置行堀*

釣り上げたイワナから針を外していたとこだった。

何か聞こえた。

それはうめき声のような話声のような。

最初はなんとも、山特有の空耳だと思った。

次第にちゃんとした囁きに変化した。

穴場って聞いたけどハズレか。

早々の退散を視野に入れた。


『おいてけ』


そして、それは水面から姿を現した。

すぐ傍に、這い寄られる。

小柄、でも、人じゃないのが肌の色でわかる。

薄緑色の肌、水に濡れて水々しい。


噂では聞いていた。

釣り仲間も遭遇したことあるって、酒の席で言っていた。

まさか出会うとは。


これが妖怪、置行堀おいてけほり、か。


でも聞いていた話と違う。

いや、おいてけ、と言われるのはあっている。

違うのはその姿だ。

のっぺらぼうで気持ち悪い幽霊みたいだったって聞いていた。

でも、なんか違う。


…なんか狸っぽい尻尾あるぞ?

河童っぽいみずかみ手についてるぞ?

あと、なんか、こう、全体的に、


「…かわいい」


そうかわいい、うん、かわいい。


『え!?可愛い?おら、可愛い?』


置行堀が驚きの声をあげる。

そんなトコもかわいいぞぅ。


「うん、かわいい、おいてけほりってかわいいのか…」


『っ』


手放しで本心から褒めてかわいいと言ってしまうと、恥じらうように顔が真っ赤になって俯いてしまう。

体つきから察するに、青年なのだが、これは多分俺は一目惚れしてるのでかわいく見えてるんだろう。

フィルター補正だ、みずかきも、尻尾も、うす緑の肌もかわいく見える感じる。

俺のそんな邪な視線に置行堀が毅然と言い放つ。


『と、兎に角、おいてけ!』


「何が欲しい?」


おいてけと、言われてたら何でも置いてく所存になってる。

だから選ばせたら、置行堀は釣ったばっかのイワナを指差した。


『…それ』


「はいはい」


迷うことなく差し出すと、置行堀がちょっと戸惑いながらもイワナを鷲頭噛む。

そうして置行堀は俺から奪ったイワナを食べようとして、背を向けた。

食べてるとこ見られたら恥ずかしいってか?

かわいいかよ!


ということがありまして、俺はここに、足繁く通うことになった。







『おいてけ』


「はいはい」


『…』


釣りをしていると置行堀は必ず現れ、釣果を望んだ。

勿論、俺は惜しげもなくあげる。


素直に釣果を差し出すからか、おめぇかわってんなと言われたので、置行堀がかわいいから特別と本音を伝えたら、真っ赤になってしまった。

どうやら置行堀は、おいてけと言ったら逃げられるという経験しかしたことがないようで、手渡しはもとい二匹、三匹貰うなんてこともないようだ。

だから、


『いいのか?いいのか?』


むしろ遠慮がちになる。

かわいい。

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