第13話 夫の素顔

 部屋に戻るなり地下から持ってきた灰薬の準備をする。

 ライナス様の容体は一層悪くなっていた。緑に毒された範囲は上半身全体に及んでいる。

 

 間に合うかしら。ギリギリだわ。

 

 傷の手当をしていた使用人たちを下がらせ、ベットの横に座る。

 苦しそうにうめくライナス様。

 狼の仮面越しからも血色の悪さが伝わり胸が痛む。

 

 うまくいくかしら。わからない。不安と恐怖、焦燥感が押し寄せる。

 が、それら全てを心から排除、封じる。祈りにも似た気持ちで深呼吸を一つ。

 三つ持ってきた灰薬の中から、白い粉と茶色の灰を混ぜていく。

 白い粉はティースプーン四杯分、そして茶色は耳かき一つ分。この茶色の灰の分量がとにかく重要。

 肩越しにアールが不安げに私の手元を見る。


「奥様・・・一体何をなさっているのでしょうか」

「この傷はおそらくフジリキリに受けた傷でしょう。フジリキリの牙には毒があり、麻痺作用があるの。体内に入れば、毒によって臓腑の機能は弱りいずれ機能しなくなる。それが心臓か肺に達すると死んでしまうわ」 


 混ぜた灰を傷口に振りかける。


「この灰薬はコウテツガの鱗粉とミズミミズの灰を混ぜたものよ」

「なっ、ミズミミズですか?!エリーナ様いけませんそれは・・・」

「アールッ!!」

 

 私は厳しい口調でアール、いやその場にいた全ての人間に伝えた。


「旦那様は必ず助ける。その為に全力を尽くすわ。隣町の医師を待つ以外、他に手がある?無いならだから今は信じて見守って」


 アールはまだ何か言いたげではあったが、言葉を飲み込んだようだった。


「コウテツガの鱗粉には毒によって負ったダメージを回復させる力が、ミズミミズの灰はそれだけで使えば猛毒だけどこうして他の灰薬と混ざると蟲の毒を中和させる効果があるのよ」


 効果が高いので、分量には細心の注意が必要だ。

 シイラ、と声をかけてライナス様の頭を浮かす。

 小皿に持った灰薬をライナス様の鼻の近くに寄せる。


「毒が肺に達すれば呼吸ができずに死んでしまう。肺にはこうやって呼吸で取り込ませるのが1番なのだけれど・・・」


 どうしよう。


 ライナス様の呼吸が弱い。

 鼻の近くに薬を置いてもあまりすってくれない。

 この場合は鼻と口の周囲に粉を直接添付して、少しでも鼻腔から摂取させるしかない。

 粉を塗ろうにも鼻と口のそばに仮面が邪魔している。


 狼の仮面を取るしかない。


 でもいいの?

 だってライナス様は素顔を拝めるのは真の妻だけだとおっしゃっていた。

 挙式でさえ仮面を外さないお方だ。

 仮面をつけることはライナス様にとって、深い深い理由があるはず。

 もし許可なく仮面を取ったら・・・。


 例えそれが命がの危険が迫っていたとしても、果たして許してくれるだろうか。


 考える。

 考えても、わからない。


 もしかしたら怒りを買い、今までの事は全て無に帰り、また情のない夫婦関係に戻るかもしれない。どこか遠くの屋敷に追いやられるかもしれない。


 それならまだいい。


 最悪、離縁され私はインイ国に送り返されるかもしれない。インイに戻ればもう私の皇女のしても居場所はなく、またあの寂れた漁村の町でその日暮らしに戻るかもしれない。

 嫌な想像が頭をめぐる。


 でも。

 それでも

 1番最悪な事は離縁される事でも、貧しい暮らしを続けることでもない。ライナス様がこのまま息を引き取られることだ。


 それがわかれば迷いはない。

 アールを呼ぶ。


「奥様?」

「仮面をとるわ」


「仮面を・・・旦那様の仮面をですか?」

「ええ、もうこれしかライナス様をお助けする方法はない。止めたって無駄よ。シイラ!!もし誰から私を止めようとしたら力づくでもそれを阻止して!!いいわね!!」


 シイラは頼もしそうに頷き、力こぶを見せて「承知しました」


「アール止めたって無駄よ!!いくらあなたが邪魔をしよう・・・」

「止めません」


 誰よりも穏やかな顔をしてアールがいう。


「止めるものですか。私の使命は旦那様をお守り支えること。その為であれば例えこの身引き裂かれようが、シイラのヘッドロックを食らおうが守る次第でございます」


 最後がちょっと余計だったけど、アールの思いが通じた。私たちの共通の願い。

 ライナス様をお助けする。

 アールに目で合図をして互いに頷くと狼の仮面に手をやる。


 そして仮面を、取った。

 

 ———。

 

 顔は若かった。

 

 長い前髪が額にかかり、眉は苦悶の表情が浮かべている。

 

 それでも噂されていたような、三つ目や顔の爛れなどはなく、頬の下に小さな傷跡があるくらいだ。鬼のような形相でも化け物のような顔でもなかった。

 むしろ平時の時であれば、無駄のないすっきりとした顔立ちに思えた。

 

 何より若い。

 ライナス様は35歳と伺っていたけれど。

 

 本当に35歳?とても見えない。

 せいぜい20代前半だ。

 あの肖像画の貫禄のある男性とも違う。

 なぜ?


 初めて見た夫の顔をしばらく見つめていた。

 だがふと我に返り、治療を続ける。

 素早く薬を塗ると、わずかだが呼吸の度に灰薬が吸い込まれていく。


「奥様!!」


 アールが指差す先を見ると、上半身を染めていた緑がわずかに色が薄くなっている。


「これは毒が中和されているのでしょうか」

「ええ、薬が効いている証拠だわ」


 私は急いで次の治療に移る。

 急いで止血をして傷口を塞がないと。

 小瓶から粘液のある液体を取り出すとライナス様の傷口に塗ろうとした。

 すっとアールが小瓶を差し出す。


「どうぞ、ショウグンバエの灰薬でございます」


 ショウグンバエの灰薬。ショウグンバエは先日襲来を受けた時に浴びた強い毒を含む体液を持つ。塞いだ傷口にショウグンバエの灰薬を振りかけると、傷口は毒により焼かれ止血する作用がある。激しい痛みを伴うが、止血には強い効果があり、応急処置として一般的な軍人たちも携帯して使用していることが多い。民間でも割と知られた治療法だ。

 が、今回はこれではダメ。


「その灰薬は使わないわ。こちらを使う。シイラッ!!あれを」


 シイラは別の瓶を差し出す。そこにはどろりとした透明の液体が入っていた。


「ショウグンバエの唾液よ。これを使う」


 ショウグンバエの灰薬でも効果がある。でも今回は傷口が非常に広範囲かつ、止血量が多い。

 おそらく灰では効果が薄い。


 その場合は唾液が有効だ。

 非常に粘度が高く、また空気に触れると徐々に硬化する。この特徴を利用して、傷口に添付すると傷を塞ぎ止血できるのだ。ショウグンバエはこの唾液で獲物を硬化させて捕食すると言われている。

 そっちの方が効果があるなら、みんなそれを使えばいいと思うがそうは行かない。


 唾液は空気に触れるとすぐに硬化が始まるため、採取がとても難しい。ショウグンバエの首を切り落としたら、すぐに瓶に入れる。それを数日かけて、口から出てきた唾液を採取するのだ。

 死後時間の経ったショウグンバエでは採取ができないので、とても貴重な灰薬だ。


 屋敷に蟲が現れた日。

 ライナス様が首を切り落とした後、実はシイラと共に瓶に入れてこっそり採取をしていたのだ。


「役になって良かったですね」


 シイラの呼びかけに、うんとうなづく。採取する時はあんなに気持ち悪いと言って嫌がっていたけど、手伝ってくれて本当によかった。まさか、使用することになるとは思ってなかったけど。

 

 毒の中和と止血が完了すると、ライナス様の顔色が徐々によくなっていく。

 苦悶が刻み込まれた眉が解かれ、安らかな目元になる。 

 最後にシイラに頼んでいた薬を受け取る。

 灰薬をお湯でといたものだ。

 シイラにまた頭を上げてもらうと、口元へ運ぶ。


「ライナス様、どうか飲んでください」


 わずかに空いた口元に薬を流し込む。

 最初は口から垂れてばかりだったが、徐々に体が回復してきたのか少しづつ薬を飲んでくれた。


「こちらはなんの薬なのですか」

「バショウ蚊の灰よ。灰には蚊の吸った血液成分が凝縮されていて、湯で煎じて飲むと補血にいいの」


 最後の一口を飲み終える頃には随分と生気の戻った顔をしていた。


 大丈夫。

 これなら大丈夫。

 やがて、ライナス様の瞳がうっすらと開かれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る