第12話 真夜中の暗殺者
「はぁ……」
ニ日続けて情けない姿を晒してしまった俺は、指定されたゲストルームでひとり落ち込んでいた。
数百年にわたり、ずっと独り身だった俺は、女性に対する免疫が極端に低いらしい。以前の俺は、ループを繰り返す前から、第二王子ウィルや第三王子ガーガスと違い、そうした行為が得意ではなかった。女性を支配するような気がして、気乗りしなかったのだ。
その結果がこれだ。
「情けなくて、本当に自分が嫌になりそうだ」
そんな自己嫌悪が、弟たちにつけ込まれる要因だったのだろうと自覚してはいるものの、苦手なものは苦手だ。再度、自分が王族には向いていないことを痛感する。
「……近いな」
落ち込んでいても、尿意は催す。
現在の時刻は真夜中。部屋の壁にかかった時計は丑三つ時を指している。執事のハーネスや侍女のテレサたちも寝静まっている時間だ。彼らを起こさないように気をつける。
「気を遣わせては申し訳ない」
そっと、音を立てずに部屋を出る。廊下が軋むのは少しイライラするが、抜き足差し足、忍び足で屋敷内を移動する。やがて、レーヴェンの部屋の前に差し掛かる。昼間の彼女の姿が思い浮かび、柔らかな感触が鮮明によみがえる。頬が熱くなって、恥ずかしさがこみ上げる。誰にも見られていないのに、その場から動けなくなってしまう。
そして、突然、全身に悪寒が走った。
「動くな」
「―――!?」
「動けば殺しますよ」
「へ……?」
気が動転していた俺は、背後から忍び寄る存在に気づかなかった。暗闇の中で、目を動かして状況を確認する。
「…………っ」
白くて細い腕が見える。
繊細そうな指には刃物が握られている。肉を切るときに使うような、24センチほどのテーブルナイフだ。それが顎のつけ根あたり、頚動脈にピタリと当てられている。
言葉通り、指一本でも動かせば容赦なくナイフを振り抜いてしまうだろう。
俺に向けられた、明確な敵意と殺意がそう伝えていた。
「ロレッタ……か」
「……」
「これは、どういった冗談だ?」
「質問するのはこちらです」
冷徹な声。
無愛想で、それでいて冷静な口調が耳元で静かに響く。
「あなたはただ、私の質問に答えるだけです。嘘だと判断したら、その時点であなたを殺します」
冷酷な声で言い放つと、ロレッタはナイフを持つ手とは反対の手で、俺の左手首を掴んだ。脈拍を確かめ、俺の言葉の真実を確認しようとしているようだ。彼女はただのメイドではなく、
「あなたの本名は」
「ランス」
「姓は」
「ない」
「……なるほど。王家を追放されたというのは事実のようですね」
ロレッタの言葉はこれ以上冷ややかには言えないと思えるほどの響きだった。俺に何か恨みでもあるのかと、疑念を抱かざるを得なかった。
「帝国にはなぜ来たのです。ランナー国と我が国とは敵対関係にこそないものの、友好的とも言えません。それどころか、近年ではランナー国の民は帝国に苦しまされていると聞きます。帝国を憎む者も多いと言われています。帝国からすれば相手にすらならない小国でも、逆の立場にあるあなたたちはよく思っていないはずです」
「……憎んだことなどない」
嘘ではない。
むしろ感謝しているくらいだ。
ランナー国の領土は狭く、切り立った山々に囲まれている。夏は短く、冬はとても長い。帝国が蒸気機関車を開発し、ランナー国にまで線路を敷いたことは、脅しの意味を込められていた。
しかし、そのおかげで貿易関係は少しは改善された。輸出、輸入の際は、帝国の商人に足下を見られることがあったらしいが、それは単に帝国の商人がランナー王国の商人より上手だっただけの話。国王陛下は通常より高値で商品を買わされて不機嫌だったが、個人的には飢えて死ぬよりはましだと思っていた。
国の財政が傾いたのは帝国のせいだけではなかった。もちろん、何の関与もないわけではないが、あの国は遅かれ早かれ破滅に向かう運命だ。帝国はそのきっかけの一つに過ぎなかった。あの国には現状を変えようという意欲のある者がいないのだ(自分も含めて)。
だから、少なくとも俺は帝国を憎んだり、恨んだりはしない。
「……なぜですか?」
「なぜと言われても……」
「では質問を変えます。あなたは誰に雇われたのですか?」
「えっ……いや、誰にも雇われていないけど」
「では、レーヴェン様が襲われている場面に偶然出くわし、たまたま屋敷に入り込んだのですか?」
「そうなるね」
横目で彼女の顔をちらっと見ると、彼女の目が凄まじく俺を見つめていた。控えめに言って、非常に恐ろしい。
「では、なぜわざと負けたのです」
ロレッタの声が一段階冷酷になる。
「わざと……?」
「とぼけないでください。昼間のレーヴェン様との手合わせ、あなたはわざと負けました」
「わざとなんて負けてない! 俺はそんな失礼なことはしない!」
「静かになさい!」
「うぅっ……」
首元に押し当てられたナイフに圧力がかかる。
「私の見立てでは、あなたの方が実力が上でした」
「……それは」
「質問を変えます。もう一度レーヴェン様と剣を交えたなら、あなたはレーヴェン様に勝てますか?」
「……負けない、とは思う」
「ではなぜ、昼間は負けたのです。レーヴェン様を油断させるための演技、だったのではありませんか」
「違う! そんなんじゃない」
「では手心を加え、わざと負けた理由を述べなさい。理由次第では、ここで殺します」
理由を言えと言われても……。
「どうしたのですか? 言えないのですか」
「………」
言えない。
絶対に言えない!
言うわけないだろっ!!
「ぐぅっ……」
「死を選ぶ、そう解釈してよろしいですか?」
「待って、待ってよ! 全然よくないからっ!」
「では答えなさい。なぜ負けたのです」
「だから……その、………っが、見えてぇ」
「何を言っているのか聞こえません。もう少し大きい声で言ってもらえますか?」
「お、お、大きい声でぇっ!?」
「何を驚いているのです」
いや、驚くでしょ。
そんな恥ずかしいことを大声で言えるわけがない。ばかなのかっ!
「心拍が加速し、体温が急上昇しています。疚しいことがある証拠です」
こんな屈辱的な状況なら、どんな人でも同じだろう。
「だから、言ってるじゃないか」
俺はもう、泣きそうだった。
いや、正直に言えば、もう泣いていると言っても過言ではなかった。
「だ・か・ら・聞こえないと言っているのです!」
くそったれッ!!
「だからっ!」
俺は奥歯がへし折れるほど歯を噛みしめ、泣きそうになりながら叫んだ。
「レーヴェンのおっぱいが見えていたから動揺しちゃったって言ってるじゃないかっ!」
「……………………は?」
それは酷く間の抜けた声だった。
そして、その直後――ガチャ!
レーヴェンの部屋の扉が開いた。
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