ここで三人は解散してそれぞれの部屋へ向かった。煌月の鍵は鍵穴にピタリと嵌り、小気味の良い音と共に回った。鍵穴はドアノブではなく、その上方に付いていた。円筒状で一般的な住宅のドアのよりも二回り大きい銀色だ。

 ん? 随分埃が溜まっているな。碌に掃除をしていないのか?

 鍵を抜いてドアノブに触れた時に気付いた。レバーハンドルタイプのドアノブに埃が溜まっていてザラザラとした感触が伝わった。

 まぁそこまで神経質になることもないか。――何だ? 気のせいか……妙な手応えのような気がしたが……。

 レバーハンドルを倒した直後、煌月は手を止めた。

 ――気にし過ぎか。

 ドアは抵抗なくスムーズに開いた。その向こうの部屋の中は明るいとはいえなかった。ホールと同様に、間接照明のランプが弱々しく室内を照らしていたからだ。

 間取りはアルファベットのTの形だ。入ってすぐ右手側にトイレがあったが、シャワーやユニットバスは無い。右奥の方にクローゼットとテーブルとソファ。左奥の方にサイドテーブル付きのセミダブルベッドがある。アンティークな置時計が一つサイドテーブルに置かれている。入り口から見て真正面に大きい窓があるが、カーテンが閉じていた。天井の高さは経験上二メートルと二十センチ程だと分かる。

「照明のスイッチはこれか」

 スイッチを操作したところ室内は僅かな光を残して更に暗くなった。蛍光灯は無いようだ。再びスイッチをオンにするが元の暗さに戻っただけだ。

 これはこれで落ち着くが少々暗いか。

 トランクをテーブルに置いてから、閉まっていたカーテンに手をかけて開ける。当然だが窓があった。長方形に格子が入った洋風の両開き窓だ。今宵は晴れているらしく、星と月の光が地上に降り注いでいた。

 換気をしようかと窓のレバーを動かしたがあることに気が付く。

「右側は開かないのか?」

 この窓は一見すると両開きに見えるが、室内から見て右側が嵌め殺しになっているようだ。開くのは左側だけだが、僅か五、六センチ程しか開かない。手前側に引いてみたが構造上外へ開くタイプのようだ。

 外に目をやると思わず手が止まった。

「……満月だ。そうか今日は満月だったか」

 格子の窓の向こう、人が触れることが出来ない天の世界に、黄金色に輝く満月が名も無き星達と共に浮かんでいた。僅かな隙間から夜風が吹き込んで頬を撫でるのを気にすることもなく、煌月は魅入られたかのように眺めている。

 自分が産声を上げた時、雲一つ無い夜空に満月が浮かんでいたという。お産をした部屋の窓から綺麗に見えた、とも聞いた。確かに月の周期表を見れば、誕生日は満月の日だった事に間違い無い。

 満月が煌めいているように見えた。故に、『煌月』とその場で名前を与えられた。その話を聞かされてから、満月を見る度に、反射的あるいは本能的に思い出してしまうようになった。

 ――人は何かにつけて物事に意味を見つけたがる。何か大きな出来事が起こる日は大抵満月の日だった。例えそれが数学的な確率の偏りだったとしても、単なる心理的なモノだったとしてもだ。

 窓を開けたままベッドに巨躯を投げ出す。間接照明に照らされた天井には砂漠のように何もない。少なからず疲労は溜まっているけれど、煌月の頭は冴え渡っていた。

 満月の夜に加えて月の女神。未来に起きる何かの暗示なのは間違いない、のか。

 ここまでの経緯を思い出しながら、暗示の正体を探りに行く。何かのサインみたいなものが出てるのではないか、と。

 思い当たる節はある。この城はおかしい、明らかに不自然な所がある。

 再度検討してみるが導き出した答えは同じだ。

 カメラの一つも設置されていないなんて、やっぱりおかしい。参加者対ゲームマスターの勝負なら、ゲームマスターはこちらの進捗状況を絶対に気にする筈だ。だからリアルタイムで画像が見れるカメラを設置する。けれど城門からここに至るまで、カメラの類は一つも無かった。視線が通るように障害物を避けて設置するから、一つくらいは絶対に自分が見つけている筈。

 最初のエントランスホールから気になり始めて、第一フェーズの謎解き中も探し回っていた。カメラ探しは盗撮が絡んだ事件で経験していて、その時に専門家からコツを教わっていた。

 カメラは城内に設置されていない。そう結論付ける。

 そしてもう一つ、居住エリア内に窓が一つも無かったのも気にかかる。空気が流れている感触があったし、換気扇らしきものが複数あったから換気は十分のようだが、採光用の窓すら無い。閉鎖感を強く感じる。

 暫くベッドに横になって考えた後、煌月は浴室に行こうと立ち上がった。ハンドタオルにバスタオルにシャンプー等の入浴必需品は部屋に揃っていた。バスローブもある。それらを運ぶ為だろうか、トートバッグも用意されていた。パンダの絵柄だ。そのトートバッグに持ち込んだ着替えを加えて部屋を出る。

 施錠する音がハッキリと聞こえるほどに廊下は静寂に包まれていた。

 他の部屋のドアには何が描いてあるんだろう。一通り見てくるか。

 単純に好奇心で他の部屋の前まで歩いていく。向かいのノルニルをもう一度見てからその隣の部屋のドアへ。

 左の部屋は太陽神の『ラー』か。

 十二番の部屋のドアには、ハヤブサの頭の人間で杖を持っている絵があった。燃えるような赤色の太陽を背に真っ直ぐに立っている。出典はエジプト神話だ。

 十四番の部屋のドアまでゆっくりと歩く。そこには老人が一人、鋭い目で廊下を見ていた。更に七つの星が描かれている。

 不意に目の前のドアが開いた。煌月は瞬間的に後退した。

「うわっ!? びっくりしたっ」

 顔を出したのは甲斐涼介だ。

「五鶴神さん? どうかしたんですか?」

「客室のドアに色んな絵が描かれているようですので見て回っていました。驚かせてしまってすいません」

「なんだそうだったのか」

 甲斐は安心したように表情を緩ませた。

「そういえばこの部屋のご老人、どんな方かご存じですか?」

「ああ『北斗星君ほくとせいくん』ね。中国の道教の神様だよ」

 甲斐は廊下に出てドアを閉めた後、絵を指差した。北斗星君という名も書かれていた。

「北斗七星がモデルの死を司る神さ」

「知らなかったです。クイズ大会で優勝する方は博識ですね」

「まぁね。俺は自称エースだしさ」

 甲斐は胸を張って煌月を見上げている。

「じゃあ俺は失礼するよ。夜食を食べたくなったからさ」

「お時間を取らせてすいません。ありがとうございました」

 年下の高校生相手でも敬語で話す煌月に、甲斐は会釈を返してからこの場を離れた。

 他の部屋も見てみるか、と廊下の奥へと歩いていく。

 十五番の部屋は『ミカエル』という名の天使だった。白い羽に白銀の鎧を纏う。剣を持っていれば騎士か戦士にも見えるだろう。

 十六番は美緒が言った通りの大蛇が描かれていた。巨大だという事を背景の山の大きさで表現しているようだ。

 そこから振り返って八番には中国の霊獣『麒麟きりん』が描かれていた。金色の体に立派な角と細長い二本髭、四足歩行で馬に角と髭を生やしたような外見である。隣の鳳凰と同様に縁起の良い伝説の生物だ。

 何の意味があるんだろうな。ドアに描かれた絵達は。

 そんなことを思いながら廊下の最奥で踵を返す。廊下に敷かれた絨毯が足音を吸収しているのか、聞こえるのは自分の息遣いくらいだ。

 十一番のドアには厳つい顔で上半身が裸の男が描かれていた。この男が普通ではないことは明らかだ。顔が三つある上に腕は六本ある。名は『阿修羅あしゅら』。一見すると不気味な印象だが、仏教における守護者であり戦いに関わる存在だという。

 十番には『セイレーン』が描かれている。海上に突き出た岩に腰掛けて、妖艶な笑みを浮かべている全裸の女性だ。と言っても局部は長い青髪に隠れている。歌で船乗りを惑わせて船を難破させるという、ギリシャ神話の怪物である。

 九番には顔が象で体は人間の『ガネーシャ』が描かれている。災いを退けて財運を上げるという、ヒンドゥー教の有り難い神様だ。胡坐をかいて座るガネーシャは、どこか図々しい雰囲気を醸し出している。

 煌月は全て見終わった所で左手を口元に当てた。

 共通点は神話とかに出てくる架空の存在であることだが、それ以外に何ら意味が見い出せない。出典は被っているのもあるがどうもバラバラだ。全体としてはやはり纏まりが無い。この城を作った人間の趣味と言われればそうなのかもしれないが、これも謎解きの一部なのか。

 頭を回転させるが、明確で納得のいく回答がはじき出せない。

 まぁいい。さっさと浴室へ行こう。

 早々に考えるのをやめた。考えることに意味を見出せなくなった。階段を下りて浴室へと歩いていく。ホール内はもう誰もいなかった。大人の交流会はいつの間にかお開きになっていたようだ。

 甲斐が厨房から出ていくのが見えた。何かを持っているのが分かる。先程の話を信じれば夜食だろうが、何を持ち出したのかは見えない。

 浴室は個室で三つ、中はホテルにあるようなユニットバスに脱衣室のスペースがある構造だ。広い浴槽の大浴場ですらなく西洋城のイメージには全く合っていない。今は誰も使っていないが、先に誰かが利用した形跡は残っていた。

 その内の一つに入り、シャワーを浴びた後さっさと浴室から出た。ユニットバスが小さすぎて、湯を張る気にもならなかったからだ。尤も煌月の体格の大きさからして、よくある話である。

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