第16話 エリーナの過去

「つまらぬ話だったろ」


 ベットの上に放りだされた狼の仮面が物悲しく見える。


「徳の高い皇女の身分でありながらな不運だな。こんな男の妻となる為に、はるばる異国から来たのだからな」

「そんなことありません」

「ははは・・・この際だ、素直に言えばいいのだ」


 自虐気味に笑っていたライナス様がふと何かを思い出したようにこちらを見る。


「そういえば、お前が灰薬を調合して応急処置をしたと聞いたが。花嫁は蟲読みだったのか。インイ国では皇女でも蟲読みを学ぶのか?」

「いいえ。宮殿で学んだわけではありません。私が学んだのは地方にいた時です」


「地方?地方でどこかの皇族に養育されていたのか」

「まさか。そんな高尚な話ではないですよ」


 時がきた。全てをお伝えする、その時が。


「私もお話しいたします」


 私の生い立ちを。闇深き哀れな物語を。

 全てを語る決意を持ってすぅっと息を飲み、静かに伝えた。


「私は一度、皇族の身分を廃され地方へ送られた身なのです」


 ライナス様が不思議そうに眉を寄せてこちらを見る。 


「私の父は先帝の第三皇子でした。母は正妻で兄と弟がおりました」

 

 おりましたというのは過去形だから。

「皇帝の正室に男子はなく、第二王子は早逝しています。インイ国では嫡男が皇位をつくことが慣例です。このまま皇帝に男子が生まれなければ兄が次期皇帝になる可能性もありました。私たちは文字通り何不自由のない生活を送っておりました。あの女が現れるまでは」


 父は側室を娶った。新入りの女官だった。若さと美しさを武器に母の目を盗み、父に取り入った。

 そこまではどこにでもある話だった。


「その女は男を産むと、ほどなくして父と女は体調を崩しました。すると母が自分と父に毒を盛り毒殺を図ったと父に告発をしたのです。もちろん根も葉もない出鱈目です。母は名門一家の出で、男子を二人も産んでいます、今更側室が庶子を産もうが地位は揺るぎません。むしろそのような事件を起こし自分の地位を脅かすような愚かなまねはしません。ですが父は信じたのです」

 

 おそらくそれはあの女の自作自演だった。自分と父に命に問題がない程度の少量の毒を飲ませた。そして金で医者を抱き込み命が危ういと嘘の診断をさせていたのだ。

 寵妃の訴えに父は怒り狂った。そして母を皇帝に差し出し断罪した。


「皇族の毒殺は重罪、反逆罪にあたります。母と兄と弟は死罪となりました。私は女だったのでかろうじて死罪を免れましたが、庶人に落とされ、地方へと追放。そこでは食うにも困る生活でした」    

 

 流石の父も兄と弟が死罪となると狼狽えた。皇帝と父は異母兄弟で、生まれつき病弱で大人しい皇帝とは対照的に元来活発で丈夫だった父。年も一つしか違わない二人はよく比べられ、先帝は「第三王子は皇帝の気質がある」と公言していた。皇帝からしたら面白くはなかった。

 皇帝はここ最近は病に伏していて、今後子供を授かる可能性は低かった。嫉妬、妬みの対象だった弟の息子に皇位を譲るのが気に食わなかったのだ。

 そして二人は死罪となった。何度も「命だけは」と懇願する父を退けて。


 優しかった母を失い、喧嘩することもあったけれどを仲の良い兄と弟を失い、別の意味で父も失った。私は大好きだった家族も地位も全てを一瞬で奪われ、失った。

 あの女に人生も、家族も全て掠め取られたのだ。


 寂しい漁村に追いやられた私は古びた小屋で侍女として年老いた老婆を一人あてがわれただけだった。老婆は変な詮索も同情もなく、淡々と私の食事や身の回りの世話をした。


 宮殿ではあの女への怒りを常に爆発させていた。

 部屋中の物を投げ捨て、壁を殴る。爪が割れ、手が赤く染まるまで怒りに任せて壁を殴っていた。

 

 だが宮殿を去ると怒りは消えた。

 その後に来たのは、途方もない喪失感。


 心が死に、日々の生活に色がなくなり視界にずっともやがかかっているようだった。

 最初の数ヶ月は全く記憶がない。時間という概念さえなくなった。

 どこかいつもふわふわして立っているのか、横になっているのかさえ分からない。感覚というものが抜け落ちた様だった。

 生きながら地獄を見ているようだった。

 

 そこで隣に住んでいた元蟲読みの老人と出会った。

 かつて宮中では働いていた男だったが、政治争いに巻き込まれそうになると逃げ、それ以降ここに住み着いていると言った。

 時間だけはあった。


「この村では字が読めるものも少ないからな」


 この人との出会いが生活を変えた。もやがかかっていた生活が徐々にはっきりと色づき始めたのだ。

 全てを失った私は貪欲に学んだ。

 そして老人も私の熱意に応えるように熱心に教えてくれた。

 灰薬の種類、調合、副作用、薬の組み合わせによって起こる作用、そして蟲について。


「それとこの屋敷にある書物です」

「屋敷の?」


「はい、この屋敷には蟲に関する書物が沢山あります。灰薬についての書物もありましたが、蟲読みとは蟲についても精通してなければなりません。その点ではここには絶好の学びの場でした」


 よく読んでいた書物は全て蟲に関する物だった。

 一人で過ごす時間の大半をこの読書に当てていた。おかげでインイ国で手に入らない書物を読む事ができた。


「今打ち明けてしまうと、私はこの結婚をする為だけに皇族に復帰したのです」


 他の皇族も貴族も誰も自分の娘を差し出したがらなかった。

 そうして私が選ばれたのだ。皇族にさえ身分を回復すれば、この婚姻の体裁は整う。

 ライナス様はそれを聞くとのけ反って笑った。


「そうかそうか。他に嫁ぐ女がみつからかなったのか。蟲狩りとの婚姻など高貴な女には耐え難いだろうな」

「全てを掠め取られた死んだも同然だった、そんな時縁談が舞い込みました。最初は悩みました。もう何にも希望が見えなかったからです。不意に無念のうちに死んだ母と兄たちの顔が浮かびました。寂れた流刑先で私までも朽ち果てたら誰が三人の無念を晴らすのか」


 誰が三人の事を思い出すのか。誰が墓参りに行くのか。

 名家出身の母の人生。皇子として生きた兄と弟の誇り。

 誰がそれを語り継ぐ?

 誰もいない。


 この状況で不幸に死ぬのは簡単だ。

 幸せを掴むなど容易ではない。奇跡の連続の先にあるもの。

 それこそあの女の思うツボじゃないか。


「せめて私は生きながらえ、三人を思い、幸せになろうと思ったのです。それが生き残った私の使命だと。とはいえ私は皇女とは名ばかりで祖国の後ろ盾もない根無し草です。ここで根を張り生きる場所を見つけるしかなかったのです」


 ポロポロと大粒の涙が頬を伝う。とっくに枯れたと思っていた涙。

 俯きながら語っていると、視線を感じた。ライナス様がじっと見ていた。


「互いに捨てられた者同士か」


 頬に触れ、涙を拭う。


「ええ、これ以外の道がなかった者同士です」


 最初はここで生きる為にライナス様の心の隙間に入り込もうとしていた。それだけだった。

 でも今は。


「それに以前、丘でお伝えましたでしょう。一緒に重荷を持てないかと」


 夕焼けに染まる街。ライナス様の孤独な覚悟と重責を知ったあの日。


「蟲狩りと蟲読みなら、きっと今まで以上に多くの人々を救えると思うんです」


 私たちなら救える。人々を、世界を。無敵の蟲狩りと、東西の知識を得た蟲読みならきっと救える。支え合える。


「確かに・・・だな」


 ライナス様が手を伸ばす。その手に自分の手を重ねた。

 初めて意識を持って手を握った。

 ゆったりとした時が流れる———。


「今日はここで休め。安心しろ何もせんよ」 


 ライナス様は自分の隣の枕をさすった。

 こくりとうなづく。言葉はいらない。

 口ではなく目で語っていた。


『助けてくれて、命を救ってくれてありがとう———』


 その言葉に胸がいっぱいになる。

 互いの心の悲しみを重ねて抱きしめていた。


「我が花嫁、エリーナよ」

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