第4話 陰キャやコミュ障でも身内とは普通に話す




 ざあざあと大量のお湯が激しく降り注ぐ。


 髪を濡らして指を通せばきしきしと引っ掛かり、足元に目をやるとだいぶ汚れた液体が絶え間なく流れていくのが見える。1度目のシャンプーは泡立つことすらなく、二度目でもちょっと物足りない程度には汚れていた。


 浴室の外からは市希が誰か――おそらく自分か彼女の家族――と通話している楽し気な笑い声が聞こえてくる。

 なんだ、ちゃんと笑えるじゃないか。少しだけ安心した。






 ――市希の衝撃的発言の後。


 INNホテルに(チェック)INした。

 数年ぶりに出会ってこの急展開は世界がジャンルと対象年齢を間違えた官能小説かな、と思わないでもないが……文明的生活が恋しいのも我慢できない事実。


 年下の幼馴染に全額支払ってもらうなんて我ながらなんと良いご身分なんだろうと涙が出てくる。情けないったらありゃしない。


 彼女に半ば無理矢理連れられて主要な駅の近くによくあるタイプのビジネスホテルで割と良いお値段の部屋を選び、なにはともあれまずは身を清めて来いと服を剥ぎ取られたのがさっきまでの出来事。下着までは本気で襲い掛かってこなかったので死守した。


 市希は「え、だって散々一緒にお風呂入ったりしたじゃん?」と子供時代の感覚が今でも通用すると思っているようだが、生憎と一人暮らしに慣れ切った成人の一般的な羞恥心はただの他人と裸の付き合いなんて許さない。

 温泉とかならまだしも……ホテルでなんとなく流れに流されてなんて不健全だろう。大人になったら――いや面倒を見てもらわないといけない子供じゃなくなったら家族とだって入りはしない。それと一緒。


 めーちゃんとはたまに入るよ? という反論は黙殺した。なにやってんだあいつ。




 使い放題となれば多少手間に思えても使えるものは使っていきたい貧乏性によりリンスでの髪質ケアも怠らない。真っ直ぐに下ろすと前髪が口元まで届くのが邪魔で短くしたいのは山々なのだがカットするお金もないのが収入0のダメなところ。自分で切るのは流石に……おかっぱ頭で済めば上等な賭けに出るつもりはない。


 その後、ボディソープを大量に使用して念入りに身体の汚れを落としてから湯船に浸かる。もう何日ぶりになるかわからない安息の感覚に思わず声が漏れた。

 足を伸ばしても余裕のある広いユニットバス。全身の筋肉が弛緩し、長い間肩肘張って窮屈な生活をしていたことに気付かされる。


「もーいーかい?」

「……まーだだよ」


 ドアの外から悪戯心に満ち溢れた呼び掛けがあったこと以外は良いお風呂だった。

 もし何も言わなかったら乱入されていたかもしれないのが恐ろしいところ。別に見たり見られたりしたからといって死ぬわけではないが……。






「あ、れいちゃん上がったみたい。見る? 見たい? れいちゃんの生バスローブ姿!」

『はぁ!? べ、べっつにぃ~? あいつの逆上のぼせ上った面なんか見たくないしぃ~? でもいーちゃんがどーしても見せたいって言うんなら――』

「じゃあいいや! それでね聞いてよれいちゃんったらね、さっきね、どうせ洗濯物出すんだから服と下着一緒に出した方が良いって言ってるのにズボンと一緒に脱がそうとしたダサいパンツを守ろうと必死になっててねー!」

『見せてよ! 元気にしてるのはわかったけどその姿をさぁ!!』


 姦しい。

 女二人だけなのにもう一人分加算されているのかと言わんばかりの騒がしさだ。

 しかもやり玉に挙がっているのが自分自身なので余計にそう感じる。あと下着事情を妹に話すのやめてもらえますか安物なんです許して。


 市希に話を続けさせるとバラされたくないあれやこれが脈絡もなく飛び出る可能性があるので映像通話中の端末をこちらに向けさせる。


「んっ? あぁはいはい、れいちゃんにちぇーんじ!」

「……冥」

『なんだ、そっちも案外元気そうじゃん。……前よりちょっと小っちゃくなった?』

「なってない」

『でも細くはなったでしょ』

「……まぁ」


 栄養不足で多少痩せはしたかもしれないが背丈は………………少し不安になってきた。今度機会があったら確かめるべきか。いやでもそれで実際に縮んでいることが確定したら嫌だな。


『こっちはみんな元気よ。自堕落なあんたとは違ってね』

「そう」

『んで、メール無視するくらいはまだいいけど電話かけても繋がらないってのはどういうことか説明してもらえる?』

「……。」


 料金を支払えず契約切られました。

 なんて正直に言ったらどんな反応が返ってくるか。


 失望、同情、軽蔑、落胆、嘲笑。


 今更ネガティブな感情を向けられて落ち込むほど温く生きてきたつもりはないが、それでもやっぱり身内からの低評価は心に応える。

 通話口から「はぁ」とため息がひとつ。


『言いたくないってわけ。別にいいけどね、いーちゃん回収してくれたんだし、あんたに細かいこと突っついてもどうせ根暗な話が出てくるだけでしょ』

「………………市希が」

「なんでそんな他人行儀な呼び方するの!? 前みたいにいっちゃんって呼んでよ!!」

『うるさ……二人の声量もうちょっと真ん中に寄せられない?』


 無理を仰る。


「……いっちゃんが家を知っていたのは」

『あたしが教えたからに決まってんじゃん。本当は手引きなんかしたくなかったけど……詳しい事情はいーちゃんから言うだろうし、今回はただの生存確認。心配して様子を見に来た幼馴染を無碍にするほど腐っちゃいないって信じてるから。変なことしたり泣かせたらシバくからね。それに――どうせ実家うちに帰るつもりはないんでしょ』

「……。」


 進退窮まっていた一時間前までなら首を横に振っていた。


 だが幼馴染である市希が遠路はるばるやって来て、このまま故郷にとんぼ返りというプランではないことがこれまでの話の流れから察せられる。

 撃ち出されたはいいが着弾して不発のままその場でまごつくような勢い任せの猪娘が大人しく元の鞘に納まってくれたことなど滅多にない。そんな無鉄砲な子供を送り出す親も大概だと思うが、力こそパワーと叫びながら我が子を千尋の谷に突き落とす家風に何を言えと。


 何をしに一人で来たのかといえば本人から聞かない事にはわからないし。


『ってわけでもう用は済んだから切って良い?』

「えー、もっとれいちゃんとめーちゃんでお話すればいいのに」

『重要な話があればこいつの方から切り出してるでしょ。それがないなら後はどうでもいい話か、言いたくないから終始黙ってるだけの地蔵。それならあたしから話すことなんかもうないわ。……でも、色々ありがとね、いーちゃん。そっちでもご飯たくさん食べてね』

「そうかなぁ……でもめーちゃんがそう言うならいっか! うん、バイバイめーちゃん! ――と、れいちゃん最後に一言!」


 バラエティー番組の司会者か?

 急に振られても特に思いつかなかったので、


「………………元気そうで良かった」

『うっさいバカ! いーちゃんに何かあったら許さないから!!』


 遅まきながらに至極真っ当な家族の会話を試みるも玉砕してしまった。

 思春期を過ぎた頃から妹との会話なんてそんなものだし声色からして心の底から嫌悪しているわけでも話したせいで機嫌が悪くなったわけでもなさそうだったのでこれで良かったのだろう。


 罵倒で切られた通話を前にしても変わらず笑顔のまま、市希はひとつ頷いた。


「めーちゃんが嬉しそうで良かった!」


 市希が楽しそうでなによりです。











Tips:電子機器の進化はダンジョン発生によって一時停滞するのを通り越して退化しかけたが、ダンジョンから産出される新物質や希少資源によって急速に発展を遂げた。もっとも、たかが数十年で文明レベルが書き換わるほどではなかったが。

――世界の分類ジャンルは大きく変貌したと言えるだろう。

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