいではない。

 記憶の中の彼女......日野宮夏樹ひのみやなつきと同じクラスだった時の同窓会の帰りだからだ。

 卒業からもう12年が経過しようというのに、今でも年一回のペースで企画をしている。

 幹事は俺。

 卒業して3~4年目くらいまでは人の集まりも良かった。

 しかし社会人になると連絡が取れない・仕事が忙しいメンバーたちが一定数現れはじめ、ここ最近は同窓会と呼ぶには恥ずかしい規模に陥っていた。


「仕方ねぇべ。みんな三十路にでもなれば、仕事やら家庭やらでそれどころじゃなくなるからな」


 同窓会の二次会。友人の笹森拓哉ささもりたくやが、枝豆を摘まみに生ビールを爽快に飲み干す。


「いや、分かってはいるんだけどさ」


 笹森の言いたいことは理解できる。責任を負うことの無い、自由な身の上だった学生の頃とは違って、大人になると何をするにも嫌でも責任が着いて回る。仕事にも家庭にも。

 最初は日野宮との縁を切りたくないという不純な動機ではじめた同窓会は、気付けばそんな連中の癒しの場に少しでもなればと思い、今日こんにちまで続けてきた。

 現実はなかなかこちらの思惑通りに動いてはくれない。

 日野宮なんか、同窓会に顔を出さなくなって何年が経過しただろうか。


「俺たちはまだお互い自由な職場で、おまけに独身だろ。時間を作ろうと思えばどうにかなる」

「お前と一緒なのは納得がいかん」

「安心しろ。俺だって御免だ」


 高校時代に比べて立派に育った大きな腹を揺らし、笹森は品の欠片かけらもない笑いを浮かべた。

 映像編集者の職に就いてからというもの、会う度に肥大化しているのはやはりストレスの賜物たまものなのか。


「でも家族ができちまうとな、いつまでも過去の人間より、身内や身近な人間との新しい思い出を優先しちまうって、ウチの兄貴が言ってた」


「......だとしても、小さい子供のいる木田や松本みたいに毎年必ず参加してくれる奴もいるだろ」

「あいつらだって、他の連中みたいにいつ顔を出さなくなるかわっかんねぇーぞ」


 木田と松本も笹森と同じく、同窓会をほぼ皆勤賞で参加してくれている大事なメンバーだ。

 この中の誰か一人でも欠けたら、いよいよ同窓会の看板を下ろさなければいけない事態になる。

 幹事のプライドにかけて、ただの飲み会への格下げはどうにか避けたい。


「俺はみんなのこと、過去の人間だと思ってないんだけどな」

「かーっ! 変わんねぇな和人かずとは」

「そういう笹森も、毎年二次会に参加して俺のつまらない愚痴聞いてくれるよな」

「あ、そのことなんですけど......ごめん。来年からはしばらく飲み会は無理かも」


 いきなり下手したてに敬語で話す笹森に、塩キャベツを取ろうとする俺の箸の動きが止まった。


「実は俺、いま結婚を前提に付き合ってる女性がいてさ。来年には子供も生まれるだろうから」

「この裏切り者が! ていうか順序逆かよ!」

「はぁん!? できちまったもんは仕方ねぇだろうがよー! 悔しかったらおめーも早くいい人捕まえてみろや!」

「できるならとっくにそうしてるわ! この幸せ太り野郎が!」


 仕事帰りで賑わう大衆居酒屋の店内を、俺たちの下品な会話が響き渡る。

 接客中の外国人女性店員から冷ややかな眼差しで見られようがお構いなく。

 昔みたいにバカで不毛なやり取りを終電ギリギリまで続けて、この年の同窓会は全て終わった。


 ――で、憎まれ口を叩きながらも、お祝いと言わんばかりに調子に乗ってアルコールをガンガン摂取した結果がこの有様だ。

 さっきからまともに立っていられず、何かに寄りかかっていなければ崩れ落ちてしまう。

 間一髪、自宅の最寄り駅まで到着した俺は、下車するなりホーム上のベンチにふらついた足で腰を下ろす。

 そしてそのまま眠りにつき、起きたのは30分後。

 目覚めると終電後の見回りをする駅員の、呆れを薄っすら含んだ表情がぼんやり。

 ダルさこそまだ残ってはいるが、どうにか立ち上がることはできた。

 追い出されるように駅のホームを後にし、改札を抜け、外に出る。

 シャッターが閉まり本日のお勤めを終えた店たちに見向きもせず、家に向かってゆっくりと足を進めて行く。

 駅前が特に栄えているわけでもないので、深夜ともなれば辺りは一気に灯りが消え、物悲しい気分が漂う。

 今日はいつにも増して、その静寂が苦痛に感じた。


 30歳にもなって未だに彼女いない歴=年齢&童貞の俺は、いつしか諦めの境地に達し、一生独身でいる決意を密かに固めていた。

 二年前にレトロゲームショップの平社員から店長に昇格し、売り上げもありがたいことに好調続きで安泰。

 老後までいかに貯金を蓄えられるかを目標に日々を送っていた。

 今日みたいに年一回、気心の知れた友人たちとバカ話を魚に飲めれば何も望まない――はずだった。


 唯一の楽しみもそう遠くない将来、失われてしまう――。


 ここまで長い期間、同窓会を続けるクラスも珍しいと思う。

 そのくらい、あのクラスには妙な団結力があり、居心地も良かった。

 だが時間というものは、残酷なまでに熱量を奪っていく......昔のままでいることは不可能なのだ。

 紺色の夜空に光るいくつもの星たちが、眩しく羨ましい存在に見える。

 各々が自分たちの今の居場所で、幸せに日々を送れていればいいじゃないか。

 生きてさえいれば、そのうちいつかまた会える。

 必死に理解しようにも、酔った頭では尚更悔しさが邪魔をする。

 時間の前に人間は無力だ。


 暗く淀んだ気持ちでようやく家の近所まで帰って来ると、目の前のT字路、街灯が灯る電柱の下にふと目が留まった。


 ――人、か?


 季節は3月末。

 まだまだ夜は冷え込む。こんな時間に外で寝るのは自殺行為だ。

 ふらつく足を引きずって、人口の光に誘われる虫みたいに近づいてみる。

 ゴミ捨て場としても利用されるその場所。

 地面をベッド代わりに、横を向いたまま眠る、長く鮮やかな金髪の女の子がそこにいた。

 見た感じ、おそらく20代前半といったところだろうか。若い。

 高そうな黒のオーバーオールドレスにロングブーツが上品さを醸し出し、安らかな寝顔をたたえる姿は何処かのお嬢様か。


「すいません、こんな場所で寝てると風邪引いちゃいますよ」

「...........」


 しゃがんで軽く肩を揺らしても返事はない。いや、返事どころか寝息も聞こえててこない。

 最悪な事態を想定するよりも前に、俺は失礼して後ろから彼女の襟元を引っ張り、うなじ付近を確認してみる。

 ......やはり、星型のあざのようなものがあった。

 『錬成人間ホムンクルス』たる証拠をこんな間近で見たのは初めてだ。


 俺たち人類と何ら変わりない外見を持つ種族――錬成人間。

 名前の通り、化学を発展させるための経緯から偶然生み出された人工生命体。

 第一号がこの世に誕生して30年以上の時が経ち、今では人間社会の中で稀に見かけることもあって、そこまで珍しくはない。


 PCのスリープモードだったら触れば秒で目覚めるのに、どれだけ身体を揺らしてみても呻き声の一つも発せず。

 ひょっとしたら彼女は燃料切れ、所謂いわゆる『プラーナ切れ』を起こしていると考えられる。

 『プラーナ』は錬成人間にとっての生命の源で、食事とは別に定期的に摂取しないといけない。

 ただし人間の摂る食事と違い、代償こそあるが切れても死ぬことはないらしい。

 

「......まいったな」


 こんな真夜中に錬成人間の女性を放って家に帰るのは、確実に明日の寝覚めが悪くなる。

 かと言って交番に届けるにしても面倒だ。拘束時間がどれだけかかるかわからないし、明日もフルタイムで仕事が入っている。そんなもので貴重な睡眠時間を削るマネは避けたい。

 で、悩んだ結果は、

 

「......仕方がない。連れて帰るか」


 まさか人間より先に、錬成人間の女の子をお持ち帰りすることになるとはな。人生、一寸先は何が起きるかわからないとはよく言ったもんだ。

 両腕を俺の肩に引っ掛け、そのままおんぶするような形で持ち上げた。

 ......この子、着やせするタイプだったのか......。

 背中に当たった胸の感触が俺にその真実を伝え、卑猥ひわいな考えが鎌首をまたげそうになり慌てて首を横に振る。

 こちらの気持ちなんか知る由もない、ゴミ捨て場で眠っていたお姫様は、思ったより軽く、そしていい匂いが香った。

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