第2話 中原兼遠

中原兼遠 (兼経 次男)(幼名、中原頼季)

中原兼経の子・兼遠(16歳)武蔵の国に行政官として

武蔵国に下向

武蔵に赴任中若くして、長男、中原康頼(外子)が生まれるが

自身が若く、親戚に預けられる

豪族児玉貞近の娘、千鶴御前を娶る

 

1150年

藤原伊通、関白・藤原忠通に接近し

娘の呈子を忠通の養女として近衛天皇に入内させる


九条殿

兼遠は母の甥 藤原伊通の屋敷・九条に呼び出されていた

公卿の藤原頼宗子孫、伊通婿 藤原清通であった

藤原清通  「清原殿、信濃国司を受けようと思うが

          目代に兼遠殿にお願いしたく足労願った 

          父上、兼経殿の縁である」

中原兼遠  「元服したばかりの若輩者、信濃の目代は荷が重もうござ

          います」

藤原清通  「兼経殿は木曽に荘園をもっておると聞いた」

中原兼遠  「・・・・・・・」

藤原清通  「武蔵の国 源義賢殿は其方の仕事ぶりに感心しておった

       官人として一仕事してはくれんか三百貫でよろしい

       信濃は源氏の支流と、地方荘園が主、知行の地、粗方

       不輸、不入である」

藤原清通  「同じ明法道を家学とする 清家、中家ではないか」

中原兼遠  「ご配慮、肝に命じておきまする」

藤原清通  「ただ、甲斐国司 平賀義光殿

       三男、義清殿は甲斐国に配流されて以降

       甲斐北西部に勢力を扶植、四男、盛義は兄の勢力と連携

       しながら甲斐から信濃を見ておる、村上氏、栗田氏は甲斐

       源氏に通じておるぞ、兼遠殿の兄君 海野小太郎幸親殿は

       海野庄の海野家に婿入りし

       滋野三家 (海野・祢津・望月)の筆頭「海野・根井」

       を名乗っているではないか」


        「平に収めよ」


中原兼遠  「たいらに  たいらに承知致しました、荷を纏めまする」

藤原清通は清家(公卿) 中原兼遠は中家(朝廷実務官僚)

わざわざ両家の祖であった清原の名前をだしてまで

清通は年三百貫を要求してきた

清通の言いようは、断りを入れられるものではなく

兼遠は筑摩に下向した。

信濃も地方豪族がすでに個人荘園を管理しており

寺社も荘園を作り、兵を蓄えていた

荘園の拡大は未開の木曽しか自由にできなかったのである


1153年

河内源氏の家督争いと武蔵秩父氏の家督争いが起き

源為義は長男・義朝と義平(子)の南関東での暴走を止めるべく

源義朝を帰京させ、次男、義賢を北関東に向かわせる


1155年

近衛天皇が没し、第77代後白河天皇が即位。

中原兼遠は信濃の筑摩でそのまま信濃権守となる


大蔵合戦 

 源義賢・秩父重隆 と 源義朝・義平親子・畠山重能

 の間で武蔵の国 関東の勢力争いとなる

 地領を義朝から引き継いだ義平、大蔵の館を急襲、重隆と義賢を暗殺

 義賢と秩父重隆は共に討たれた。

 義賢の子(2歳)の駒王丸は母と畠山の手により大蔵館を出て

 斎藤氏の利根川近くまで逃げていた


大蔵館

 義平  「畠山、駒王丸を探し出して必ず殺してまいれ」

 重能   「義平殿、今これ以上事を荒立てますと

       信頼殿に言い訳が立ちませぬ

       義賢殿は朝廷から幾度も注意を受けて悪評が流れております

       ここまでで御座います、朝廷の了承無き出陣は重罪でござります」

 義平  「解っておる!」

源義朝が京に呼び返されて、義平、南関東の長と言えども

未だ元服して間もなく、北関東を任されていた

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