狭間の章 ー 笠原拓と新しい相棒 ー

1 忠誠

 ウェティブ・スフュードンは自分の名称が嫌いだった。それは名前でもあるが、ただの記号でもある。


 自身のオートマタ化実験の際に、登録名としてつけられたのがこの名前だった。なんでも、立ち会った研究員が前日に夢に見たなどという浅はかな理由でつけられてしまったので、当の本人はこの呼び名を嫌っていた。深い意識の中、そんなことを思い出す。


 暗がりがゆっくり晴れる。点の集合が存在を表すのと同様に、意識や感覚を自分という記号に置き換えていく。これはそう言った晴れ上がりだ。相手の電気信号を、気づかれぬように徐々に侵食していく。浸食と言えども、その置き換えは、毒のような侵略性ではなく、子守歌のような安らぎだった。少なくともウェティブはそう思っていた。


 違法機体に自身のデータを転送する時は、いつもこんな感覚だ。ウェティブと言う記号で埋め尽くす範囲が多いほど、晴れ上がりは穏やかになる。目覚めに似ているようで、少し遠い。転送先の機体に意思がないほど、記号の置き換えは容易い。


 意思とはつまり、忠誠心だ。


 違法オートマタには、忠誠心がない。それを形成するプログラムは、機体の自己学習機能によって構築されていくが、違法機体にはそれがない。製造者の道具として造られた機体には、0と1、存在するかしないかの2方向しか道が与えられていない。正規品のような、限りなく人間に寄せたホスピタリティ精神の計算式とは無縁なのだ。

 ウェティブはそこに、方向性を追加していく。記号を置き換えて忠誠心を加えていく。


 何もない機体に、意思を持たせていく。


 自分の生身の身体では体現できないことを、自身のデータを転送することで実感してきた。たとえ疑似的なものであっても、これで外界とのつながりを保ってきた。

 これがウェティブに与えられたデータ転送の特色。オートマタ用の生体素材として生み出され、ウェティブという記号を付けられた男の特色だった。オートマタ化の実験により半壊した生身の身体の代わりに、この特色を使い、各地を転々としてきた。


 そのたびに何度も機体の瞳を開き、晴れ上がりと目覚めを体感する。

 ただ開いた視線の先になにがあるのか、何がいるのか。それが違う。どんな機体に転送したかも、やってみないとわからない。各地に点在する違法機体の信号を受け取れれば、転送は可能だ。


 しかし今回は転送先を知らされていた。機体の場所も、型式も、そこに何があって誰がいるのかも。ある男から転送依頼があったからだ。言わずもがな、普段はそんなことは受け付けない。他人の言うことなど聞くはずがない。これには理由があった。

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