鍵をポケットに入れてルナアリスと木村と共に厨房へ。厨房はそれなりに広く、ホールと同様に蛍光灯の光とは無縁の灯りがあった。電子レンジに冷蔵庫等の家電製品は一通り揃っているらしい。三口のガスコンロも二ヵ所ある。棚には鍋とフライパンと食器類が整然と並んで置かれていて、醤油等の調味料も一通り揃っているようだ。シンクもあり、スポンジと食器用洗剤もそこにあった。

 冷蔵庫は高さが百七十センチくらいの大きい物と、右側にそれの半分より少し大き目の物が並んであった。大きい方には、長方形の厚めのマグネットで『食料品』と書かれた紙が張り付けられている。もう一つの冷蔵庫には『飲み物類』と書かれた紙だ。

 大きい方の冷蔵庫を開けると、冷気が中腰の煌月の顔を撫でた。

「そういえばさ、ウチの部屋の鍵に赤いバラが描いてあったんだけどさ、二人のは何の花だった? なんか一本一本違うみたいなんだよね」

「ルナアリスちゃんのが桜で私のがエーデルワイスでしたよ」

「そうなんだ~。何か意味があるのかな?」

「最初のゲームマスターの言葉を信じれば関係無いんじゃない?」

 ルナアリスは飲み物を物色している。

「それより問題は食べ物です。生鮮食品の類がありませんね。大半が冷凍食品の類ですよ」

 スーパーに行けば商品棚に並んでいる商品が詰め込まれていた。カップに入ったアイスクリームもあった。冷蔵室にはチーズやヨーグルトの他に、プリンにチョコレートとお菓子類が並んでいた。要冷蔵の缶詰もあり、先に厨房に入った人がいくつか持って行った形跡があった。

「生鮮食品が無くても何とかなるんじゃない? こっちの棚にはカップ麺とかカップ味噌汁とかレンチンご飯とかがあるよ」

 木村は大きい冷蔵庫の左隣の棚にいた。味噌味のカップ麺に手が伸びている。割り箸やプラスチックの使い捨てスプーンは同じ棚にまとめて置いてあった。

「こっちの冷蔵庫にはドリンクが入ってるよ。グレープジュースにしようかな」

 ルナアリスは小さい方の冷蔵庫から三百五十ミリリットルのスチール缶を一本取り出した。オレンジやアップル、アセロラ等のジュースの他、スポーツドリンクやミネラルウォーター、炭酸飲料、緑茶、コーヒーと飲み物は一通り揃っているようだ。お酒類も一角を占拠して並んでいた。

「冷凍食品って食べれば満腹にはなりますが、何故かすぐに味に飽きて口にしたくなくなるんですよね。

「普段は食べないの?」

 カップラーメンを物色していた木村が、中腰で冷蔵庫を覗き込む煌月を見遣る。

「基本的に食べませんね。いつもは自分で作っています」

「自炊してるの? 意外だわ。得意料理は何?」

「いえ特にはありませんね。レシピ本を見ながら料理すればどれも同じような味になりますし」

 木村が凄く残念そうな顔をしたが煌月は見ていない。

「オリジナルの料理とかは作らないの?」

「作りませんね。私は料理人ではありませんので」

 今度はルナアリスが残念そうな顔をしたが煌月は見ていない。

「体が大きいと食べる量もそれ相応でしょ? 大変じゃない?」

「普通の人より食費は掛かるのは確かですね。……おや? そちらの段ボールは?」

 カップラーメン等の棚の左横に段ボールが置かれている。

「ああこれ、ポテチとか煎餅とかが入ってるよ」

「冷蔵庫に入れなくてもいいお菓子の箱か」

 お菓子でもそこそこ腹は膨れるだろうが、冷凍食品と同じだ。

「何を食べるかまだ決まらないの? ウチは餃子が食べたいんだけどある?」

「……ありました。これでいいですか?」

 冷凍室から一つ取り出して木村に渡した。

「ありがと。ラーメンを食べようとするとさ、餃子も一緒に食べたくならない?」

「う~ん、そんなことはないと思うなぁ」

 イギリス育ちのルナアリスには共感できないようだ。

「何食べても同じか。これでいいや」

 煌月が引っ張り出したのは一食分の冷凍食品のチャーハンが二袋。昨今の冷凍食品は、各食品会社社員の熱意もあって、販売スペースの一角に独自の地位を築いている。もっとも普段手を付けない煌月はどうでもいいのだろう。

 中身が違う二袋を、食器棚にあった深めのフライパンにまとめて全部放り込む。そしてガスコンロに乗せて点火。

「普通は別々に温めない?」

「面倒ですし、電子レンジでもフライパンでもいいようなので」

 煌月は空き袋を確認した後、ゴミ箱に投げた。

「いや、そういうことじゃなくてねぇ。これ中身が違うじゃん」

「チャーハンであるのは一緒なので別にいいかと」

「本人がいいならいいんだけどさ……。初めて見たよこういうことする人」

 煌月は慣れた手つきで火を通していく。ルナアリスは色々迷ったようだが、カップ焼きそばにしたようだ。

「普段は食べないんだ、こういうの」

 ルナアリスは珍しそうに蓋と容器を見ている。当然お湯を沸かす為のポットも用意されていた。木村と一緒に作る姿は姉妹のように見えなくもない。

 トレーがあったので、各々がそれに乗せてホール内のテーブルまで運んだ。

 他の参加者達も各々食事にありついている。高校生組はそれぞれ分かれて談笑しながら取ってきた食料を口に運んでいる。竹山が男子高校生の組に混ざっていた。

「よぉ白髪探偵。アンタも一緒に飲まねぇかい?」

 テーブルの一角で、ビールの缶を見せびらかすようにしながら大宮が誘う。氷川と瀬尾田、羽田、村橋と大人組で固まっている。彼等の目の前にはお酒が並んでいた。

「いい値段がするワインがあったんです。五鶴神さんと木村さんもどうです?」

 瀬尾田は鮮やかな赤いワインを注いだグラスを傾けている。ウィスキーの瓶がワインの瓶の隣に並んでいる。

「ウチはお酒が苦手だから遠慮しとくよ」

 木村のトレーにはペットボトルに入ったコーラが乗っている。

「私もです、体質的に合わないもので。折角のワインも私が飲んだら台無しというか、生産者に申し訳ないですから」

 煌月のトレーにはオレンジジュースの缶が二本とペットボトルの紅茶が一本乗っている。

「ハハッ、そうかい? まぁ無理やり飲ませるわけじゃねぇし、好きな物を飲めばいいわな」

 大宮は顔を赤くして上機嫌だ。

 煌月は木村とルナアリスと三人で席に着いた。

「鷲尾さんはワイン、如何ですか?」

 階段を降りてきた鷲尾を見つけた氷川が声を掛けた。

「定期健診で肝臓に悪い判定が出たから禁酒中さ。まぁ一人で食べるのも寂しいし交流会だったら参加させてほしいな」

「おういいぜいいぜ。何か食い物持ってきなよ。好き嫌いしなきゃまだ幾らでもあるぜ」

「それじゃあちょっと行ってくる」

 鷲尾は足早に厨房に歩いて行った。

 不可思議な暗さのホールで参加者達は各自自由に動いている。大宮達は食事が終わっても談笑を続けていた。高校生の六人と竹山は早々に食事を済ませ、浴室を利用するなど自由に動いている。

 煌月達も食事を済ませて――木村とルナアリスはデザートも食べた――片づけた後、自室へと向かう。時間は午後八時を回っていた。

 交流会の大人組はまだ続けるようだ。空になったお酒の中に缶コーヒーの空き缶が混ざっていたが禁酒中の鷲尾が飲んでいたのだろう。

 五番の部屋にはまだ行っていなかったので、煌月の左手にはトランクケースがある。それはルナアリスも同じで、背中には女の子らしいピンク色のリュックだ。

 暗がりの中、階段を昇って上層部へ。階段は横幅が大人三人分程。手摺には等間隔でランプが並び、踏み外さない程度には足元を照らしている。

 階段の上層部側の正面。奥へと続く廊下に足を踏み入れる。そこも当然のように光量を抑えたランプが等間隔で並んでいた。

 廊下は直線。部屋は向かって右側が手前から一番・二番と続き、左側が九番・十番と奥へ続いている。

「壁に何か描かれていますね」

「曲線と直線と円が組み合わさった図形みたいだけど、規則性がないね。見た感じだと数学的な法則を組み込んではいないみたい。適当に描いたのかもね」

 ルナアリスは一目で図形を分析した。

 縦線と横線で十字になっていたり、半円が無秩序に重なっていたりと、纏まりが無い。

「この廊下の壁全体に描いてあるみたいなんだ。他のところは真っ白な壁なんだよね。さっき男子高校生達が分析してたみたいだけど、単なるデザインじゃないかっていうのが結論だったみたい」

「確かに何か意味があるような感じはしないですね」

 煌月は壁に近づいて図形を見た。

 子供が鉛筆で適当に線を引いたと言われても納得が出来る。それくらい規則性や意味が見い出せない。壁に描いた絵ではなく、線の部分を壁に溝を作って描いたようだ。

 ――目に映るもの全てが意味のある物だとは限らないだろう。

「それよりももっと気になるものが部屋のドアに描かれているよ」

 木村は一番の部屋のドアを指差した。煌月はそのドアの前に立った。外見は木製に見えるデザインの洋風のドアだ。

 そのドアにはドラゴンが一匹描かれていた。絵画が張り付いているのではなく、ドアに凹凸を付けるような形で直接描いているデザインだ。ドラゴンを囲むように四角の線があり額縁に収まっているように見える。その下に真鍮のプレートがありこのドラゴンの名前が刻印されている。

「『リンドヴルム』か」

「ゲームとかに出てくるよね~こういうモンスター」

 細長い胴体ではなく、大きくがっしりとしたボディに一対の翼。西洋の黒いドラゴンだ。

「客室のドアに描かれているの、全部別みたいよ。隣を見てみてよ」

 隣の部屋のドアの前に跳ねるように木村は移動した。

「ほら、『クラーケン』が描いてある」

 人差し指の先に巨大なタコが帆船を潰している絵。海の部分が青く、クラーケン自体は白い。

 ドアの絵を順番に見ていくと、隣の三番は白い一角獣『ユニコーン』。切り株に座るちょっと薄着の乙女の膝に頭を乗せている絵だ。

 四番は頭が三つで黒い体毛に覆われている魔犬『ケルベロス』が描かれていた。ドアの前に立つ者に三対の鋭い眼光を飛ばしている。

「部屋番号との関連性はなさそうですね。次は私の部屋ですが。

 ポケットから鍵を取り出す。五番の扉の絵。煌月は一瞬固まった。

 心の奥底から何かが這い出してくるのを強く感じる。それは様々な姿形で煌月の人生に幾度となく現れてきたモノの一つだと捉えた。

 また来たか。

 無意識に五番の鍵を絵に翳していた。

 そのドアには、満月を背にして、胸と局部が隠れているが全体的に肌の露出が多い裸足の女性が描かれている。その下にこの絵に描かれている女性の名前があった。

「ギリシャ神話の月の女神『セレーネ』。悪い前触れじゃなきゃいいが」

 煌月は右手の鍵を指先で回し始めた。番号が刻印されたタグが、遠心力に従った軌道で薄暗い空気中を舞う。

「縁起が悪いの? この女神様」

 ルナアリスが問う。煌月は僅かに眉を動かしてから答えた。

「別にそういう類のではなかったと思う。だけど良いも悪いも解釈次第。人は何かにつけて物事に意味を見つけたがるからね」

 指先の鍵は正確に一定の速度と軌道で回り続けている。

「私にとっては天体の『月』なんだ。何もかもが全て、という訳ではないんだけども。良い事でも悪い事でも、何か大きな出来事に遭遇する時は『月』が関わってくる。私はそれを運命とか天命とかそんな言葉を当て嵌めているんだ」

 煌月の決して長くはない今までの人生の中で育まれた感性であった。表情にほんの少しだけ笑い感情が浮かんでいる。

「へぇ~やっぱり名探偵って不思議な星の下に生まれてくるんだ。いや煌月さんの場合は不思議な月の下だね」

「そんなところですかね」

 煌月は更に表情を柔らかくした。

「そうだ、このドアの絵なんだけどさ。この部屋の向かいの部屋の絵が良く分からないんだよね」

 木村が反転して向かいのドアへと歩いていった。十三番の部屋だ。煌月はそれを追うように振り返って、器用に鍵を指先で回し続けながら向かい側のドアへと近づく。

「この絵には『ノルニル』と書かれているんだけど、分かる?」

 木村の質問にルナアリスは首を傾げた。

「三人の女性が描かれているけど、有名人の姉妹なのかなぁ?」

 近くのランプの光が絵を弱々しく照らしている。長いソファーに並んで座る三人の女性が描かれている。

 向かって左は茶髪のロングヘアーで大人びた印象の若い女性だ。すらりとした生足を組んで、右腕を背もたれに乗せ体を中心に向けた体勢で座っている。大きな胸は胸元が開いたトップスのおかげで目立っていて、スカートは短めだ。烏の羽のように黒い上下で身を包んでいる。

 真ん中の女性は穏やかな表情で正面を向いている。肩までの長さの深い青髪。ヒールを履いていて、両脚は白いストッキングに包まれている。手の甲まで届く長袖のブラウスと、膝辺りまでの長さのスカートを身に着けている。上下共に色は深紅、お腹の辺りで組んだ手は白い手袋を履いている。

 右の女性は耳にかかる程度の長さの紫髪。顔立ちは三人の中で一番幼い。体は中心に向けていて体育座りの体勢だ。膝を抱えるようにして卵型の頭部は少し傾けている。緑のスパッツにグレーのロングブーツを履いている。

 三人ともヨーロッパ系の顔立ちで、美女と言ってもいいだろう。

「ああこれは北欧神話に出てくる運命の女神三姉妹だよ。左が過去を司る長女の『ウルズ』、右が一番若そうだから未来を司る三女の『スクルド』、真ん中が現在を司る次女の『ヴェルザンディ』だろう」

「あ~あ~何かの漫画かゲームで見たことあるなぁ。こんなデザインじゃなかったけど」

 木村は納得がいったように首を何度も縦に振っている。

「流石、物知りだねっ」とルナアリスは笑う。

 煌月の指先で舞っていた五番の鍵は、滑らかに減速した後掌中に収まった。

「謎解きの後半戦は明日だ、今日はもう休もう」

「そうだね~電波入らないしテレビすら無いんだよね、ここ。後半戦が始まるまで暇しそうだよ。じゃあウチは部屋に戻るわ」

 木村は奥へと体を向けた。

「ねえねえ、美緒さんのドアには何が描いてあったの?」

「大蛇だよ。『ヨルムンガンド』っていうらしい。ウチ、蛇が嫌いなんだよね」

「でも日本とか中国とかは、蛇は縁起物でお金持ちになるって聞いたよ」

「名前からしてヨーロッパ産でしょ? 金運には関係ないんじゃねぇ?」

 ヨルムンガンドはノルニルと同じく北欧神話に出てくる大蛇である。

「そ……そうなんだ……。あ~私のは何かな?」

 ルナアリスは、鷲の上半身と獅子の下半身を持つ『グリフィン』が描かれた六番の部屋を通り過ぎて、七番の部屋の前に跳ねるように移動した。

「うわぁ綺麗な鳥さんだぁ!」

 そのドアには五色絢爛な羽を広げた鳥獣が描かれていた。

「ねぇこれ、なんて読むの?」

 小さな人差し指が絵の下を指す。『鳳凰』と書かれている。

「『鳳凰ほうおう』と読むんです。姿を現すと吉兆と言われている中国の霊獣ですよ」

「わーい、ラッキーセブンにピッタリだねっ!」

 屈託ない笑顔で飛び跳ねるルナアリスに木村は目尻を下げた。

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