「それじゃあ『K』が誰なのか考えようよ。まず考えるのは犯人の名前の頭文字だよね。だとしたら……」

 ルナアリスは唇を何度も人差し指の先端で叩く。煌月は左手を口元に当てた。二人がそれぞれ考え込んだ証拠だ。

かなでだから私でしょ。煌月こうげつさんもだね。大宮さんが小次郎こじろうで……三人だけだね」

「羽田さんは他の参加者の名前をメモしていたので把握していた。だから咄嗟に血を付ける事ができた。それが答えならば、証拠が無くても犯人じゃないと言い切れる自分を除いて容疑者は二人ですね」

「私も犯人じゃないよぉ。消去法で大宮さんだよ」

 抗議が入った。もっとも自分の知らない所で犯人と断定されたような大宮も、抗議の声を上げたいだろう。

 煌月はルナアリスに視線を向けた。大宮が犯人か否かには意見を出さない。

「名前の頭文字じゃないかもしれませんね。別の何かの可能性も考えましょう」

「名前以外で個人が特定できる『K』かぁ。……職業とかはどうかな?」

 互いに思考のターンにはいった。先に答えを出したのは煌月だ。

「探偵はディティクティブだから『D』です。ファッションモデルは『FかM』でしょうね。ライターは『R』。学生はステューデントでシステムエンジニアと共に『S』。女優はアクトレスだから『A』。謎解きクリエイターは『NかC』かな。ルナアリスちゃんだけ職業がないですが、ガールか天才を意味するジーニアスで『G』ですかね」

「うーん誰も該当しないね、違ったかぁ」

 他にも色々考えてみたが、名前の頭文字以外に正解らしい可能性は出てこなかった。手帳の中にヒントがあるかもとページを捲ってみる。しかし今回のゲームと関係がありそうなページに書いてあったのは、他の参加者全員の名前と外見の特徴だけ。例えば煌月は長身で白髪というように割と大雑把だ。

 他のページには、羽田が所有しているマンションの住人に関すること等が書かれている。個人情報も幾らか書かれていた。

「この手帳は大事な遺留品なのでチャック付きビニール袋に入れておきましょう。もう一つ気になるのは左手です。掌に血痕が付いているんですが、どうも全体的に擦れたように見えるんですよね」

「左手? うーん確かにそう見えなくもない気がするけど……」

 煌月は暫くしゃがんで羽田の左手を見ていたが、ルナアリスに写真を撮ってもらった後すぐに立ち上がった。

「ちょっと左手の件は保留で。羽田さんの部屋を調べましょう」

 すぐ横の八番の部屋に向かう煌月に、「オッケィ」と返事をしてついていくルナアリス。

 八番の部屋は鍵が掛かっていなかった。室内は家具の配置や窓が数センチしか開かない等他の部屋と変わらない。この部屋の鍵はテーブルに置かれていた。

 一通り調べても収穫は無かった。尤もこの部屋は犯行現場ではないので、収穫無しは当然といえる。

 この部屋の鍵もチャック付きビニール袋に入れて回収した。

「向かいの十六番、行きましょう」

「美緒さんの部屋だね」

 廊下に出て正面、ヨルムンガンドという大蛇が描かれたドアを煌月は開けた。

 間取りと調度品はやはり他の部屋と同じだ。

 部屋の奥の方、テーブルの近くでうずくまるように横たわる木村へと近づく。被せているブランケットを捲る。

「木村さんも毒が塗られた矢で撃たれたようですね」

 薄手のシャツを貫いた矢の周辺の皮膚が、瀬尾田と羽田同様に変色している事を確認した。矢は正面から撃ち込まれたようだ。

「ねぇテーブルの上にコインが置いてある」

 煌月はテーブルを見遣り、「置いてありますね」と返した。

 テーブルの上には一円玉、五円玉、十円玉、五十円玉、百円玉、五百円玉が置かれている。それらは何種類か混ぜて規則的に並んでいたり、真っ直ぐではなく交互に縦に積まれていたりしている。

 ただ一部が乱れている。テーブルの下には何枚か落ちていた。

「これもしかしてダイイングメッセージじゃない?」

 ルナアリスは期待を込めてテーブルの上を指さした。煌月は少し間を置いてから、

「いや、これはダイイングメッセージではないと思います」

「ええっ、そうなの。どうしてそう言えるの?」

「ダイイングメッセージは、死に際に被害者が犯人を指し示す為に残す物であることは分かりますよね?」

 ルナアリスは大きく頷いた。

「もうすぐ死にそうな状態の人間が、硬貨を規則的に並べたり縦に積んだりは出来ませんよ。ましてや今回はどうもごく短時間で死に至る、そんな強力で即効性の高い毒物が使われたようですから、時間的にも無理でしょう。それに仮にダイイングメッセージだったとしても、状況的に犯人が中に入り込んだんですから、意味が分からなくても弄ってたら壊していくと思います」

 理路整然と推理を述べる煌月。何故かルナアリスは嬉しそうに何度も頷いた。

「それじゃあこのコインはなんだろう? もしかして犯人が捜査を撹乱するためにやったのかなぁ?」

「いやぁどうでしょうね。私はこれに関しては犯人はノータッチだったんじゃないかと思うんです」

「どうしてそう思うの?」

 ルナアリスは首を傾げた。

「面倒くさいと思いませんか? 犯人には、犯行現場からすぐに立ち去りたいという心理が働きます。長く現場に居続けると予期せぬ証拠が残る可能性がありますしね。そして殺人というのは、勿論私は経験はありませんが物凄く心理的な負担とストレスがかかるそうです。用意周到に準備をしたとしても、なるべく手順は少なくして早く終わらせたいと考えるものではないでしょうか。

 ましてや今回は一晩で六人も殺しているんですから、負担は相当でしょう。いくら呼びつけた探偵気取たんていきどりが嗅ぎまわるだろうと思っても、わざわざ硬貨を並べたり積み上げたりはしないかと」

「う~ん。理屈は分かるけど、それじゃあこれは何?」

 ルナアリスは不思議そうにテーブルの上を見つめている。

「恐らく犯行とは一切関係が無いもの。例えば……暇潰しで硬貨で遊んでたとか。遊んでる時に犯人が入ってきて撃たれたというのなら、辻褄は合いますよ。ほらテーブルの端に財布が置いてあります」

 白い二つ折りの財布で、太宰府天満宮の小さなストラップが付いている。

「う~ん確かに……。テレビとか無いしスマホも圏外でやることないし。眠くなるまで何かやってたのはありそうな話かな……」

 ルナアリスは納得しているのかしていないのかはっきりしない顔で小さな頭を傾げた。

「そういえば木村さんの死体を見た時、違和感を覚えたんだった」

 煌月は再び木村の死体を見遣る。

 違和感の正体は何だ? 何をおかしいとか違うと感じた?

 死体には触れずにその正体を探る。違和感の正体に繋がる何かはルナアリスが発見した。

「気のせいかもしれないけど、なんだか笑ってる気がする」

 煌月は正面から覗き込んでいるルナアリスに視線を向ける。

「笑っている? 死体が?」

「うん。いや気のせいかも」

 煌月は木村の顔を覗き込んだ。血の気が失せた彼女の顔は――。

「これは確かに笑っているように見えなくもないな……。苦しんでいるようには見えないと思うし……」

 ルナアリスが笑っているようだと感じ取ったのは、きっと間違いではないだろう。矢に撃たれてから、塗られた毒で死ぬまでの時間は僅かだった筈だ。その僅かな時間を苦しみぬいて死んだのだろう。なのに何故? 木村美緒という人間は笑って死んだように見えるのだろうか?

 暫く思案を巡らせるが、答えは闇の中にあって見つからない。

「ねぇ煌月さん、ちょっと」

 闇の中を彷徨う思考が優しくて幼い声によって現実に戻された。

煌月がゆっくりとルナアリスを見遣ると彼女は死体を指差した。

「美緒さんの両手、何かを握りしめているように見えない?」

「両手……確かに……」

 両手は腹部に刺さった矢を握っているのではなく、別の何かを握っているようだ。煌月は写真を撮った後で両手を開く。死後硬直で固まった指の中に何があるのか。神経を集中させて慎重に確認する

 木村美緒が握っていたのは二枚の硬貨だった。

「十円玉と百円玉だ……」

 十円玉は右手の中に、百円玉は右手の親指と人指し指で挟むようにして握られていた。左手は右手を隠すような形だ。取り出した二枚の硬貨をルナアリスにも見せる。真剣な表情でそれを見たルナアリスは、一つの可能性を提示する。

「もしかしてこれがダイイングメッセージじゃないかな? コインで遊んでた美緒さんがそこにあったコインを使って、犯人を教えようとしたとか」

 ルナアリスは煌月に視線を送る。煌月は二枚の硬貨の表と裏、両方を確認している。

「これは……そうかもしれない」

 肯定されて表情を明るくするルナアリス。煌月は木村の両手を調べる。

「百円玉の表の面に血が付いています。握り方を見ると、親指でわざと血を付けたとみていいかと」

 新たな手掛かりの発見で更に表情を明るくするルナアリスに対して、煌月はここでも無表情のままだ。思考は既にダイイングメッセージの解読へと向かっていた。

「血が付いているのは百円玉の桜の花が描かれている面だけか。十円玉にはこれといって変わったところはないな」

 百円玉は血が付いていること以外に特に変わった所は無い。十円玉も相応の年月が経って赤茶色に変色しているだけだ。

 死体が笑ってるように見えたのは……犯人に一矢報いたぞと、してやったぞと死ぬ間際に思ったからなのか? 抱え込むようにしたのは犯人に見つかるまいと、取られまいと必死だったからなのか?

 心の中で、物言わぬ死体となった彼女に問う。返答は勿論無い。無いが煌月は思う。

 ――探偵さん、後はお願いするよ。彼女は最後にそう言ったんだと。

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