第15話 ライナスの過去

———あれはいくつの頃だっただろうか。俺が6つの頃だっただろうか。

 

 雪のちらつく冬の寒い日だった。

 決して裕福とは言えないが、平穏で安心しきっていた毎日が突如終わりを告げた。

 

 穏やかで優しかった母が亡くなったのだ。流行りの病にかかり、実に呆気なく死んだ。

 母が死に俺の悲しみが癒える前に父は俺を連れて村をでた。

 息子と共に雇ってもらえないかとスペード家を頼った。

 

 国内でも屈指の名門家のスペード家とは遠縁であったが、頼ると言っても使用人としてだ。

 俺は6歳。奉公に出るには早い。

 

 だが父は悟っていたのだ。己の命も長くないことを。故郷の田舎では孤児の6歳など道端で飢え死にするだけだから。せめて生き延びる場所をと、父親としての最後の仕事だった。

 

 雇ってももらえたとしても6歳の子供だ。せいぜい水汲みや床掃除、馬小屋の掃除と雑用だろう。面接に向かう乗り合いの馬車の中で父は「たとえ肥溜め掃除であったとしても嫌がらずにやるのだ」と俺に言い聞かせた。

 物静かで思慮深い父の言葉には重みがあり、屋敷に着いた「ああ・・・もう楽しいことはないのだな」と子供ながらに腹を括っていた。

 

 が、人生とはわからない。

 執事長と面接の為、父と並んで広間で待っていた俺を通りかかった公爵夫人が目にしたのだ。


「あの者たちは?」

「使用人の面接にきた親子のようです。スペード家の遠縁だとか」

「ふーん。連れてきて」


 お付きの侍女に呼ばれて夫人の元へと向かう。

 夫妻は結婚6年目だが、まだ子供がなかった。そして昨年待望の子供を授かったが流産で失った。それだけでなく医者は流産の影響で今後子供を授かるのが難しいと言った。

 当時の夫人はまだ悲しみの中にいたが名門家の存続のため、親族のどこからか養子を引き取る話し合いをしている最中だった。

 現れた俺を見て、夫人は「まあ」と驚いた。


「私によく似ているわね」


 夫人は俺と同じ金色の瞳をしていた。


「僕、年は?」

「6つです」


「ふふふ、かわいいわね」

「確かに奥様によく似ていらっしゃいますね」

「ええ、本当に私に似ているわ」


 すると夫人は俺を養子にしたいと公爵に相談した。

 俺がスペード家特有の銀髪を受け継いでいたこと、健康であること、そして何より夫人が俺を気に入ったこと。

 たった一日で貧しい庶民の子供が、国内有数の名門家の跡取りとなったのだ。


 血の繋がりはなかったが、母である夫人は慈しみ溢れんばかりの愛情を注いでくれた。


「お前は私によく似てる」


 俺の頬を両手で包みながらにっこりと笑うのが日常だった。

 公爵からも帝王学や領主として必要な学問、マナーを徹底的に仕込まれて期待をされていた。

 厳しくも威厳のある養父、優しい養母、裕福な家、幸福な日々。


 だが、そんな日々は夫人の懐妊によって終わりを告げた。

 嫡男の誕生、スペード家にとって何よりも喜ばしいこの出来事で俺の幸せは終わったのだ。


 あんなに愛情を注いでいたはずの俺が一気に邪魔な存在、無用な存在へと変わったのだ。

 二人の関心は俺から我が子へと移った。

 俺の養育係の数も見るからに減り、家の中心は弟になった。


 特に顕著だったのは養母だった。

 朝の挨拶の時だって、俺が全く見えないみたいだった。

 一心に実の子への愛情を注いでいた。ほんの少しの愛情も他になんて渡すまい、と。


 やがて食事も一家の行事も全て俺は呼ばれなくなった。

 18になった時だった。 

 公爵から家を出るように言われた。


「親としても勤めは終わった。後は自分の力で生きていけ」


 まるで穀潰しを養ってやっていたと言わんばかりの言い方だった。

 そんな俺を引き取ったのが、公爵の弟で軍の将軍であるブライアンだった。


「眉間に覇気がある。お前は兵士に向いている」


 将軍の元で働く事を条件に公爵からは今の領地と屋敷を譲り受けた。

 家を去る日、母は一度もこちらを見なかった。嬉しそうに弟の目を見つめていた。

 寒い雪の日だった。

 この屋敷に来たのも、雪のちらつく日だった。

 どうせ、皆離れるのだ。


 いくら情を感じていた相手とて、いつかは離れるのだ。

 最後は一人になるのだ。

 利害が一致しなくなれば、無二の親友も、最愛の妻も、家族とて離れていくものだ。

 雪の降る、もの寒しい空気が余計に虚しさを感じさせた。


 隊長は俺に蟲狩りに行かせた。

 初めてみる異形の存在。人を超えた圧倒的な力。

 それを斬った。斬って斬って、斬りまくる。

 

 それしかないのだ。

 斬らねば食われる。軍を抜ければ、行く宛もなくなかった。

 蟲に挑み戦うしかなかったのだ。それ以外、生きる道はなかった。

 

 ある日、蟲が出る地域の見守りをしていた。俺は一人だった。

 唸り声に目を向けると群れからはぐれたのだろうか、狼が一匹俺を見つめていた。

 銀色の毛。

 

 そうか、ここはお前の縄張りか。

 知らぬ間に狼の縄張りに足を踏み入れていた。

 悪かった、行くよ。

 

 そのまま去ろうと思った。が、狼は唸り声をあげながらこちらに一歩近づく。

 睨み合い、何度も交差する視線。


「され。どこかへ行け」

 

 やつにそう言った。俺は蟲狩りだ。猟師ではない。戦う理由はない。

 だが狼は逃げなかった。もう一度、その場を去ろうとするも奴は逃がそうとしなかった。猛々しい目をして俺に襲いかかってきた。

 

 その首をはねた。

 仕方なかった。やらねば、やられていた。

 

 剥製師に命じて狼の仮面を作らせた。

 出来上がった仮面を被る。

 ———お前は私によく似ている

 

 見せぬ見せぬ見せぬ。

 もう二度と、誰にも決して素顔を見せるものか。

 

 決してな。

 

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