第3話 幼馴染にフラグは必要ない
「れいちゃん大丈夫?」
「だい、じょうぶ……」
何かを話す前に目の前の自販機で素早く購入された1本150円のペットボトルの水を受け取り、申し訳なさといたたまれなさを感じながらも一口。
これが全財産叩いても買えない水の味か!
いやただの水の味なんて手水との違いすらわからないが。どっちもH2Oだろう?
純水じゃないんだからミネラルもあるだろと言われたらそう。
話が逸れた。思考が逸れている。
「……ありがとう」
「どういたしまして! やー、それにしてもれいちゃん家に着く前に会えるなんてびっくりしたよ! お散歩? お買い物?」
「………………散歩」
やっていることには目を瞑りそう答える。自販機の小銭漁りをしていたとか言えるはずがないだろう。自ら恥を晒す趣味はない。
いやでも今しがたちゃんとお参りしたし?
神様に感謝を捧げる気持ちが生まれて初めて芽生えたし?
――だから視線を向けた先が空き地であっても恐れる必要なんてない……はず。
不思議なこともあるものだな。まるでダンジョンのような不思議さだ。
さっきまでお参りしていた神社はどこへ消えたのか。それは神のみぞ知ると。
世の中には知らない方がいいことだってある。
そういうことにしよう。
……あれが善いモノであることは別の神にでも祈るとして。
今はこの数奇な運命の出会いに意識を向けるべきだろう。
「どうしてここに?」
「れいちゃんに会いに来たに決まってるじゃーん! 教えてもらった番号が繋がらないからちょっぴり無理言って住所を聞きだしてきたの!」
「あぁ、そう……」
行動力の化身というかなんというか。一歩間違えればストーカーの発言にも聞こえるが、ただの一歳下の幼馴染だからセーフ。
それこそ昔は家族ぐるみでの付き合いだってあったしお泊まり会なんかもしたし。いつからか気まずさと物理的な距離から会わなくなって……どれも昔の話でしかないけれど。
……本当にセーフか?
「それにしてもれいちゃん……随分と………………ワイルドになったね!」
「……飾らずに言って」
「臭くなったね! 生乾きの雑巾くらい!」
「ぐぅっ」
相手が誰であろうと好き好んで言われたくはないし最早罵倒に近いが事実なので何も言い返せない。むしろこんなナリで会うことになってしまったことへの謝意が内側から良心をチクチクと刺してくる。
自分で自分の臭いを嗅いでもちょっと汗と土臭いな、と感じるくらいだが嗅覚の麻痺した体臭ですらそれじゃあ他者からしてみれば歩く公害だろう。
「でもそれ以外は全然変わってないね」
「そう?」
「うん。髪を染めてたりピアス空けたりプチ整形してたり……変に気取ってなくて安心した!」
都会っ子への偏見の塊か。
自分には似合わないと思ったからしていないだけだ。
……お金かかりそうだし。
「そっちは………………少し、変わったね」
「そ……そう、かな? き、気のせいじゃない? ほら久しぶりだし!」
臭いと言ったにも関わらず後ろから無邪気に抱き着いてくる少女――22歳にもなって少女はないだろとか思ってはいけない――を引き剥がす。
制服を着せれば見た目だけならまだ少女でも通りそうな代わり映えのしない小さな体躯は過去のものと比べて少しやつれて見えた。元気溌剌、食欲旺盛だった彼女にしては随分と無理をした空元気なのも気にかかる。
「臭いのが移るよ」
「れいちゃんの臭いなら別に良…………っくしゅん! ごめんやっぱ無理かも」
じゃあなんでくっついたし。
気まずい感傷を意識しないようにしながら目の前で顔をしかめている涙目の女性を観察する。
彼女は『玉川 市希(たまがわ いちき)』。
幼少期の呼び方は「いっちゃん」。
子供が気軽に歩いていける距離のご近所さんにして小中学校の先輩後輩として友好な関係を続けていた、いわゆる幼馴染というものだ。
身長150cmあるかないかといった小ささだがこう見えても子供の頃から柔道を嗜んでいる有段者でもある。
自分のひとつ年下――つまり市希と同級生――の妹とも仲が良く、並んで歩く様子は姉妹のようだとも噂されていたことを思い出す。
あとついでに妹がどの歳でも彼女より20cm以上高かったことも。どちらが姉でどちらが妹として見られていたかは言うまでもないだろう。
短いながらも決して乱雑には見えない絶妙なカットのショートヘアーに合わせて硬派な無地のジャケットとデニムパンツを好んで着ているせいで後ろ姿だけだと小柄な男子と間違えられることも稀にあったが、顔を見れば10人中8人は高評価を下すであろう美貌によって対面で性別を間違える相手はいない。
たまに性別を間違えられる自分とは大違いだ。素直に羨ましい。
「あのさ……うん、そうだ! こんなところで立ち話もなんだし、とりあえずれいちゃん家に行こっか!」
「えー………………片付いてないから」
「私は気にしないよ!」
「こっちが気にする」
「あとれいちゃんのお母さんからどんな生活してるかドア蹴破ってでも確認してきて欲しいって頼まれちゃってさー」
「それ初めから拒否権ないよね」
来客をもてなすような用意は何もないし、家に残っている物なんて布団と机と沈黙した家電とゴミくらいだ。食材どころか調味料すら尽きている。
それでもいいのかと問うと、彼女は躊躇いなく頷いた。
ちなみにドアに蹴りを入れるのも同様に躊躇しないパワフルな人間性をしている。そして彼女の蹴りはドア如きでは耐えられない。
歩くこと数分、市希のマシンガントークは留まることを知らず、まるで一週間会っていなかった彼女が一週間分の話を聞かせるが如き勢いでこちらとしては相槌を打つので精いっぱいだった。
現状の情けない身の上話を聞いてこないところには安心するが、それでも油断はできない。
……自宅に上げた時点でおおよそのことを知られてしまうのだし油断も用心も意味がないと思うが?
案の定アパートの前まで来た時の第一声は驚愕十割の「お、趣があるね!」だったし、扉を開けた先に広がるどん詰まりの部屋を目にした際の「れいちゃんのお家がれいちゃんの部屋より小さい」という呟きは信じがたい現実を前にして震えていた。
言われてみればたしかに実家の部屋は六畳くらいあった。
小金持ちのお嬢様にこの空間はきつかろうと再び外へ。
「れいちゃん……どうしてこんな……こんな物置みたいなとこに住んでるの?」
「安いから」
住めば都とはよく言ったもので何年も住んでいれば次第に慣れてくる。
大して物も持たずに家を飛び出すような若者特有の活力と順応性にも助けられた。
とはいえちゃんと就職できた暁にはまともな部屋を借りようと思っていたのだ。
……できなかったからこうなっているだけで。
気を落ち着かせているのか深呼吸を繰り返す市希を見つめ、どんな沙汰が下されるかを待つ。
地元へ連れ帰ると決めたのであれば自分に拒否権はないし断る気概もすでに力尽きた。そしてこのまま見なかったことにされてもそれはそれで困る。ここで見捨てられたら遠からず死ぬ。
「ふぅ……よし。れいちゃん! ホテル行くよ!!」
「………………
Tips:ダンジョンが発生する前から神秘があったのかどうかの議論には未だに答えが出ていない。例え過去の証拠であってもそれは「ダンジョンが発生した後の世界で証明された神秘」に過ぎないからだ。それ故に元々の神秘性を裏付けることは不可能との見方が強い。
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