第三章 居住エリア

 煌月はある種の職業病――探偵を職業にしている気はない――なのかさっきのゲーム中に観察して気になった事を思い返していた。

 考え事をしている時の癖。北野は左手がピアノを弾いているかのように動く。宝条は自分の髪を摘まむように触れる。木村はブツブツ独り言を漏らす。竹山は右目だけ閉じる。 氷川は頭を左右にゆっくりと揺らす。ルナアリスは指先で唇を何度も小さく叩く。

 他に気がついたこともある。羽田のアルファベットの書き順が、いくつか逆になっている。大宮が煙草を吸う時、利き腕とは逆の左手で煙草を取り出し指先で二回転させてから咥えて、左手で火をつける。

 癖は人それぞれ。目に留まったからなんだという話だし口に出す訳でもないが、出会った人をつい観察してしまう事が煌月の癖だ。

 廊下は三十メートル程。抜けたその先にはエントランスホールよりも広い立方体の空間が参加者達を待っていた。二階層の吹き抜けの部屋で、部屋をぐるりと一周する形でバルコニーのように壁から床が張り出している。その床が上層と下層を分けている形で、参加者達が立っているのは上層だ。

 入ってきた廊下の正反対の位置に扉が一つ。向かって左手側の中央に奥への廊下があり、その前に下層への下り階段がある。三本の支柱に支えられて真下に潜れるだけの空間がある構造の、横幅が広い真っ直ぐな階段だ。

 ホール全体を見た時の一番の特徴は『暗さ』だろう。全体的に暗い。薄暗いと表現するには幾らか明るい程度だ。天井から下がるシャンデリアも、壁際に規則的に並べられたアンティークランプの明かりも、弱々しい訳ではないが全てを合わせても全体を明るくしているとはいえない。

 歩き回るのに支障はないし、離れすぎなければお互いの顔を識別できる暗さではある。

 妖しいが恐怖を感じさせない、幻想的とはいえないが現実とは切り離されている、そんな不可思議な気配が隅々まで満ちている。どこかで空調機が作動しているのか、ホール内の室温は寒くも暑くもない程度に保たれている。

 煌月は上層部分と天井に視線を走らせた。次いで階下を探るように、木製の手摺を両手で掴んで見下ろした。階下の中央に、長い長方形のテーブルが二つ並んでいる。テーブルの上に、燭台を模した灯りが点灯状態で置かれているのが見えた。

 ここにも無いか。凝った隠し方をしていても、設置してあれば構造上簡単に見つかる筈なんだ。それなのに一つも見つからない。

 設置していないのか。カメラの類は。

「煌月さん、下に行ってみましょ。足元気を付けてね」

「ああ、そうだね」

 妙に懐いているルナアリスの細く小さな手に引かれて、煌月は下層部へ移動する一行についていく。上層部も下層部も床は固めの絨毯張り、上層部は群青色の単色で、下層部は赤と緑と黒の三色で左右対称の幾何学模様になっている。

 下層部の壁際にアンティークな柱時計。中央のテーブルには八脚づつ合計十六脚の肘掛椅子がある。全て背もたれが長めの高級そうな椅子だ。

 テーブルの片方に『居住エリア』と記されたカードスタンドが燭台を模したライトに照らされて置かれていた。

 下層部には、今通ってきた廊下の真下にトイレと浴室がある。その正反対の位置には厨房と書かれた部屋。トイレと浴室には扉があるが厨房には無い。いずれも入り口の両側にランプが対称に付けられている。名前が書かれたプラスチックプレートを照らす位置で、その先に何があるのかを分かりやすくしている。

 因みにランプは全て昔の油を使ったものではなく、電気で光るアンティーク風の物だ。

 上層部にはホールに入ってきた廊下の反対側に扉がある。『第二フェーズ』と書かれたプラスチックプレートが付いていて、その上のランプが表面を照らしていた。この扉はロックされているようで開かなかった。北野以下男子生徒組が確認して全員に周知した。

 下層に下りる階段の正面に廊下があり、奥に続いている。

 ここには十六名の参加者達以外誰もいない。運営スタッフの一人ぐらいはいてもよさそうだが、参加者が入ってくるまで無人だった。訝しむ参加者が何人もいたが、主催者どころが外部に連絡が取れない状況なのでどうしようもない。

 集団行動を強制されている訳ではないので、各々が申し合わせることもなく自由時間の流れになった。

「メイドさんの一人も居ないってか。寂しい城だねぇ。……ん? おいこの箱を見てみろよ。『客室の鍵』って書いてあるぜ」

 大宮が指差した箱はカードスタンドのすぐ近くに置かれている。テーブルの真ん中寄りだ。艶のあるそれなりの値段が付いていたであろう縦に長めの桐箱。蓋にプラスチックプレートがあり、大宮が言うように客室の鍵と記されている。テーブルに張り付いているのではなくただ置かれているだけだ。

 ホールに響いた大宮の声に、煌月・木村・竹山・羽田・瀬尾田が集まってきた。

 大宮は桐箱を右手で手前に引き寄せてから、両手で蓋を持ち上げる。鍵は無く、するりと抵抗なく本体から離れた。

 大宮が箱の中身を覗き込む。中の鍵は雑に山積みで入っているようだ。

「部屋割りはどうなっているんですかね? 表みたいなのはありますか?」

 煌月がテーブルの反対側、大宮の正面から箱を見ながら聞いた。

「入ってないな。箱には鍵しか入っていないぞ。テーブルの上には無いか?」

「いやぁ部屋割り表みたいなのは無さそうやな。どないしましょ?」

 羽田は近くにいる参加者を順に見遣る。

「それなら適当で良くないか? どうせ個室だろう。そろそろ休みたかったところだから先にいいかな?」

 大宮が瀬尾田に箱を寄せた。瀬尾田は遠慮なく箱に手を入れる。箱から出た手には一本の鍵が握られていた。

「ん? 珍しい形の鍵だな」

 瀬尾田の手にある鍵はマンション等の一般の住宅に使われるタイプではなかった。円筒型でブレード部分(鍵穴に差し込む部分)の先端が非常に複雑な形状になっている。握りの部分には正方形に朝顔の絵柄が描かれており、ローマ数字の番号が印字されている金属タグが、細いシルバーチェーンでくっついている。大きさ自体も一般的な鍵よりもずっと大きい。

「タグの番号が部屋の番号ということか」

「これは『ウォード錠』の鍵に似ていますね」

 竹山が瀬尾田が持っている鍵を覗き込むように見た。

「ウォード錠?」

「古い時代に起源を持つ鍵の一種です。現代でよく使われる鍵よりも大きめで無骨な形をしているのが特徴ですね。西洋の古い城にも使われていたことがあるタイプの鍵で、中にはかなり凝ったデザインのもあったといいます。中世風のロールプレイングゲームとか、異世界ものの漫画やアニメとかでこういう鍵を見たことがありませんか?」

「自分はテレビゲームはやらないんだ。漫画とかアニメなんかも殆ど見ない。有名な作品とかテレビでよく話題になる作品なら、看護師や患者が話しているのを聞くから名前くらいは知ってる程度だよ」

「俺もアニメや漫画は見ないなぁ」

 大宮も箱に手を入れて一本取り出した。当然それもウォード錠でそれには向日葵の花が色付きで描かれている。続けて竹山も一本取り出した。

「ウチは分かるよ~。宝物庫の鍵とかのヤツね。ウチも貰うよ~」

 木村も横からさっと箱に手を入れて一本取り出した。

「赤いバラが描いてある。結構好きな花だ」

 木村の表情が緩んだ。

「ワイはよく見る方やでぇ」

 木村に次いで羽田も箱に手を入れる。金属が擦れる音を出しながら一本取り出した。

「ワイのにはチューリップが描かれてるなぁ」

 羽田が手に取った鍵をライトに翳した。くじ引きのように鍵を取り出す者達に、曽根森が加わった。

「客室は上の廊下の先にあるみたいですよ」

 彼女が指差した先は階段の上層側正面にある廊下だ。

「そうですか、どうもありがとう。では自分はお先に失礼するよ」

 瀬尾田は踵を返して階段へと歩いて行った。

「ワイも一休みするわ」

 羽田も瀬尾田を追うように階段へと歩いていった。

「腹は減ったが、先に寝床の具合を見てくるかな」

 大宮は厨房の方をチラ見した後に、鍵を手で弄びながら階段へと歩いて行く。木村も続いた。

「連番で三本貰っていくわね。別に部屋割りが決まっている訳じゃないからいいでしょ?」 返事も聞かずに曽根森は箱に手を入れた。中の鍵をまさぐるようにして纏めて取り出した後、一本一本タグの番号を確認し始める。

 ガチャガチャと金属音を鳴らしながら、彼女は鍵を一本づつ箱に戻していった。

「綺麗なペンダントですね」

「ああ、これ? 一年生の時に学校から頂いた記念品なのよ。その年の特別優秀生徒賞に選ばれた時の物」

 チェーンの先に小さなメダルが付いているペンダントだ。意匠は左を向いた顔のない女性と星が二つ。純金ではなさそうだが、胸元で金色に輝いている。

「とても優秀ですね」

「そんなことないわ、偶々よ。運よくピアノのコンクールで入賞できたから選ばれたってだけ。実力じゃなかったかもしれない。でもこういう記念品を貰ったのは初めてで嬉しかったから、外出する時はよく身に着けるの」

 煌月へと視線を上げた曽根森は、自慢げな表情をしている。口では謙遜しているが内心は誇りに思っているのが見て取れる。

「本当に優秀なのは凛菜ちゃんよ。定期テストは中等部一年から学年上位組の常連だし」

「村上さんはどういう方か聞いても?」

「うん。茜ちゃんは運動神経抜群のスポーツ万能。体育祭で三回も表彰された。社交的でリーダーシップがあって、後輩達にも慕われている人気者よ」

「スポーツの村上さん、芸術の曽根森さん、学問の宝条さんですね」

「確かにそうね」と曽根森は表情を和らげた。

 気が強そうな印象だったけど、実際の性格は違うのかもしれないな。

 雑談をしている間に曽根森の手に三本の鍵が残った。

「それじゃ、私はもう行くね」

 連番の三本を握りしめ、小さめのショルダーバックを揺らしながら彼女は仲間の元へと戻って行った。

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