2 前職のことは置いといて

 しかしあれだけ苦労して手に入れた平穏なのに、完全に身を委ねる気になれない。平穏を恐れている。オートマタに関連する仕事を選んでしまったのも、きっとそのせいだ。


 結局自分にはまだ目的も理由もなく、ただ容器を保っているだけの状態に過ぎない。二本の足で立ち、内臓を支え、本物の腕と偽物の腕を操る。体内を流れる血液はまがいものだ。定期的にクリーンアップしないと容器を保てない。でも不自由と思ったことはない。不慣れだが、それを差し引いてもバイオレンスから遠ざかった生活はいいものだ。酒を飲む量も減った。今日は帰ってフローティングでもしよう。

 そう思い、研究所から出ようとすると声をかけられた。

「いまあがりですか?」

 振り返る。同僚の小橋がいた。

「小橋くんも?」歩きながら返事をする。

「今日は実験が順調に進んだから帰るとこ」


 小橋は自分よりも数年先輩にあたる研究員だが、年齢はいくつか下だった。はじめは小橋さんと呼んでいたのだが、さん付けはやめてくださいよ、と言われ、不慣れだが小橋くんと呼ぶようになった。彼は満足そうに笑みを浮かべていた。


 研究所の裏口から外に出ると、すっかり陽が暮れていた。二人は流れで、そのまま並んで歩くことになった。何か話した方がいいのか……?と考えていると、小橋が一度こちらを見上げた。


「外じゃメガネしてないんですね」

「ああ、モニタ用だから」

「伊野田さん、そういえば前は事務局にいたって言ってましたよね」

「ああ、いたよ」

 伊野田と呼ばれた男は、内心ギクリとした。事務局には確かに所属していたが、行なっていた業務を話す気になれなかった。


「僕の従兄弟が事務局で働くことになったんですよ」

「へぇ、すごい」

 伊野田はそう返事をして、事務局のビルが建っている方角へ無意識に視線を飛ばす。ひとつ大きな通りに出る。繁華街と離れたオフィスフロント地区は、いつも静かだ。この区画のひとつ隣にメトロシティを象徴する繁華街が建ち並ぶ。区画はよりいっそう賑やかになった。


「事務局って、オートマタの監視機関ですよね」

「簡単にいえばそうだな」

「最近、また新手の違法のオートマタが出たって巷で話題になってるじゃないですか。だから僕少し心配なんですよね」

 ごもっとも。と伊野田は思った。


 笠原工業のオートマタの新機種が発表されたり、違法機体が巷を騒がせたり。大手対応業者の若手が活躍したニュースはある程度話題になった。

 オートマタの試験結果やパーツの機能をテストする研究所には、そんな話題がしょっちゅう舞い込んでくる。


「また少し、物騒になりましたよね。メトロシティも」伊野田はため息交じりにそうぼやいた。

「従兄弟は、総合受付担当っていってましたけど、どんなとこか知ってます?」

「あぁ、そこは、違法オートマタ対応に関しての窓口だよ。局のポータルサイトに案件をアップしたり、対応業者の登録、管理をしたり……」

「そうなんすか。じゃあ平和なところなんですね。伊野田さんって、何担当だったんですか? 違法オートマタの対応ですか?」

 小橋はそう言って、伊野田の右腕を見た。義手だった。元事務局にいて、身体の一部が破損しているとなれば、そういった想像くらい普通にするだろう。伊野田は、小橋に悪気がないことは知っていた。少々ドキリとしたが、伊野田は笑顔で答えた。


「何度か立ち会ったことはあるけど、”直接の掃討なんてしたこともないですよ。一回も”」

 事務局にいた過去も特殊な境遇からであったので、伊野田はなるべく普通の事務局員であった、とアピールをするようにしている。誰彼かまわず本当のことを言う必要はないと、男は最近になってようやく学んだのだ。齢三十に達してからようやくだ。

 

 もう少し本当のことを言うと、三十歳というのも定かでは無かった。見た目がそれに近しいのでそういうことにしているのだ。

小橋は「へぇー、事務局ってほんといろいろやってるんですね」とだけ言って話題を変えた。



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