夜な夜な

三鹿ショート

夜な夜な

 その日は珍しく、夜に目が覚めた。

 部屋から外を眺めるが、住宅街は暗闇に包まれている。

 再び布団に潜り、目を閉じるが、眠気が全く無かった。

 疲労することで眠ることが出来るだろうと考え、私は散歩をすることにした。


***


 己の呼吸音が聞こえてしまうのではないかと思うほどに、住宅街は静まり返っていた。

 少し先の公園で休んでから帰宅しようと考えながら歩いていたところで、先客の存在に気が付いた。

 彼女は笑みを浮かべながら、公園の遊具を使っていた。

 立ちながら秋千をこぎ、滑り台を使う際には身体を小さくさせていた。

 砂場では大きな城を作り上げ、鉄棒では何度も回転していた。

 公園の入り口に立った私が見つめていることに気が付くと、彼女は途端に冷静な表情へと変化させ、長椅子に座って水分補給を開始した。

 警戒されていることは分かっているために、私は両手を挙げながら彼女に問いを発する。

「愉しかったですか」

 私の言葉に対して、彼女は小さく頷いた。

 良かったですねと告げると、私はその場を後にした。

 これ以上この場所に留まっていたとしても、彼女の時間を邪魔するだけだと考えたからだ。

 自宅に戻ったものの、眠ることは出来なかったために、私は酒の力に頼ることにした。


***


 それから私は、毎晩のように公園へと足を運んだ。

 彼女もまた、毎日のように公園を訪れているらしいのだが、同じような遊びばかりで飽きることはないのだろうかという疑問を抱いた。

 顔を出す度に、一言や二言を発していたことが影響したのか、やがて彼女は私を手招きするようになった。

 隣に座ることを許可されたために、私は抱いていた疑問を口にした。

 彼女は手にしていた泥団子を砂場の城に向かって投げつけながら、

「誰かに命令されたわけではないにも関わらず、昼間は大人を演じ続けなければなりません。それが、私にとっては息苦しいのです。ゆえに、この時間、この場所において、私は子どものように愉しむということにしているのです。子どもは余計なことを考えず、目の前の遊びに夢中になるだけなのです」

 泥団子が命中し、城は崩れた。

 彼女は私に目を向けると、

「あなたは、何故この場所を訪れるのですか。私が目的ならば、今すぐにも悲鳴をあげますが」

 私は夜空に浮かぶ月を仰ぎながら、

「時間を持て余しているだけです」

「何か、事情でも」

「聞いたとしても、面白い話ではありません」

 帰宅するべく、立ち上がった私の手を、彼女は掴んだ。

 彼女は私を真っ直ぐに見つめながら、

「口に出すことで、気が楽になることもあるでしょう」

 私はその場で数秒ほど立ち尽くしたが、やがて、再び長椅子に座った。

 そのような行為に及んだということは、彼女に話を聞いてほしいと思っているのかもしれない。


***


 その上司は、嫌われ者を絵に描いたような人間だった。

 己の仕事を私に押しつけながら定時に退社し、私の企画が通るとそれは自身が原案を作ったと誇らしげに語り、上司の失敗は部下が尻拭いをするのだと当然のように告げていた。

 その他にも存在する様々な嫌がらせが原因で、私は会社から逃げ、酒に頼るようになってしまったのである。

 上司に立ち向かうことが出来ない私の心の弱さが悪いのだと告げたところで、彼女は首を横に振った。

「聖人君子だとしても、その上司には辟易するに違いないでしょう。むしろ、その場から逃げ出さなければ、あなたはさらに悪い状態へと至っていた可能性があります」

 彼女は私の右手を己の両手で包み込みながら、

「今は、気が済むまで休む時間なのです。無駄な時間だというわけでありません」

 名前も知らない人間に対して其処までの言葉を吐くことができるなど、彼女は一体、どのような人生を送ってきたのだろうか。

 自然と流れてきた涙を拭っていると、彼女は私の頭部を撫でた。

 恥を感じたが、その手を振り払おうとは考えなかった。


***


 それから私は、毎晩のように彼女と会っては、様々な相談をするようになった。

 彼女は嫌悪感を示すことなく、真剣な様子で私の話を聞いては、助言を与えてくれた。

 おそらく、彼女と出会っていなければ、私は酒瓶の中でひっそりと息絶えていたかもしれない。


***


 やがて、私は新たな仕事を開始した。

 他者と関わることがほとんど無い職場だが、人間関係に悩まされるよりは良い。

 彼女にそのことを報告すると、自分のことのように喜びを示してくれた。

 世話になったために謝礼をしたいと告げると、彼女は遠慮したが、私が食い下がったために、やがて彼女は折れた。

 其処で初めて我々は自己紹介をしたのだが、私は耳を疑った。

 だが、何度聞き返したところで、彼女が私を苦しめた上司の娘だということに、変わりはなかった。

 途端に、彼女に対する感謝などといった気持ちが消失した。

 表情が消えた私を見て、何かを察したのだろう、彼女はその場から去ろうとしたが、私が逃すことは無かった。


***


 あの上司が、涙を流しながら私に懇願している。

 彼女との会話もまた私の救いとなっていたが、眼前の上司の表情こそ、私にとって一番の良薬といえよう。

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夜な夜な 三鹿ショート @mijikashort

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